15.現代病の猛威


 夕刻の、コハータ村——。


 遠くに、屹立きつりつする“生命の巨塔”が見える。先端からは白き“生命の水”が、オレンジ色に染まる空に高く高く噴き上がり、一帯に恵みの雨を注いでいる。


 普段着に着替えた飛田ミオンは、空き地の草原に寝転び、降り注ぐ“生命の水”を浴びながら、うとうとしていた。

 暖かな夕陽、心地良く降り注ぐ“生命の雨”。今にも眠りに落ちてしまいそう。


 ——と、その時。


『お前は病気で死ぬポン』


 誰かが、話しかけてきた——そんな気がして体を起こしたが……周りには誰もいない。


「ん? ……気のせいですか」


 再び寝転び、目を閉じる。


「……様、勇者ミオン様!」


 数分ののち、また誰かに話しかけられる。再び体を起こすと、今度は私服姿のサラー、ラデクが目の前にいた。


「サラーさん、ラデクくん!」

「さっすが勇者ミオン様ー。村のみんなの病気はみんな、治ったわー。私あまり役に立たなかったかもだけどー、また何かあったらよろしく、ねっ!」

「勇者ミオン様! 僕、憧れのミオン様と旅ができて、本当に楽しかったよ! 母さんの病気も治ったし! 次は魔王を倒さなきゃね……その時はまた、連れてってね!」


 2人の嬉しそうな顔を見て、飛田ミオンも自然と頬が緩んだ。


「こっちこそ、ありがとうございます。そうですね、まだこれで終わりではありませんね。魔王を倒さねばなりませんね……」

「でもミオン様すごく疲れた顔してるからー、よく休んでねー」


 サラーにそう言われ、頭をナデナデされる飛田ミオン

 あまりにそれが心地良かったためか、飛田ミオンはそのまま寝転んで目を閉じ、眠りに落ちた——。


 ♢


「……さん? 飛田さーん? ……飛田とびた優志まさしさーん」


 京都市にある総合病院、松田まつだ病院の救急病棟、救急一般病室——。

 ベッドの中で、目を覚ます飛田とびた

 

