第16話 安全な場所か、それとも

「…き、ぬふっ」


 思わず、悲鳴をあげそうになって慌てて両手で自分の口をふさぐ。

 よく見ると、園生くんは寝ているようだし、私自身は服を着ている。

 ここが、すずさんの運営している宿だとしたら、他にお客さんがいるかも知れない。他のお客さんやすずさんをびっくりさせてはまずい、と本能的に感じて咄嗟に両手が動いたのだ。


 一人ベッドの上でじたばたしていると、園生くんがうっすら目を開けた。


「ん〜……ぅん?きなこ?寒い?」


 園生くんはもごもご言いながら掛け布団を少し持ち上げて私を抱き寄せた。


「……!」

「きな…………あれ?」


 さっきまで焦点がぼんやりしていた園生くんの目が私を捉え、一瞬でカッと見開いた。


「律歌ちゃん!?あれ?なんで」

「……なんで一緒に寝てるのかはわからないんだけど、とりあえず放してもらっていいかな」


 園生くんは頭から覚醒していくタイプなのか、私を抱き寄せたまま話をすすめようとするので努めて冷静にお願いしてみる。


「え?あぁ……ごめん、僕抱きまくらがあるとつい……」


 そう言いながら、私を抱き寄せていた手を放してくれた。乙女、とまではいかなくてもお年頃の女性を捕まえて抱きまくらって……。

 一言言いたいのをぐっとこらえ、とりあえず園生くんから離れてベッドから降りる。


 私がベッドから離れると園生くんは掛け布団で体をぐるぐる巻きにしてむくりと上半身を起こした。

 そして、なぜかちょっとうつむいてぶつぶつとつぶやいている。


 もしかして、襲われたとか勘違いされていたらどうしよう……。

 そこだけは説明しておかなきゃ!


「あ、あのね、園生くん!これは違うのっ」

「律歌ちゃんってば……こんな大胆な人だったなんて……」


 園生くんが体に巻き付けていた掛け布団で口元を隠しながら、わざとしなを作ってこちらを流し見る。


「違っ……聞いて、園生く」

「うっうっ……」


 園生くんが肩を揺らして泣き真似をしだした。


 ……違う。正確にいうと、笑いを堪えているのを泣き真似で誤魔化そうとしている。


「園生くん!」

「……くっ…あっはは!もう〜律歌ちゃんったらすーごい真剣な顔で『違うの!聞いて!』って言うだもん。はぁ〜もう……おーかしくて……っ」


 園生くんは真剣な顔をしながら私の声真似をするように少し高めの声で話した。

 目尻に涙を溜めるほど笑いこけている。

 年上をからかうなんて良い度胸している……と怒りたいところだけど、それよりも気になることが私の頭にはあった。

 ベッドから近くの椅子に腰掛ける。


「園生くん。園生くんに会えたということはここは園生くんが泊まっている宿で良いのかな?」


 ひとしきり笑ってすっきりしたのか、目尻の涙を人差し指で拭いながら園生くんは答えてくれた。


「そうだよ〜。よくここから目覚めるように変えられたね。……強く念じた?」

「念じてはないんだけど……何かここに来る前に夢を見たような気がするんだよね……」

「ふぅん?どんな夢?」

「えっと…幼稚園くらいの子と小学3,4年生くらいの子が出てきて何か話してた」

「……それで?」

「それだけ。話してるなーと思ったらここにいた」


 ベッドの上であぐらをかいてそこに右肘をおき、頬杖をついていた園生くんはコントのようにずるっとバランスを崩した。ぐるぐる巻になって隠れていた上半身が少しだけ掛け布団から覗いた。


「ちょ……その夢もうちょっと詳しく聞きたい」

「そう言われても夢だし、よく覚えてないよ」


 夢の中の子どもたちの会話はうっすら覚えていたんだけど、起きた時の視界のインパクトが強すぎて夢の内容なんてすっ飛んでしまった。

 起きた時の事を思い出し、顔に熱が集まる。


 園生くんが優しい目でこちらを見て笑う。

 またからかわれるのかと思わず身構えると、園生くんは違うとでも言いたそうに右手を顔の前で振った。


「夢の内容が聞けなかったのは残念だけど、これからここで目が覚めるならもうあんな思いをすることもない。ここなら僕も一緒だしもう安心だね」


 そう言った園生くんは目も口もにっこりと笑った。

 寝癖で重力に逆らっている前髪がぴょこっと揺れた。


「それに僕もカフェテラスまで急がなきゃって慌てなくていいから安心〜」


 園生くんは気が抜けたような声で言うと、ベッドで二度寝しようとする。

 いやいやいや。今起きたばっかりでしょう!?

