第13話 あなたの隣は安全なのですか……?

 それからどれくらいの時間園生くんに頭を撫でてもらっていただろうか。30分くらいだった気もするし、実際にはそんなに長い時間じゃなかったかもしれない。

 怖かった気持ちはすっかりどこかへいき、今は園生くんがいる安心感に心が満たされている。


「いつまでもここにいるのもなんだし、一度僕のいる宿へ行って落ち着こうか」

「うん……ありがとう」


 安心して知らないうちに腰が抜けていたみたいで、立ち上がるのに園生くんの手を借りた。

 園生くんはからかうこともなく、優しく笑いながら立たせてくれた。


「それじゃぁ行こうか。僕の泊まっているところはこの通りをもう少し奥に進んだところだよ」


 私達は脇道から大きい通りへと戻り、園生くんが泊まっている宿へむかって歩き出す。

 園生くんは左手で私と固く手をつなぎ、前方をじっと見ながら歩いている。

 タイムは私を園生くんと挟むように私の左側をぴったりと歩いている。

 いつもなら楽しそうにしっぽを振り、表情もどことなくニコニコしているのだけど、今日はあのようなことがあったせいか、しっぽが下がり少し呼吸も荒い気がする。

 タイムだって、怖かっただろうに勇敢に立ち向かってくれた。あとで、たくさんお礼しなくちゃ。


 こんな一騒動があったのに、相変わらずこの通りは人気がなく閑散としている。

 これだけ静かならあの騒ぎも目立ちそうだけど、園生くんたちの他には人っ子一人見かけない。


 そんな街中に少し違和感を覚えながらも園生くんが利用している宿へむかう。

 その大きな通りから、15mほど更に進んだところに宿があったようで、園生くんがすぐに駆けつけてくれたのも納得だった。

 ということは、やっぱりあの騒ぎはある程度周りにも聞こえていたと思うんだけど、どうして野次馬すらも出てこないんだろう。


 頭の中で考えを巡らせていると、ふと視線を感じた。

 ドキッとして思わず、キョロキョロと周りの建物を見回すと騒ぎのあった脇道に通じる通りの向かいの建物の2階の窓からこちらを伺っている人影が見えた。

 その人影は私が気づくとさっと窓から身を離し、隠れてしまったためよく見えなかったけど、先程の男たちと違って小柄な影だった。

 やはり、あの騒ぎは周りも気づいていたのだろう。


 しかし助けに行くにも自分よりがたいのいい男たちでは敵わないだろう、と思い勇気が出なかったのかもしれない。

 私も逆の立場だったら、一人では助けに乗り込めないと思う。

 力の強い男性を助けに呼ぶか女性だけで行くにしても大人数じゃないと助けには行けていないだろう。

 そう考えると、さきほどの小柄な影の人が窓から覗くだけというのもしょうがないのかもしれない。


 ……うぅ……そうは思ってもせめて、誰か人を呼んで欲しかったな……。



「律歌ちゃん、着いたよ。とりあえず、僕の部屋へ行こうか」


 ぐるぐると思考しているうちに宿に着いたようで、はっと意識を目の前の園生くんへ戻す。

 園生くんの泊まってる宿は2階建てになっていて、2階には等間隔に窓があるので各部屋に窓がついているのだろう。

 外壁はレンガ造りとなっていて、2階部分と屋根の間に小さな小窓がついている。

 あそこは屋根裏部分か何かなのかな?