「……あれ、ここは……?」

「あっ、飛田さんが目を覚まされました。大井先生ー!」


 担当医を呼ぶ、看護師の声。

 飛田は、腹痛で気を失って救急搬送されて以来、ずっと——を、見ていたらしい。


「良かったです、気が付かれて。痛み止めを打っておきましたから、ご安心ください。落ち着いたら、検査を始めましょう」


 日付は、飛田が倒れた日と変わらず、12月15日。数時間で、何日分もの夢を見ていたのだ。“勇者ミオン”として、異世界で活躍する夢を——。



 血液検査やX線検査などの精密検査の結果、飛田の脇腹の痛みは【胆石症たんせきしょう】であることが判明した。


 ついでにと、半強制的に胃カメラや心電図などの検査をされることとなってしまった。


「……胃カメラは無理です……」

「では、眠剤を飲みますか? 眠っている間に終わりますよ」


 それはもう、地獄のような時間だった。



 検査地獄が終わると、飛田は一旦家に帰るように指示された。


 わずか半日のことなのに、何日も家を空けたような気分になる。

 アパートの扉の鍵を開け、埃臭い部屋に入るなり、ベッドに横になる。


 飛田は母親に連絡し、自身の病状を告げた。心配したであろう母から、「野菜をたくさん送るからちゃんとした物を食べなさい」と、1分も経たずに返信が来た。


「……不規則な生活が……こんなことになるなんて……」


 飛田はベッドに寝転びながら、今までの自分の生活ぶりを激しく後悔した。


 ♢


 後日、検査結果が出たとのことで、飛田は病院に呼び出された。


 恐る恐る、診察室に入る。

 そこには、白衣を着た、いかにも昔やんちゃをしてそうな雰囲気の50代前半の医師が、ドカッと股を開いて座っていた。

 勢いのある関西弁のイントネーションで、挨拶をする医師。


「こんにちはー。【中田なかた幹夫みきお】です。先日は大変やったねえ」

「……はい。さすがに懲りました」

「検査結果やけどねー……」


 検査結果のシートを見ながら、中田は眉をしかめる。

 その内容は——。


 総ビリルビンが3.1mg、GOT=140、GPT=76——つまり肝機能が悪い。黄疸おうだんが認められ、肝炎と脂肪肝の可能性あり。

 血圧は収縮期182、拡張期101——高血圧。洞性頻脈どうせいひんみゃくが見受けられ、心臓の鼓動がやや不安定。

 肺や呼吸器は異常無し。

 空腹時血糖値は138、HbA1cヘモグロビンエーワンシーは6.5%——糖尿病の可能性あり。

 腎機能も悪い。

 ピロリ菌は陰性だったものの、ストレス性の慢性胃炎、逆流性食道炎あり。虫垂炎も認められる。

 自覚症状としてアトピー性皮膚炎、さらに酷い肩こりがあり、自律神経失調症も指摘される——。


「それから、深い虫歯もあるねー。歯医者さんで治してもらってくださいねー」

「そんな……私は今まで病気なんかしてこなかったのに……前の健康診断はB判定だったのに……」


 中田は冷めた表情で、淡々と言葉を紡ぐ。


「もう無理できひん歳やからねー、気ぃつけへんと、ちょっとしたストレスですぐ病気なってしまいますよー。ほんで、胆石のことやけど、手術を受けてもらいます。ほっといたら急性閉塞性化膿性胆管炎へいそくせいかのうせいたんかんえんになって、命に関わるかもしれへんしなあ」

「しゅ……手術……」

「手筈を整えとくし、手術の時期決まったらまた連絡しますさかい……」


 飛田は思わず、立ち上がった。


「嫌、です!!」


 勢いで、車輪のついた椅子が後方へ滑っていく。


「嫌って、そんなん、いつまでも治らへんでー? どんどん悪うなるでー?」

「……失礼しますッ」


 飛田は中田の言葉を最後まで聞かず、診察室を飛び出してしまった。


「ちょっと、まだ話終わってへんって! ……しゃあないなあ。薬を出しますから、絶対飲んでくださいね。また連絡させてもらいますー」


 閉まってしまった扉越しに、中田の言葉がこもって聞こえた。



 受付で支払いを済ませ、処方箋を受け取った飛田は、ため息をつきながら薬局へ移動する。

 薬局で処方箋を渡すと、何種類もの薬が出された。胃の薬、血行促進剤、利尿薬、痛み止め、精神安定の薬。こんなに何種類も飲んで大丈夫なのか——? 

 何故、ますます不安になるようなことを平然と言う医師がいるのだろうか。そもそも何で医師が、あんなに威張っているのか——。

 飛田の心に、暗雲が立ち込めた。


「やっぱり、医者なんか、病院なんか……大嫌いです!」


 スッキリしない思いを抱えたまま、帰路を急いだ。



 帰宅後。

 テーブルの上に、山のような薬と検査結果のシートとを放り出したまま、ベッドに横になり、ぐったりとする。

 母が届けてくれた野菜も、食べる気が起こらない。

 

「手術なんて……絶対嫌です……。それよりも“生命の巨塔”を直したのに、私の病気は全然治ってないじゃないですか! やはり所詮、あれは夢の中の出来事だっんですか……」


 飛田は、擦り傷で自分の血を見るのすら苦手だ。自分の身体をメスで切り開かれるなんて、想像するだけで気を失いそうになる。一生、手術なんて経験せずに人生を終えたいと、飛田は思っていた。


 ボーッと天井を見つめていると、また脳内に声が聞こえる——。


『お前は治らないポン。お前の大嫌いな手術をするしかないポン。嫌なこともしなきゃ、お前は幸せになれないポン……』

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