5.病魔と、小説家の夢

 

 最大の問題である胆石症はどうなったかというと——。


 処方された薬の効果か、夢の世界における“生命の水”のおかげか、はたまたねずみの医師ハールヤのツボ押しによる治療のせいか——ひとまず、脇腹の痛みに悩まされることはほぼなくなっていた。

 とは言え、患部の違和感はまだ完全には消えてはいない。


 “自然治癒力を引き出す”を治療方針に掲げるハールヤにすら、「手術が必要」と言われていたのだ。そんなに簡単に治るはずがない。


 手術が嫌で逃げ続けていた飛田とびただったが、このまま“邪竜パン=デ=ミール”をはじめとする強敵と戦い続ける訳にはいかないことは、重々承知していた。かつての勇者マイルスにも、病を得たまま魔王に挑んではいけないと、ハッキリ言われている。


(受けましょう、手術)


 いっそ手術を受けて、スッキリしてしまうのがいいのかも知れない——。これは私自身の戦いなのです——。この試練を乗り越えれば、きっと魔王にも勝てます——。

 飛田は自分自身に、そう言い聞かせていた。


 手術を受ける場所の選択肢は、2つ。

 松田病院か、ねずみの医師ハールヤの医院か。


 ハールヤは良き医者であり、共感できる話も多いと飛田は感じていたが——さすがに異世界での、しかも人外による手術を受けるのには抵抗があった。


 判断は保留にし、ひとまず飛田は松田病院に出向く。今日は定期検査だ。

 電話で予約を済ませ、マスクを装着してから出発した。


 

 松田病院の入り口には、アルコールの消毒液と検温機があった。

 マスクをつけた人たちが手のひらにアルコールを吹きかけて擦り込んでいる。そして検温機の前に立ち、グリーンライトが灯るとロビーに入っていく。


 飛田も両手をアルコール消毒し、検温して体温が35.5℃であることを確認すると、手早く受付を済ませて待合室へと向かった。


(座席の間隔、こんなに空けなきゃいけないのですか……。ん? あそこにいるのは)


 目に入ったのは——以前「運命が憎い」とぼやいていた40代後半ぐらいの肥満体型の男性——佐藤さとうゆたかだった。

 以前話した時よりも、さらにどんよりとした表情でうつむいたままの佐藤は、じっと名前を呼ばれるのを待っているようだ。


「この間の……佐藤さんですよね」


 飛田は声をかけつつ横長のソファに座ると、佐藤は俯いたまま返事をする。


「……どうも。世の中、いいことが無いですねぇ」

「あ、もう一度お願いします」

「世の中、いいことが無いですね、と言いました。生きてても、意味が無いですね」


 距離が離れていることと、マスク越しに声を出していることが要因で、相手に声が伝わりにくい。


「佐藤さん……お辛いでしょうが……諦めず、信じましょうよ。私も色んな出会いがあり、持病も良くなりま」

「その言葉が、余計に辛いんですよ」


 佐藤に言葉を遮られ、飛田は「しまった」と思う。

 気まずい空気をどうしようかと、思った時。


「その通りですよ、そこのお方」


 見知らぬ男性が、飛田に声をかけてきた。


 声の主は、痩せ型で髪がほとんど白くなった中年男性だ。

 ヨレヨレのシャツに、ボロボロの靴。体の一部であるかのように似合っている大きめの黒縁眼鏡だけはしっかり手入れされており、LEDの照明をクリアに反射していた。


「失礼、私は【中村なかむら英三郎えいざぶろう】と申します」


 中村は、1人分のスペースを置いて飛田の左横に腰を下ろした。飛田は、佐藤と中村に距離を置いて挟まれる形となる。

 しかし佐藤はこれ以上飛田たちと関わるまいと思ったのか、背中を丸め下を向いた。


「すみません、中村さん。私が無神経なことを言ってしまったので……」


 佐藤が下を向いてしまったので、飛田はやむなく先に中村へ謝罪をする。


「こちらこそすまない。諦めず、信じた結果が私の病状だから……つい言葉が出てしまった」


 しっかりと目を見て話す中村に、飛田は少しばかりの安心感を覚えた。

 言葉を選び、中村に尋ねる。


「失礼を承知でお尋ねしますが、どのようなご病気を……」

「病名は言えない。だが……気付いた時にはもう手遅れだった。余命、3ヶ月」


 マスク越しに聞こえる中村のハキハキとした答えに、飛田は絶句する。


「私は、小説家を目指していた。書籍化を目指し小説サイトで結果を出すべく、寝る間を惜しんで書き続けた。が、今書いていてコンテストに出している作品ももう終盤なのに、未だPVピーブイは500にも行かないし、作品評価を示す星の数は18……。書籍化はおろか、目標のPV10万、星1000にすら、到底届きそうにもない」


 中村の目が潤んでいることに気付く。


「私の作品は、知人からも師匠からも評価されている。良作だという自信もある。だが何千もの他の優秀な作品の中に埋もれ、見向きもされない。人気が出る作品というのは、投稿されている作品中のなのだ」

「中村さん……」


 音楽の世界も同じだ。

 いかに名曲を生み出そうとも、いかに秀でた演奏技術、編曲技術を持っていようとも、注目されなければ、存在しないに等しい。「その気持ち、分かります」と言いかけ、口をつぐんだ。


「私の病気は、私の年齢ではかかる確率が極めて低いものだ。の確率だ。この病気を、死にたいと思っている人に渡したい。私は生きて、もっと小説を書きたい……」


 中村の目から涙がひとつ、零れ落ちた。


「私の作品は何千人分の1の中に埋もれてしまうのに、なぜ私の病気は何千人分の1の確率で当たるのだろう。理不尽だ、人生は……」

「飛田優志さーん」


 空気を読まぬ職員の女性の声が、待合室に響いた。


 飛田は中村に向かいそっと頭を下げると、重い足取りで診察室へと向かった。

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