40.死生観


 松田病院へと向かう優志まさしだったが——。


「な、これは一体……!?」


 目に入ったのは、逃げ惑う人々。追っていたのは、全身が血のように赤く、片手にナイフを持った8匹の、ゴブリンだった。

 現実世界に、魔物が現れ始めていたのである。


「はあっ! “フォルテ”!」

「ゴブー!!」


 見慣れた街の風景には何ともミスマッチな、暴れ回る魔物たちの姿。

 そこかしこで警官たちが警棒で戦っているが、好き勝手に暴れる赤いゴブリンたちに翻弄されている。

 道路を走る車の窓ガラスが次々と割られる。信号機が破壊される。交通も麻痺し始めた。


 赤いゴブリンには、勇者の魔法“フォルテ”がよく効くようだ。魔法を使っているところを人々に見られてしまうが、そうも言ってはいられない。


 どうにか8匹全て倒した優志は、松田病院へと急いだ。

 怪我人が多数おり、救急車が行き交う。病院に到着すると、ロビーはひどく混雑していた。


(ようやく着きました……。怪我人が多いですね……)


 魔物の姿を確認したのは、先程の赤いゴブリンのみ。だが、きっと他の地域でも魔物は出現していてもおかしくないし、これから増えていくだろう。

 新型ウイルスも収束していないのに、この先、世界はどうなってしまうのだろう——。


 ごった返しているロビーで、優志は名前を呼ばれるのを待つ。

 以前知り合った、鬱病や糖尿病を患っている佐藤さとうゆたかと、小説家の夢を持つ余命数ヶ月の中村英三郎えいざぶろうの姿もあったが、声をかけている余裕などなかった。


 待つこと1時間。「飛田優志様ー」とアナウンスが入ると、優志は早足で診察室に向かった。


「お久しぶりです……先生」

「飛田様、こんにちは」


 担当医は変わらず、優志が信頼を寄せている医師、田井中 夏樹なつきだった。

 田井中の目を見て、張っていた気が緩んだ。


「今、魔物……怪物が外で暴れていて大変ですね……」

「ええ、私も、行き道で変な怪物にやられました。幸い、軽い怪我ですみましたが」


 田井中の左腕には包帯が巻かれていた。


「怪我人も増えてて大変ですよね。ええと……」


 現実世界に現れた魔物のことでずっと頭がいっぱいだったため、優志は何を相談するのか忘れかけてしまっていた。

 考えていると、先に田井中が口を開く。


「ひとまず、検査しましょうか」

「あ、わかりました」


 ♢


 諸検査を終え一息ついていると、検査結果の分析を終えた田井中が微笑みかける。


「特に異常はありませんでした。が、疲れが溜まっているようです。ゆっくり寝て、よく休んでください」

「疲れ……この歳になると、疲れの悪影響も馬鹿にできないですね。……そうでした、先生に聞きたいことがあるんです」


 ようやく質問すべきことを思い出した優志は、勢いのままに尋ねた。


「自然治癒力って、本当に当てになるんでしょうか……」

「ほう。また何故そんなことを……?」

「色々調べていたら、自然治癒力で治らない病気がすごく多くて……。自分の体を本当に信じていいのか、不安なんです」


 田井中は顎に手を当てて少し考えてから、優志の方へ視線を戻し、答える。


「例えば、虫を半分に切断したら再生しませんよね。要するに、体の治癒力を上回るほどの無理をすると、治りません。それに生き物は歳を取ると、体の修復機能も衰えてきます。体が少しずつ故障するのは、ある意味では自然なことです。生活習慣次第で、それを緩やかにすることはできると思いますが」

「なるほど……。治らないのも、自然なこと、ですか」

「勿論、諦めろというわけではなく、治りたい、治したいと思う気持ちは大切ですね。無理をしないよう、自分らしく心と体に優しい生活を送る。それを意識するだけで充分ですよ」


 きっとその通りなんだろう。何年も生きていれば、いずれガタが来る。勿論ずっと健康でいたいが、その事にこだわり続けるよりも、なるべく心身に無理をさせず自分らしく生きる——。

