8.アイドルの卵
5月3日、ゴールデンウィーク初日の昼下がり。
1階にコンビニのある小さなマンション。その地下1階には、スナックなどの店が並んでいる。一番手前側にある店が、“OFFBEAT”だ。
学生のイベントらしく昼間からライブが行われており、中からカラオケ伴奏の音と女の子2人の歌声が外に漏れている。
1年以上ぶりに扉を開くと、途端に大音量の音楽が飛田の鼓膜を震わせた。
「飛田くん、久しぶりだね」
音楽に埋もれながら辛うじて聞こえた声。声の主は、OFFBEATのマスター——【
飛田は受付にあるアルコールで手指消毒をしながら、頭を下げる。
財布から千円札2枚を外園に渡し、五百円玉を1枚とドリンクチケット、マンスリーペーパーを受け取った。
90帖のフロアには、高校生ぐらいの男女が6人と、親御さんであろう年配の客が3人のみ。全員がマスクを着けている。
マンスリーペーパーには、『5月3日の学生イベント“ウイルスに負けない! はじけろ高校生!”は、新型ウイルス対策として入場は20人までとし、午後7時には完パケします』と書かれている。
新型ウイルスが流行する以前は、ライブハウスのフロアはオールスタンディングで人がいっぱいになり、ライブ中はモッシュ、ダイブ、コール&レスポンスが盛んに行われていた。
もう、そのようなライブは出来ないんだなと、寂しさを感じたのは自分だけではないだろうと思いながら、飛田はステージに目をやる。
現在のステージは——派手な衣装を身に着けた高校生ぐらいの女の子2人組が、バックに軽快なカラオケ音楽を流し、歌って踊っていた。
お世辞にも上手とはいえず、しかし初々しさとエネルギーに満ちた歌とダンスに、飛田は思わず手拍子をする。
「【
「【
パラパラと、まばらな拍手が起こる。
白を基調とし桃色のリボンが所々あしらわれた衣装に身を包み、茶色がかった髪をサイドテールにした身長155センチメートルほどの女の子——
白と水色を基調としたセーラー服に、水色の水兵帽、水色のネクタイがよく似合い、腰まで伸びた艶やかな黒髪の、身長165センチメートル足らず。切れ長の目でクールな印象の女の子——
2人は横に並び、ペコリとお辞儀をした。
♢
すべての出演者のステージが終わり、お客さんに続いて出演者たちが続々と帰って行く中、飛田はマスターの外園と話していた。
「飛田くん、飲まないのか」
「はい、お酒はやめてるんです。実は胆石やっちゃって」
「おいおい、大丈夫か。まあ俺も胃悪くしたからなあ。そうか、お前ももう無茶は出来ない歳になったかー」
「それより新型ウイルスの影響、大変ですね。OFFBEAT、存続して欲しいです……。あ、それでですね、マスターに相談がありまして……」
外園に、本題である作編曲の案件の相談を持ちかけようとした時だった。
「ぶべええ、マズダーあああああっ!
「こら、
先ほど、ステージで歌っていた女の子たちだ。
悠木愛音が駆け寄ってきて外園に泣きつき、それを雪白友莉が制止する。
外園は、悠木と雪白の頭をポンポンと撫でた。
「愛ちゃん、
外園にそう言われた悠木は、泣き顔を笑顔に一変させる。
「えへへー、ありがとうマスター! なんてたって、私たちアイドルを目指してるからねッ!」
「もう……愛音、はしゃぎすぎ」
外園は電子タバコの煙をふかしてからマスクを着け直すと、2人の目を見ながら言った。
「君たちは偉いね。学業のさなか、新型ウイルス拡大でなかなかライブ活動ができずずっと悩んでた。それでも負けずに頑張ろうって気持ちが、今日のステージから伝わってきたよ。俺も、もっと頑張らなきゃな。新型ウイルスなんかに負けてはいられないさ」
悠木、雪白は嬉しそうに向き合い、頷いた。その2人の目の輝きに、飛田は心打たれた。悠木と雪白のステージを思い返し、思わず口にする。
「やりたいことやれるって、素敵ですね」
満足気に外園は頷く。そんなオジさんたちに見守られる少女たちは、未だにエネルギーを持て余している様子だ。
「ユニット名を決めなくちゃね、
「……うん」
「推し? 推しって何だ推しって」
外園は苦笑いしながら、若き2人に口を挟む。
「推しってゆうのはねー、誰かに薦めたいくらい好きな人のことだよ! んとねー、私の推しはあー、“ジョーカー&プリンセス”の、【
「……私の推しは、“
悠木と雪白の推しの話に、「へぇぇ、聞いたこと無いな」と笑う外園。
(ん? 北村修司くんと言えば……)
飛田は、ふと“夢の世界グランアース”での一場面を思い出す。
ラデク、サラーと共に繁華街“モヤマ”に初めて訪れた時に宿屋の食堂で見かけた、王子アルス——。
彼は、北村修司にそっくりだった。
「どーしたの? おじちゃん」
突然悠木に話しかけられた飛田は、飲んでいたオレンジジュースを気管に入れてしまう。
「ごふっ! ……いや、何でもないです」
「こら愛音、お兄さんって言わなきゃダメでしょ」
「飛田くんはもうおじさんでいいだろ、あっははは。あ、ほら2人とも、親御さんが迎えに来たよ」
好き勝手に言う外園、悠木、雪白に、飛田は「もう何でもいいですよ……」と返した。
撤収時間が迫り、ホールに流れている音楽がフェイド・アウトする。
その時だった。
ガサっと、背後で物音が聞こえたことに飛田は気付く。
(……ん? 何でしょう、今のは?)
振り向いてみると、スピーカーの陰で——白いモフモフした何かと、黒いモフモフした何かが動いていた——気がしたのだった。
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