第28話 隣の芝生はあおく見えるもの

「先輩、ありがとうございました!」


 午後から出社した私は後輩と共にややこしい案件を片付けて、今は休憩室で温かいコーヒーを飲んでほっと一息入れているところだ。


「ううん、こちらこそ。急に休んじゃったから迷惑かけちゃったし、気にしないで」

「はぁ~……先輩に頼らなくてもしっかり仕事できるようにもっと頑張らないとなぁ……」


 後輩は頭をがっくりと下げて、小さく声をもらす。

 私はそれを聞こえないふりをして、話題をそらす。


「今日のお昼、うちの近所で見つけたキッチンカーのだったんだけどどうだった?結構美味しかったと思うんだけど……」


 項垂れていた後輩はパッと顔をあげて、食べたものを思い出すかのように指を口元にあててうっすらと笑みを浮かべる。


 ……お気に召したのはいいけど、あまり人に見せていい顔じゃないわね……。


「もう少し、仕事の割り振りとか休みの取り方とか考えたほうがいいのかな」


 私はふっと思いつき、後輩に聞くような独り言のような微妙なつぶやきをしてしまった。

 後輩は聞き逃すこともなく、私のぼんやりとしたつぶやきにもボールを返してくれる。


「うーん……休みの取り方は今まで通りでいいかと思いますね~。仕事の割り振りについては……今回みたいな至急案件とかの時の対策がまとまってるのとかあれば……先輩の手を煩わせなくてもどうにかなる……かも……?多分……?」


 だんだんと語気は自信なげに小さくなっていったけど、そういう対策をまとめたものがあれば後輩もそれを見ながら自分で対応出来るだろう、と考えているのかな。


 確かに、私は仕事をこなしながらなんとなく仕事を組み立てたりしていたけど、これは仕事の数をこなすことが前提だ。

 簡単なマニュアルみたいなものがあれば、違うのかな。

 でも、マニュアルに頼りっきりでそこから発展性がなくなってしまうのは困る。


 私は、しばらく休憩室の天井の謎のシミを見つめながら頭の中を整理する。


 そもそも作るとしたら、マニュアルは誰が作るのかな。

 それは作る人の負担にならないかしら。

 マニュアルよりも、こう……もっとフランクな……。


「……みんなで、何か共有出来るノートかデータベース作ればいいのかな?」

「なるほどですね。それならデータ共有で、具体的な事案と対応策を経験したメンバーが入力して、それを皆でブラッシュアップしていけば……」


 …………。

 私の一言から、どんどん具体的な案が出てくる。相づちをうつ間もなく、後輩はアイディアを声に出して話を進めていく。

 こんな時、一度思いつくとアイディアがすらすらと出てくる後輩がうらやましい。


 今はまだ私のほうが先輩風を吹かせていられるけど、そのうち後輩に仕事っぷりは抜かれてしまうかもしれないな。

 そうならないように、私もしっかり仕事しないといけないとコーヒーを飲みながら密かに心に誓う。


「じゃぁ、その共有データベースは早速明日から試してみよう」

「はいっ!明日早速他の人にも聞いてみます!」


 後輩はそう言うと、小さく笑って小さな一言をつけたした。


「先輩は、いっつもすぐ解決策を思いついちゃって本当にすごいです」


 それはこっちのセリフだよ。


 後輩の言葉に被せる勢いで言いたかったけど、私たちの性格だとこのまま言い合って終わりが見えなそうなので口から出かかった言葉をグッと飲み込んだ。



 なんとなく、休憩室の雰囲気を変えたくてわざと大げさに両手を上へあげ大きく体を伸ばす。


「じゃ、明日はその共有データベースについて話を詰めながらいろいろ試してみよう」

「了解ですっ」


 後輩も心なしかすっきりとした表情で笑う。

 もしかして、今までも私が気づかないだけで大変な思いをしていた時があったのかもしれない。


 社会人をやって何年目なんだ……もっとしっかりしなきゃ……。


 心にまたひとつ、誓うことができてしまった。




 ◆ ◆ ◆




 うっすらと目をあけると、目の前には家とは違う天井。寝心地の違うベッド。

 後輩へのフォローがなっていなかったことで落ち込んでいたせいか、夜中にマイダの国で目覚めたときにひどく頭が重く感じた。

 どうして昨日はマイダの国へ来られなかったのかはわからないけど、今日みたいな気持ちが落ち込んでいるときこそ、ここへは来たくなかったな。


「起きた-?」


 足下のほうから、のんきな声が聞こえる。

 今はこののんきな声に同じように明るく返せる気がしない。


「……」

「起きてるかなあ?」


 寝たふりをしていても、見逃してはくれないみたい。

 私は仕方なくベッドの中で大きく体を伸ばして、ゆっくり起き上がる。

「やっほー、律歌ちゃん。なんだか顔色が良くないみたいだけど、大丈夫?」

「……大丈夫」

「そうかなぁ?」


 園生くんが声をかけながら、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。

 ベッドの脇で膝をついて、私の顔を見上げる。その仕草がまるでゴールデンレトリバーのようで、私のしょぼくれていた心が少し持ち直した。


 なんて単純な心なんだろう……。


 自分の単純さにどこか呆れつつ、少し気分が晴れてくることに安堵する。

 そんな感情の揺らぎが顔に出ていたのか、園生くんは私の顔をジッと見つめたあと、少し微笑んだ。

 園生くんは立ち上がってゆっくりと私のベッドへと腰掛けると、柔らかい微笑みを浮かべたままゆったりとした口調で話す。


「今日は律歌ちゃんがなかなか起きないから、もうタイムの散歩に行ってきちゃったんだ」

「えっ?そうなの?」


 ダラダラしていたつもりはなかったけど、今日はいつもよりマイダの国へ来るのが遅かったのだろうか。


「うん。ちなみにもう宿の掃除も済んだので、あとは街へ出てブラブラしながら困ってる人を助けるくらいしかないかな」


 嘘でしょ……。私がこの宿に初めて来たとき、園生くんのほうがだらしなかったのに。ここでの仕事を終えてしまっているなんて驚きだ。


「そんなに私寝てたかな……。ごめん、起こしてくれれば……」

「僕もやればデキる男だからね。起こそうとしたけど、難しい顔してたからやめたんだ」


 園生くんはそう言うと、眉間に思いっきりしわを寄せてしかめっ面をした。


「え……そんな顔してた……?」

「ウソ。ちょっと誇張した」

「……もう……」


 私は園生くんのおふざけに呆れつつ、こっそりと眉間をさする。

 寝ている間にしわを寄せて痕がついたらたまらない。


「と、とにかくごめん。今支度するから一回部屋から出て行ってくれる?」


 一度身支度を整えるため、園生くんを部屋から追い出す。


 昨日はなぜマイダの国へ来られなかったのか。疑問は少し残るけど、今日は出遅れてしまったので慌てて身支度を整えて園生くんのもとへ向かうことにした。

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