2.もう1つの異世界へ


 12月28日。真冬だというのに、ぽかぽかと暖かな朝のことだった。

 その日も飛田とびたは居酒屋の仕事を休み、部屋で好きな音楽を聴きながら、ぼおっと考え事をしていた。


 病気も完治はしていないし、お金も無い。完治したらしたで、多忙を極める居酒屋の仕事が待っている。不安もたくさんある。


 一般的に飛田の年齢だと、結婚して子供を儲け、家や車を購入し、社会的にもそれなりの地位を築き、それなりに出世もしていたいと思うものかもしれない。

 

 飛田は結婚するどころか彼女もおらず、貯金もなく、安アパート暮らしだ。

 だが、自らの才能を発揮しながら好きな音楽の仕事もしてこれた上に、良き仲間にも恵まれている。昔よりは、幸せな人生になったなとは思える。将来のことで口うるさく小言を言った母親とも、今は仲良くやれている。人生においてやりたい事も少しずつやれている——。


 何だかんだで幸せなんだな、と飛田は思った。

 世間一般でいう幸せとはかけ離れているかもしれないが、幸せを、少なからず飛田は感じていた。


 少し気分が良くなった飛田は、思い切り伸びをしてから部屋を出ようとする。

 その時、気付いた。


 部屋の隅の床が、虹のような7色の光を放っている。


 不審に思った飛田は、恐る恐る近づいてみた。


「……うわあ! な、何ですかこれは!?」


 その光を覗き込んだ時だった。飛田の周りを眩い真っ白な光が包む。

 そして光の中から、アニメでよく聞くような女の子の高く可愛らしい声が聞こえてきた。


「びっくりさせてごめんね、優志まさしくん。初めまして」


 一体何なのだ、これは——。



 だんだんと白い光が晴れてくる。周囲の景色が見えてきたが、そこは——。


 何と、薄暗くジメジメとした洞窟の中のようだ。ひんやりとした空気が、鼻孔に入ってくる。

 周りを見渡すが、白い光は完全に消えてしまっている。光の中で、何処かにワープしてしまったのだろうか。


 唖然としていると、小さな黄色い光が、浮遊していることに気付く。

 見ると、金色に光るモンキチョウのような生き物が、光を撒き散らしながら飛んできた。


「あなたが、優志くんね」


 そのチョウに話しかけられる。

 よく見ると、黄色い羽以外は人のような姿。金色の長い髪の中に見える耳は尖っており、緑色の薄手の服を着ている。

 飛田は口をあんぐりと開けたまま、目の前で光を放ちながら飛び回る謎の生き物を、ただ見ているしか出来ないでいた。


「あたしは風の精霊、【ミランダ】よ。優志くんの、という思いを感じ取ったから、試しに【ワープゲート】を開いてみたの。びっくりさせてゴメンね!」


 風の精霊ミランダは光を撒き散らしながら嬉しそうに、飛田の周りを飛び回った。


「チップくん……ですか? あっ!」


 飛田はハッとする。

 大学生の時に見た、絵本の世界に行く——小さな小さな9匹のねずみの家族が、自然いっぱいの森の中で生活する様子の描かれた、絵本の世界——を思い出す。

 の中で、ねずみサイズになったかつての優志は、ねずみの家族のきょうだいの次男——青いキャップの似合う“チップ”くんと仲良くなったのだった。


 飛田は、チップくんたちと過ごしたひと時を思い出しながら、洞窟の中を見渡す。うっすらと、見覚えのある風景だった。


「思い出しました! この洞窟は、絵本の中の……チップくんたちの遊び場、【ヒミツキチ】です! ……ということは、ここ夢の世界なんでしょうか?」


 試しに自分の頬をつねってみた——が、はっきりとした痛覚を感じた。目は覚めない。

 不思議と、体が軽い。


 十数年前のその時の感覚がだんだんと思い出される。若い頃の気持ちが、帰ってくる。


 ねずみさんたちに、また会えるのでしょうか。みんな元気でしょうか——。


 飛田は、飛び回るミランダに話しかけた。


「ミランダさん……? ここはの世界なのでしょうか?」

「夢? 何言ってるの、紛れもないよ。それにさっき絵本だとか何とか言ってたけど、絵本の世界でもないわ。よ」


 これが現実ならば、目の前を飛び回る金色こんじきの存在は一体何なのだ。

 浮遊するような不思議な気分のまま、質問を続ける。


「……いずれにしても、私が前にこのねずみさんたちの世界に来てからは、ええと……16年の年月が経ってるんですけど……。ここは16年後のねずみさんたちの世界なのですか?」