 体をゆすりながら起きるように催促するも、「あと5分〜」と丸まってしまった。


 しょうがないので、簡単に身支度を整えてすずさんがいるであろう1階へ降りていく。

 階段を降りても、人の気配はなかった。他に泊まっているお客さんはいないのだろうか?そもそもすずさんはどこ?


 受付の辺りでキョロキョロと周りを見渡していると、ドアの外にすずさんの姿が見えた。


「すずさん!」

「あぁ〜!律歌ちゃん!……あれ?いつの間にきたんだい?」


 すずさんは宿の前の道を竹箒たけぼうきで掃除しているところだった。ドアの脇に飾ってあるオリーブの鉢植えにも水を遣ったのか葉っぱが活き活きと太陽の光を浴びている。


 私は今回、園生くんの部屋で目が覚めたこと、園生くんに説明したが2度寝してしまったことを話し、宿の掃除の手伝いを申し出た。

 すずさんは、にかっと笑って「良いのかい?遠慮なく甘えさせてもらうよ〜?」と言うとテキパキと掃除の指示をしてくれた。

 宿の外回りと受付周りの掃除はある程度すずさんが終わらせていて、まだ手を付けていない2階の廊下と園生くんが泊まっている部屋の隣の空き部屋の掃除を頼まれた。


 モップと雑巾、バケツを手に持ってまた2階へ戻り、廊下と窓の掃除から始めることにした。

 そういえば、2階の廊下にはドアが3つと「スタッフルーム」と張り紙がされたドアが1つある。

 1つはスタッフルームなので3つが客室なのだろう。1つは園生くんが泊まっていて隣が空き部屋、残りの部屋にもだれか泊まっているのかな?

 それであれば、なるべく迷惑にならないように掃除しなくちゃ……。


 私は自分の腰の高さほどの位置にある廊下の窓を拭きあげ、モップで廊下を拭き始めた。

 私の身長でも手を伸ばせば何とか窓の上の方にも届くけど、私より少し小柄なすずさんでは台に乗らないと上までは満足に届かないかもしれない。

 それでも毎日すずさんが一人で掃除しているのか、窓も廊下もそんなに汚れている印象はない。

 学校の掃除で使うような大きめのモップをバケツに入れて水を絞り、腰に力を入れてゴシゴシと廊下を拭いていると、学生時代に戻ったようで楽しくなってきた。学生時代はモップではなくて雑巾で床を拭いていたけど。


 そのまま、廊下を拭いていたら園生くんが部屋から出てきた。

 服は着替えていたけど、まだ寝癖はついたままだし目も覚めきっていないのかトロンと半開きで手の甲で目をゴシゴシと擦っている。


「おはよう、園生くん。やっと起きたね?」

「ん、おはよう律歌ちゃん。……何してるの?」

「見ての通り、掃除してるよ。ついでに園生くんの部屋も掃除しちゃうから」


 園生くんは少し口を尖らせて「え……いいよ……」と小さく抗議していたけど聞こえないふりをした。


「あ、それとも一緒に掃除しよっか」

「……僕、挨拶してこなくちゃ」


 園生くんは少し急ぎ足で私の横をすり抜けて1階へ降りてしまった。


「あ、ちょ……。じゃぁ勝手に掃除しちゃうもんね〜……」


 私は掃除道具を手に園生くんの部屋に入った。

 さっき起きた時は慌てていてよく見ていなかったけど、せっかくの角部屋だというのにカーテンは閉めっぱなしで室内は薄暗く、荷物が入っていると思われるリュックは口が開いたままベッドの足元の床に置きっぱなしになっていて、ズボンと靴下がリュックから顔を出している。

 勝手に掃除するとは言ったものの私物を触るのは抵抗があるので、カーテンを開けてベッドメイキングと床掃除、窓拭きくらいでとどめておこうかな。


 まずはカーテンと窓を開けて陽の光と空気の入れ替えをする。

 空気を入れ替えている間にベッドメイキングしてしまおうとシーツと掛け布団を整える。

 次に窓を拭いてしまおうと用意していると、窓から強い風が室内に入ってきて室内を少し荒らしてしまった。


 まずい、と窓を閉めようとしたときに床にあったリュックからパサッと音がして小さなメモ帳のようなノートが1冊落ちてしまった。

 私物にはなるべく触れないようにしたかったのだけど、私はどうしてもそのノートから目が離せなかった。

 ノートが開いた状態で落ちてしまったのだ。


「鈴木律歌」という名前が見えた状態で。

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