 宿屋の頑丈そうな入り口のドアを開けると受付にショートボブのぽっちゃりした女性が腕を組み、眉間にシワを寄せてじっと立っていた。

 女性はこちらを見ると、かっと目を見開いて受付から身を乗り出さんばかりの勢いで


「ちょっと近部くん!大丈夫だった!?」


 と、声をかけてきた。

 女性と目が合うと受付の脇にあるスイングドアからバタンッとドアが外れそうな勢いで出てくると、私の頭からつま先までさっと見て、最後に目を見て優しく笑う。


「お嬢さん、怪我がないようで何よりだよ。あとでホットミルクでも持ってってやるから、近部くんと部屋で待ってなね」

「あ、は、はい」


 タイムは宿の入口に大人しく座っていると思っていたら、受付から女性が出てきたと同時にしっぽを振りながら宿の中に入ってきて女性にまとわりつく。

 女性は「おすわり!」とはしゃいでいたタイムを一瞬で大人しくさせて、私と園生くんに向き直る。


「何があったかは無理に聞かないけど、お嬢さんは顔洗っておいで。今日はサービスだからお嬢さんもゆっくりしていきなね」


 そういえば、泣きっぱなしの顔でここまで来てしまった。気がついて思わず両手で顔を隠す。


「お嬢さん、受付の右奥がトイレになっているからそこで顔を洗うといいよ。近部くんの部屋は2階にあがって左の一番奥の角部屋だよ」

「ありがとうございます……」

「ほら、近部くんは今のうちに少し部屋片してきなさい」

「……あ、はは……はぁい」


 女性のお言葉に甘えて俯きながらトイレへと向かう。そのすぐ脇の階段からなるべく音を立てないように、だけど2段飛ばしで部屋へと駆けあがる園生くんの足元が見えた。

 女性の言う通りにおすわりして待っているタイムがこちらを心配そうな目で見ている。タイムに見えるように小さく微笑むと、そのままトイレのドアを開け中に入る。

 トイレの中は手洗い場と用を足す部屋と分かれていて、手洗い場には両手で抱えられそうな大きさの洗面ボウルと頭から胸あたりまでが写せる大きさの鏡があり鏡の上には暖かいオレンジの光を放つ壁掛けランプが設置されていた。

 まわりの壁は手洗いボウルくらいの高さで材質が切り替わっていて、上側が白い漆喰のようで下側は木の板が貼り付けられているようだ。


 そこでささっと顔を洗い、手拭きタオルのようなものは持っていなかったので着ていた服の袖口で拭う。

 トイレを出ると、ちょうど受付の女性がタイムの足をキレイにしているところだった。


「あら、少しスッキリしたかい?タイムにおやつあげたら飲み物持っていってあげるから、部屋でちょっと待ってなね」

「はい。ありがとうございます。あと、タイムも……助けてくれてありがとうね」


 大人しく女性にキレイにされているタイムの脇にしゃがんで、頭をなでながら改めてタイムにお礼を言う。

 タイムは気持ちいい角度を自分で調整しながら頭を手に押し付けてくる。

 タイムが満足するまで、5分くらい撫でただろうか。女性がおやつを持ってきてタイムがそちらに食いついている間に2階へあがり、園生くんの部屋へとむかう。


 園生くんは女性の言う通り部屋の片付けをしていたのか、部屋のドアが半開きになっていた。


「園生くん?お邪魔しまーす……」

「あっ……うん、どうぞ。……散らかってますが……」


 ドアから中を覗きつつ部屋にお邪魔すると、荷物をとりあえず端に寄せてスペースを確保してくれたんだろうな、と感じさせる、園生くんの言う言葉の通り、それなりに散らかった部屋だった。

 ロングステイの契約みたいだし、室内の清掃は自分でやるようなスタイルなのかな?


