27.手術宣言


 マッサージを受けながら、飛田とびたはハールヤの言葉の意味を考えていた。

 子供の頃から周りに言われてきた否定的な言葉の数々が、予想以上の影響を今の飛田自身に及ぼしているかもしれない——。


「惑わされずに、本心に従うコツなどはありますか?」

「“何事も、良いように捉えること”です。例えば何かに失敗しても、それが糧になると思うこと。そうすると脳から麻薬物質が出て、いい気分になれますし、健康にもなれますし、頭も冴えて解決の道筋も見えやすくなります。否定的な声が聞こえてきても、すぐにウソだと分かるのですよ」

「プラス思考、ですね」

「はい。ねずみ族が何故みんな幸せに暮らしているのかというと、それは誰しも、何事もプラスに考える習慣があるからなのです」


 プラス思考。世間ではよく言われることではあるが、言うは易し、行うはかたし。気づけばマイナス思考になりがちなのが、人間の心というもの。

 飛田もそのことは自覚していたが、今後はなるべく意識して何事もプラスに考えようと決意したのだった。


「やはりプラス思考、大事ですね。……あ、さっき仰った、脳の麻薬物質って一体……?」


 脳内で、麻薬のような物質が分泌されるという。初めて耳にする話に、飛田は興味津々。

 ハールヤは、理解しやすいようゆっくりとした口調で説明する。


「専門的な話になるので詳しくは控えますが、要するにいい気分になる時、幸せを感じる時には、脳から麻薬ともいえるような快感物質が出ているのです。その物質は体にも作用して、悪いところをも治してしまう。要するに、ということです」

「プラス思考ができれば、体の中の薬が作用して、体も元気になれる、ということなんですね」

「そういうことです」


 凝りが酷い肩を丁寧にマッサージしてもらいながら、問答する。あまりの気持ち良さに、眠気を催してくる。


「……でも私は、すぐにへこたれてしまうんですよ。なかなかプラス思考というものが出来なくて……。根性が無いといいますか」

「根性で何とかすることばかりが全てではありませんよ。無理に粘る必要はありません。肩の力を抜いて出来る範囲で物事をプラスに捉え、少しでもを感じられるようにすれば良いのです。すると脳内の快感物質が、心と体に活力を与えてくれます。試練のような出来事も、辛さを感じずに楽々、乗り越えることができます」


 下がってくる瞼と戦いつつ、ハールヤの話を咀嚼する。


「なるほど……プラス思考が身につけば、楽に試練を乗り越えられる、と」

「あまりプラス、プラスと意識せずに、たまには思い切りマイナス思考になってもいいのです。要はリラックスですよ」

「リラックス……ですか。意外と難しいんですよね、リラックス」

「難しく考えず、息を整えてボーッとするだけでもいいんです。そうやって力を抜いて幸福感に包まれれば、問題解決への閃きなども得やすくなります。少し非科学的な話になりますが、リラックスした状態で脳の麻薬物質を出せれば、脳は遺伝子に刻まれた“あなた本来の生き方”を、“閃き”という形で教えます。その生き方こそが……先程の否定的な言葉に惑わされない、生き方なのです」


 ハールヤの話は、飛田の目からいくつもの鱗を落とさせる。

 所々怪しげな部分はあるものの、一連の話に飛田は納得した。


「はい、終わりました。いかがですか?」

「体が軽いです。体全体がポカポカするといいますか……」


 そっと体を起こす。肩の凝りはすっかり治り、意識せずとも呼吸が深くなっている。


「病気を治すには、休むだけでなく、体を動かすのも大切ですね。筋肉、特に下半身の筋肉をつけましょう。特に人間さんは良く歩くと、ずっと若々しくいられるようです。それは人間の遺伝子には“よく動いて誰かのために働くべし”と刻印されているからだと、私は思います」

「分かりました。確かに、最近は全然運動してませんでした……!」


 何度も三日坊主になって終わっていた筋トレを、また改めて始めようと飛田は決意する。


「ハールヤ先生! 私、プラス思考で、運動をしっかり続けます!」


 ハールヤは穏やかな表情のまま、ゆっくりとした話のペースでもって、逸る気持ちの飛田を諭す。


「無理せず、功を焦らないのが大切です。激しく運動すると、活性酸素が発生します。活性酸素は老化の原因になりますから、飛田様の年齢でしたら、スロースクワットとストレッチ、ウォーキングなど緩やかな運動を1日合計30分から始められるのがオススメです。慣れれば、少しずつ時間を増やしてください」

「無理をせずに、ですね。分かりました」

「あとは、酸化した古いものや、甘すぎるものを食べないことですね。酸化と糖化も、老化を促進します」

「新鮮な物を食べる、と……」


 次々に脳へと入ってくる知識を、飛田はどうにか処理しようとする。無意識に肩のあたりが強張る。が、すぐにそれに気づき、フッと力を抜いてみる。

 リラックス。

 すると、ハールヤの言っていることがスッと理解できるようになる。

 

「後で人間さん用の献立をお渡ししますから、できるだけそれに従ってお食事をなさってください」

「何から何まで、ありがとうございます……」

「あと、マッサージ後に起こる“好転反応”があるかもしれません」

「好転反応……ですか」

「血流が良くなったため、凝っていた場所に溜まっていた毒が一時的に体を巡って、体調を崩すことがあるのです。数日経てば治りますから、心配しないでください」


 “好転反応”という言葉は科学的根拠が無い、ということも、飛田はどこかで耳にしたことがあった。すぐさま質問をぶつける。


「ねずみさんの世界では、好転反応は科学的な根拠は証明されていたりしますか……? それに、好転反応だと思ったら実は病気だったり、あるいは持病が悪化してるだけかも知れませんよね。そこは、どう区別すればいいのでしょう?」


 シビアな質問を投げかけても、ハールヤは決して言葉を詰まらせない。


「好転反応は科学的には証明されてはおりませんが、先程も言ったように、だからといって存在しない訳ではありません。実際に私が診る限り、好転反応の後はスッキリ体調が良くなったという場合がほとんどです。長くとも1週間程度で治りますが、もしもそれ以上続くようなら、なるべく早目に私のところへいらして下さい。そこで本当の原因を探せばいいのです。早めの対処が大事です」

「よく分かりました。……で、肝心の……」


 一番尋ねたかった質問を、飛田は思い切って投げかけた。


「肝心の、胆石症は治るのでしょうか?」


 ハールヤは穏やかな表情のまま、あっさりと返す。


「しっかり治すには……が必要ですね」


 手術——。

 まさかの返答に、飛田の高ぶっていた気分は一気に急降下した。


「手術は、……嫌です!」

「あ、飛田様!」


 飛田はベッドの部屋を飛び出すと夢中で走っていき、待合室のソファに飛び込んだ。


(やはり、手術しなければならないのですか……)

『ほら、やっぱりダメだったポン。お前の病気は治らないポン』


 再び聴こえてきた幻聴——。

 飛田は自分の心を見つめる。それはウソだ、それはウソだ、それはウソだ……。

 しかし何度ウソだと言っても、否定的な幻聴の言葉を振り払うことは出来なかった。


 結局、ハールヤの言葉は半信半疑のままにとどまってしまった。

 ただ、飛田の脇腹の痛みが、スッキリおさまっていたことだけは確かである。

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