16.あの頃は良かった


「何なんですか、さっきから!」

『このままだとお前は幸せになれずに死ぬポン……ポンポコリン……』


 部屋には飛田とびたしかいないのに、言葉が聞こえてくる——それも、落ち込ませるような、嫌がらせるような言葉を。

 とうとう幻聴まで聴こえ出したのかと、さらに暗澹あんたんとした気分になる。


 溜め息を1つ吐いて本棚の方に顔を向けると——1冊の絵本が、飛田の目に入った。


 それは、小さな小さな9匹のねずみの家族の、自然いっぱいの森の中で生活する様子が描かれた絵本である。

 まだ3〜4歳の頃だった飛田優志まさしは、その絵本を夢中で読み耽り、ページの中に隠れている虫や草花、木の実を、隅々まで一生懸命に探していたのだった。


 久しぶりに、その絵本を手に取ってみた。

 表紙には、青いキャップをかぶり、無邪気に笑うねずみの男の子が描かれている。


 そっと、ページを開いてみる。


 ページ全体に描かれた、青い空と緑の野原の絵。そこで楽しげに駆け回る様子が描かれたねずみの子供たちは、今にも動き出しそうだ。


(……そういえば……。大学生の頃……不思議なを見ました。この絵本のねずみさんたちに会って、遊ぶを……)


 飛田がかつて見たという、不可思議な

 それはねずみサイズになって、絵本の世界で暮らす——。


 あまりにも印象的なだったため、その情景は飛田の記憶に色濃く残されている。


(表紙の、青いキャップのねずみの子……【チップ】くんという名前でしたっけ。野山や洞穴で鬼ごっこをしたり、美味しいおやつを食べさせてもらったり……。そうだ、ねずみのおじいさんには、自分の将来の夢を語ったりもしました。……何でこんなに覚えてるんでしょうか。私は、リアルな夢を見やすい体質なんでしょうか)


 その不思議な夢を見た当時、飛田は就職活動の真っ最中だった。

 その後、結局就職せず、自身の将来の夢に向けて音楽の道を志した。が、結果が出せずに27歳で音楽を諦め、一般企業に就職。

 しかし上司のパワハラに耐えかねて半年で退職した。1年間のニート生活を送った末、再び音楽を志し、コンテストで成功を収めたことを機に作曲業を開業。ニート生活中にSNSを駆使して築いていた人脈のおかげで仕事は繁盛し、念願のプロの音楽家になれたのである。

 しかし収入は微々たるもので、音楽だけでは食えず、居酒屋のバイトと掛け持ちをしながら細々とした暮らしを続けていたのだ。


 後に、居酒屋の正社員になり、作曲業を兼業しながら、今に至る。


 お金もなく、結婚も出来ない。おまけに、病気になってしまい、仕事も休むことになってしまった。

 病院代、検査費用だけでも、何万円ものお金が出て行ってしまい、お先真っ暗だ。


(9匹のねずみの家族に元気をもらい、夢から覚めたあの時……。私は、望む未来に向かって頑張ろうと思えましたっけ。あの時は、体もすごく元気でした……)


 若かりし大学生時代。あの頃は良かったなといくら思い返しても、現実は何も変わらない。

 だが、過去に逃げ込んで、懐かしい気分に浸るだけでも——少しだけだが、飛田の心に温かな光が射し込むのだった。


(無邪気なねずみの子……チップくんと、またお話したいです。ねずみの家族みんなとも、また会いたいです……。また夢の世界に行けるのなら……ねずみさんたちの絵本の世界に、もう1度行きたいです……)


 ふうと息を吐いて、絵本を閉じた。


 滅多に雪が降らない地域なのに、外は吹雪だった。唸るような風の音が、部屋の中まで聞こえてくる。

 天気予報を見るため、飛田はスマホのニュースサイトを開いた。

 ニュースサイトの一番上のトピックスには、赤文字で『速報』と書かれている。


『中国の原因不明肺炎、新型ウイルス発生の可能性——』


 ♢


  〜STAGE1.生命の巨塔を修復せよ〜——Cleared!


 Next Stage——

 〜STAGE2.猫戦士たちと共に、新型ウイルスのパンデミックを阻止せよ〜



————————


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