 園生くんの作ってくれたスペースのイスにちょこんと座り、改めてさきほどのお礼を伝える。


「園生くん、さっきは本当にありがとう。園生くんが助けに来てくれなかったらどうなってたか……」


 想像したら恐ろしくなり、小さく身震いした体を落ち着かせるように両腕でぎゅっと抱きしめた。

 園生くんはベッドの上に散らばっていた洋服を脇にどかし、そこにどかっと腰をおろすと少し怒った口調で言葉の後を拾う。


「本当だよ!タイムが気づいて先に行ってくれたから良かったものの、もし間に合ってなかったから今頃あいつらに何されてたか……」

「はぁ〜……タイムには感謝してもしきれないなぁ……」

「僕だって駆けつけたんだけど……」

「もちろん、園生くんにもめちゃくちゃ感謝しております。ありがとうございました」


 ちょっとだけふざけた口調で園生くんにお礼を言いつつ、深々と頭を下げる。


「それにしたって、なんで一人で歩いてたの?僕がいつものカフェに行くまで待ってればよかったのに……」

「いやぁ〜園生くんと約束してたわけじゃないし、街中探索も兼ねて歩いてみようかなぁと思って……」


 左手で頭を擦りながら、小さな声でもにょもにょと説明する。

 それを聞いた園生くんは大きく「はぁ〜」とため息をつき、両手で顔を覆いながら下を向く。

 数秒そのまま固まっていたかと思うと、ぱっと顔を上げて


「危機感!なさすぎ!」


 と怒られた。

 全くもってそのとおりなので、頭をたれてしゅんと反省する。


「ここは普段僕たちがいる場所と違って、人さらいや人間の売買も普通にあるんだから警戒もなしに出歩くなんて危険すぎるよ!」

「はぃ……すみませんでした……」


 その時トントン、とドアがノックされ受付にいた女性が顔をのぞかせる。


「近部くん、そんなに怒ってやるなよ。それは怖い思いをした本人が一番実感してるよ。さて、ホットミルク持ってきたからそれでも飲んで少し落ち着きな」


 さきほどまで受付にいた女性がタイミングよくホットミルクを持ってきてくれたおかげで、部屋の重かった空気が一気に和らいだ。

 お礼を言って受け取ったホットミルクには、はちみつが入っていてちょっと甘くなっていて、強張っていた心と体をほぐすように身体の隅々まで染みわたった。

 園生くんには当たり前のようにブラックコーヒーが手渡された。


「いつもありがとう~」

「こちらこそ、いつもタイムの世話をしてもらって助かっているからね。これくらい別に構わないよ」


 女性は部屋を出て行こうと、ドアノブに手をかけながら「あ、そうそう」とこちらを振り返った。


「そういや、この部屋の隣がちょうど今空いてるんだよ。自由に使っても構わないし……あぁ。この部屋に一緒に泊まったって構わないよ。ただ、あんまり大きな声だすと周りに聞こえちまうけどね」


 んん???何か勘違いしているような発言があった気がする。

 園生くんは気付いているのかいないのか、ヘラヘラしながら聞いている。


「じゃぁごゆっくり〜」


 そういうと女性は部屋を出ていき、彼女のおかげで和んだ空気の中、静かにドリンクを飲む私たちが残った。



 しかし、今回は本当に自分の危機感のなさを反省した。

 本来私達が生活している世界では全くないというわけじゃないけど、アラサーともなると誘拐はおろかナンパだって減ってくるので、てっきりこっちの世界でもアラサーはそういう対象として見られないと勝手に思い込んでいた。


 それがこちらの世界では年齢なんて全く関係なく、隙がある人間が狙われる。

 園生くんの話によると、腕に自信のない女性や子どもは基本的に一人で外を出歩かないらしい。仮に一人で外に出たとしても、お隣さんや人が多い大通りまでなんだそう。

 もしも、少し遠い所へ行く場合は護衛を頼んだり、護身用の武器を携帯するのだそうだ。


「……なるほど。そりゃ、武器も持たず、護衛もいないんじゃ狙い目だよね……」

「うん。ここはそういう危険も普通にあるところだから。……まぁ、僕も初めにきちんと説明もしなかったし、僕にも責任があるよね、ごめんね」


 そう言って園生くんはしょんぼりした顔で私にぺこりと頭を下げた。

 元はと言えば平和ボケしていた私がいけないので、園生くんを慌ててフォローする。


「私がぼんやりしてるのが、いけなかったんだし!それにタイムと園生くんが助けに来てくれたから、こうやって今無事でいるんだし!本当に感謝してるんだよ!」

「ふふ、律歌ちゃんは優しいね。……そうそう。タイムがね、異変に気がつくの早かったんだよ。だから、タイムが一番のヒーローかもしれない」


 園生くんはそう言うとにしし、と笑った。


 現実世界でも番犬や監視カメラなど犯罪防止のための手段はいくつかあるけど、身の回りでめったに事件が起きないので心のどこかで犯罪なんてあるわけない、まして当事者になんてなることもない、とたかを括っていた。

 しかし、だからこそいざというときの対策というのは必要なのだろう。


 そういう点ではマイダの国のほうが危機意識はもてる。だけど毎日ビクビクして過ごすよりも、帰りのコンビニで新作スイーツを選んで家でゆっくり食べられる現実世界のほうがずっと安心して過ごせる。


 改めて、現実世界の治安の良さを保ってくれている状況に感謝しつつ、今度機会があれば護身術でも習ったほうがいいかなぁ……なんてのんきに考えていた。



「でもそうだなぁ……。毎回、こちら側にきたときにカフェで落ち合うのも大変だし、律歌ちゃんも一緒にココ、使う?」


 そう言って園生くんは自分が座っていたベッドをトントンと右手で叩いた。

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