23.ヴィーナス、恋愛指南を受ける


「名を聞いてなかったな。名は何という?」

「……癒月ゆづき星愛ティア


 叶と再会した癒月。

 かつてフシミ港で、癒月に少しだけ恋愛の秘訣を教えたのち、すぐに夜の闇に消えていった、謎の男性だ。


「星愛よ。恋愛は“自分がどういう人間であるかを知るためのもの”。それができれば目的達成……私はあの時、そう言った」

「……よく分からないんだけど」

「恋愛の目的とはそもそも、“相手と両想いになること”ではない。恋に悩むのは、そもそも本来の恋をする意味、目的からズレたことばかりしているからだ。繰り返すが、本来あるべき恋愛の目的は、“自分がどういう人間であるかを知るため”だ」


 占いの本を、ひょいと取り上げられた。「あっ」と言う間も与えず、叶は話を続ける。


「恋愛の秘訣などのサイトや本を見て、これが好かれてるサインだの、脈なしサインだのを調べて分析するのは疲れるだろう。それはそもそも、相手を信頼してないということだ。相手を思い通りにしたいという傲慢さの現れでもある」


 鋭い指摘に、癒月は思わず歯噛みする。


「そんな情報など見なくて良いのだ。恋愛においても、心構えは他の人間関係と同じだ。“相手を大切にする”。それだけで良い」

「そんなに単純なもんなの」

「そうだ。それを踏まえた上で、好きな相手を通して“自分がどういう人間であるかを知る”のだ。例えば、好きな人と展覧会に行ったとする。好きな人と行けば、展覧会で見る絵も、より美しく見えるだろう。その絵に感動した自分は、“ああ、私は実は結構絵が好きなんだな”、と、新しい自分を発見できたりする」


 癒月はまるで催眠をかけられたように、ボーッと叶の話に耳を傾けていた。

 聞いたこともない発想だが、少しずつ叶が何を言わんとするかが分かってくる。


「例えば、好きな人に素っ気なくされて辛かった。そこで自分自身の心に注目する。すると、“ああ私は、常に愛されていないと価値がないと思っていた”と気付いたりする。気付いたら、変えるのだ。例えば“私は今、元気に毎日暮らせている。それだけで価値があるんだ”というふうに思い直すのだ。このように、自分自身が成長するために相手がいるんだ、と考えるのだ」

「……相手の事ばっかりにとらわれるんじゃなくって、もっと私自身を見るってこと?」


 叶はうむうむと頷く。


「あくまで、主役は自分自身。それが、好きな人中心になってしまうと苦しくなる。好きな人に振り回されてしまう。なぜなら、本来の在り方ではなくなるからだ」

「私の心を見る、私自身が成長するためにゴマがいる、そう考えるのね……。私にはちょっと難しいわ。やっぱりゴマとは、両想いになりたいし」


 癒月は俯き唇を噛むが、叶は全く口調を変えずに言葉を紡ぎ続ける。


「付き合えたとしても、両想いになったとしても、それは嬉しいだろう。だが、その先もずっと幸せかどうかは保証できない。さっき言ったこと——“相手との関係を通じて自分のことを知る”——これを知らぬまま両想いになったとしても、それは一時的な幸せ。不安定な幸せだ」

「それはそうね。でも、頭では分かってても心が言うことをきかないのよ! 気がつけば、ゴマの事考えちゃう。そんな達観したようなマネ、簡単にできるわけないじゃない!」


 強い口調で反論を試みるも、やはり叶の態度は変わらず、落ち着き払った様子だ。

 これも彼にとっては、想定内だったようだ。


「恋愛は人間が最も快感を感じるよう、脳の仕組みとして作られているから仕方がない。麻薬中毒と同じ、と考えても良い。そういう時は、好きな人から離れることも大切だ。まずは冷静な自分になるのだ」

「離れるだなんて、できないわ。離れてる間に、ゴマの気持ちも私から離れちゃう。そうなったらどうするのよ。今までの私の努力は?」

「それこそが、思い込みだ。いたずらタヌキの罠だと思えば良い」

「はあ?」

「ただの思い込みだ。嘘つきタヌキに騙されてはならぬ。星愛ティアよ、まずは自分自身がしっかりせい。心が不安定なまま両想いになったとしても、それはさっきも言った通り、一時的な幸せ。不安定な幸せだ。あくまで主役は自分自身。自分自身がダメになっては、相手も自分も幸せになどなれん」


 自分自身がしっかりしなきゃいけないのは分かるけれど。

 やっぱりゴマから離れることで、彼の気持ちが遠退くのは怖い。

 その怖さが、ただの思い込み——嘘つきタヌキの罠だとしても。


「互いが自分自身を主役として、力を合わせられる関係になることを目指せ。その上で両想いなれたなら、永き幸せが約束される。だが、大事なのは両想いになることではない。“相手との関係を通じて自分のことを知ること”。大事なことだから何度でも言うぞ。……悪い事は言わん。今は、想い人から離れておくがいい。自分自身が冷静になるために」

「……ゴマから離れるなんて……やっぱりそんなの考えられない! 絶対嫌よ!」


 私は、本気でゴマが好きなんだから。離れるだなんて考えたくもない。

 このオジサンの話、やっぱり私にはよく分からない。自分が主役って言われても、私の中ではゴマが至高の存在なんだから。

 ゴマと話して、私の想いは片想いだとハッキリ分かった。でも絶対に諦めたりしないわ。

 好きな人に愛想良くしていたけれど、片想いだと分かった途端、急に冷たくしたりして態度が変わる子もいる。でも、それはその程度の愛だったって事。私の愛はそんな半端なものじゃないから。


 ——癒月は、ジャングルの木々の間から見える青い青い空を見上げた。

 

「目を覚ませ、迷える乙女よ……」


 叶はその言葉だけを残し、静かに去っていった。

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