「16年!? あたしの時間調整ミスね……。優志くんがすぐ後にゲートが現れるよう設定したはずなのに……。ここは今、優志くんが帰ったあの日から、まだ30日くらいしか経ってないわ。でも、またねずみのみんなに会えるのなら、どっちにしても良かったじゃない。ほら、行っておいでー!」

「帰った日から……? そういえばどうやって帰ったのでしょう……。と、とりあえず、ありがとうございます。ミランダさん」


 飛田は、回らぬ頭をフル回転させて当時を思い出しつつ、考える。

 ミランダが言うには、飛田がかつてねずみの世界をから、30日しか経っていない所(当時の飛田は21歳)へ、現在の飛田(37歳)が来た、ということになる。

 ここは果たして夢か、現実か。それは分からないが、まずはチップくんたちに会おう。

 飛田は当時の微かな記憶を頼りに“ヒミツキチ”という名の洞窟の出口へと向かった。



 洞窟を出ると、冷え込んだ初冬の空気に包まれた。

 飛田の背丈よりも、ずっと大きな草花がそこかしこに生えている。やはり飛田の体は、かつてと同じく、ねずみサイズになっていたのだ。


 確かに、16年前に見た光景だ。

 段々と思い出されてくる。就職活動に疲れた大学4年生の夏の夜、眠って目が覚めたら、飛田は草原に大の字になって眠っていた。

 周りの草花が、やたらと大きくて腰を抜かしたことを思い出す。


 そしてチップくんたち9匹のねずみの家族と、14日間を過ごし——。


 14日目、9匹のねずみたちとの別れ際。

 彼らに「ステキな人生を生きる」と約束をしていたことも、思い出した。

 そして、最年長のねずみのおじいさんから、「一度元の世界に帰ると、二度とねずみたちの世界には戻って来れない」と、聞かされていたことも。

 14日目の夕刻、沈む夕陽に向かって川沿いの道を歩いていたら、いつの間にか元の世界——自身の部屋にいたということも。

 靄が晴れるように、段々とその時の記憶が息を吹き返してくる。

 本当に、不思議な体験だった。


 足取りが、自然と軽くなる。


 現在の飛田は不安や悩みこそあれど、自分なりのステキな人生にはすることができたから——。


「神様からのごほうびとして、またここに来れたのでしょうか」


 一言呟くと、木枯らしのような風が吹いて森の葉っぱがざわざわと鳴った。


 ひときわ、大きなコナラの木が見えてくる。天を穿うがつように聳え立つその木には、玄関の扉と、小さな窓がある。この木が——9匹のねずみたち——チップくんたちの家族の住処だ。


 飛田はコナラの木に歩み寄り、玄関の扉をコンコンとノックした。

 中からドタドタと走る音が聞こえたのち、扉が開く。


 姿を現したのは、青いキャップをかぶったねずみの男の子——【チップ】。

 住処の中には、オレンジ色の服とスカートを着たチップの妹ねずみと、赤いエプロンをつけたねずみの母親の姿が見える。


「チップくん、みんな。また会えましたね」


 ひと呼吸おいて、チップたちに話しかけた。

 するとチップは大声ではしゃぎ出す。


「あーーーー! 優志まさしにいちゃん! やったあ! また会えたよ! ナッちゃーん!」


 ナッちゃんと呼ばれたのは、チップの妹の【ナナ】。

 呼び声に気付いたナナは、飛田の姿を見るや、喜びの声をあげて駆け寄り、抱きついてきた。


 ねずみでありながら、その表情、声、仕草は、まるで人間のよう。


「優志兄ちゃん! 会いに来てくれて嬉しい! わーい!」

「ふふ、チップくん、それから、ナッちゃん……でしたね。ちゃんと会いに来ましたよ!」


 はしゃぐチップとナナを撫でていると、部屋の中に、ねずみ以外の動物の姿があるのを確認する。


「……あれ? 猫……ですか……?」


 玄関の扉をくぐると、そこには9匹のねずみの他に、十数匹もの猫の姿があった。

 しかし何故か、ねずみたちと同じ体のサイズである。

 そしてねずみたちと同じく、服を着て、言葉を話し、二足で歩いている——!

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