 納得できた優志は、引き続き質問する。


「田井中先生は、代替医療や民間療法についてはどう思われますか?」

「安価で安全なものなら良いです。仮に医学的に効果がなくとも、それをやることで心の安定を得られることがあります。流行りの足ツボは、私にはよく効きましたけどね。でも効かないと思う人には効かないのでしょう。暗示効果ってありますからね」

「なるほど……」

「薬だってそうなんです。効くと思えばよく効きますし、副作用ばかり気にすれば副作用が大きく出たりします」

「病は気から……というのも、同じなんですね」

「その通りです」

「じゃあ何で、代替医療や民間療法がダメだって言われるのでしょう……? 前の担当医も、代替医療を凄く嫌ってましたけど……」


 田井中の眼差しが鋭くなった。


「代替医療は、医学的根拠がなく不確かなデータに基づいているものが多いんですね。命がかかっているのに、そういうものに頼ると、大きなトラブルの元になりますね」

「根拠があると、安心できますもんね……」

「安心できるというより……。根拠の無いものに基づいて行なった治療でもし患者さんが亡くなられたら、“正しい治療をしたら、死なずに済んだろうに。責任取ってもらいます”なんて事になる。そういうわけで私たち医者の立場からは、声を大にして代替医療を勧めることはできないのです」

「やはり、ちゃんとしたお医者さんの言うことを聞いた方がいいのですね」

「でも、医学に100%は無い。標準医療でも、不確かさは常に付き纏うんです。そこは理解しておいて欲しいところです」


 非常に難しい問題だ。しかし、自分の体のこと。しっかりと考えて、今後の事を考えねばなるまい。

 田井中は付け加える。


「どんな医療でも、これから受ける医療のメリットとデメリットをお知りになり、ご自身の人生観に照らし合わせ、ご自身で選ぶ。それがいいのかも知れませんね」


 医学が進歩したのになぜ患者は増えているのだろう……。現代の医療は、信用していいのだろうか。

 人生観に照らし合わせ、受ける医療を自分で選ぶ。そのためには自分の人生と、自分の価値観についてしっかり考える必要がある——。


「思っていたよりも深いお話でした。よく考えて、自分で選択しようと思います」

「もし飛田様が今後大きな病気にかかった時、代替医療を選択するのであれば……」


 田井中は再び、鋭く真剣な眼差しで、訴えかけるように言葉を紡いだ。


「……周りの人、特にご家族や仕事仲間、配偶者にきちんと話すことです。あなたの人生観を、ちゃんと伝えてください」

「それはまた、なぜでしょう……」

「あなたが良くても、残された人たちがどうなるか。そこまでを考える必要があると思いませんか? 是非、ご自身の“死”についての考えを持っておくことを勧めます」


 周りの人のことを考えて、選択する——。

 これから魔王を倒す過程で、大怪我をしたり何か病気にかかった時、薬や手術が嫌だからって否定して、治るのを先延ばしにした場合、仲間たちは何と言うか……。

 死生観を、きちんと伝えておかなければいけない。

 優志は唾をごくりと飲んだ。


「まあ、ホリスティックな医療や伝統医学がかなり見直されてきていますから、医療の選択の幅も広がるとは思います。医者側も、もっと幅広い選択肢を提示して、患者側が幅広い選択肢から、自ら選べるようにするべきだとは思いますね」

「分かりました。しっかり考え、周りに伝えられるようにします。田井中先生、本当にありがとうございました」


 深々とお辞儀をすると、田井中の表情はいつもの爽やかな笑みに変わっていた。

 優志はもう一度頭を下げてから、診察室を後にした。



『お前は、一生病気でい続けるポン』


 相変わらず、ポンタの言葉が聴こえる。

 ポンタの言葉は、ウソだと分かっている。

 

(私は、私が良いと思うことをする。それだけです——)

 

 新しい世界への船出の前に、優志は自身が“死”について、しっかりと考えることにしたのであった。

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