第11話 納得する選択肢の選び方
「律歌ちゃんだー。偶然だね〜!買い物帰り〜?」
私の声に反応してこちらに首だけで振り向く。
公園のベンチに座り、本でも読んでいたのか膝の上にはスカイブルーのカバーがついた文庫本のようなものが置いてある。
無地の白いTシャツに薄手のシャツを羽織り、下はジョガーパンツにスニーカーで随分とラフな印象を与える。もしかして、ご近所さんなのかな?
今会いたいと思っていた彼がこうして目の前にいる現実は、偶然か必然か。
今なら、時間に追われることもないので聞きそびれていることを色々と聞けるかもしれない。
「良かったら、少し話さない?」
「わぁ律歌ちゃんからお誘いしてくれるなんて嬉しいなぁ」
園生くんはベンチに少しずれて座り直し、私が座れるように場所を空けてくれた。
そのスペースに「ありがとう」と言いながら、そっと座る。
膝の上に先程の店で買った焼き菓子をのせ、せっかくだから、と袋を開けて園生くんにフィナンシェをおすそ分けする。
「これ、よかったら食べる?」
「え、いいの〜?ありがとう!美味しそうだね」
「さっきまで、会社に行って後輩の仕事手伝ってきたんだ」
「えぇ……今日、日曜日なのに大変だったね……」
そんな何の変哲もない普通の会話をする。
「会社の近くに新しく出来たお菓子屋さんでね、買ったんだ。今は焼き菓子メインのお店なんだけど、その前はケーキ屋さんだったみたいでね」
次の言葉を口からだすのにほんの少しだけ緊張が体中を走る。
意味がわからず園生くんに一蹴されるか、予想があたるか、もし私の予想通りなら彼はどういうリアクションをするのだろうか……。
「まるでマイダの国の坂内さん夫婦のケーキ屋さんみたいだったんだけど、坂内さんってこっちでもお店を開いてるのかな?」
うーん……もっと上手な言い回しがあったんじゃないか?私……。
内心反省していると、園生くんはピンときたことがあったようで一瞬小さく目を見開いたと思ったら、困った表情を見せ何かを逡巡しているように見える。
やがて、公園内にあったブランコへ視線を巡らせてポツリとつぶやいた。
「彼らはもうこちらの世界には戻ってこない」
「戻ってこない?」
「うん。彼らは『マイダの国』で生きることを選んだ。こっちの世界を捨てて」
こっちの世界を捨てた?
園生くんは上を向いて目を瞑り、ふぅ、と息を吐いて体を脱力させた。
公園のブランコでは小さな子どもたちが、どちらが遠くまで靴を飛ばせるか競っている楽しそうな声がここまで聞こえてくる。
園生くんはまた、ブランコへ視線を戻すと独り言のように坂内さん夫婦のことを話し始めた。
「彼らはねぇ……きっと向こうの世界のほうが幸せだと思ったんだろうね……」
園生くんの話を聞いてみると、会社の近くにあった元ケーキ屋の経営者はやはり坂内さん夫婦だったらしい。
マイダの国では飛ぶように売れていたが、現実世界ではオフィス街という立地条件もあり、売上は多くなく細々と経営していた。
確かに、後輩はケーキ屋時代の店を覚えていたけど、私は全然記憶にない。
「彼らは、新しいメニューを考えても見向きもされない。売れるのはお遣い物になりそうなものばかり。こっちにいても、自分たちの存在意義を見い出せなくなってしまったんだろうね」
そんな時に夫婦揃ってマイダの国に行って、最初にお店をもらって経営し始めたら販売したケーキが飛ぶように売れる。
しかも、見向きもされなかったこっちの世界と違って、試行錯誤した新作を皆が喜んで買っていく。
「……確かに、それはこっちに戻ってきたくなくなっちゃうかもしれないなぁ」
園生くんの話を聞いて、素直な感想を述べる。
「そうだねぇ……。外野が口を挟むことじゃないけど……突発的にマイダの国を選んだように見えるから、マスターに誘導されたりとかされたんじゃないかと心配なんだよね」
そうボヤいた園生くんは、持ったままだったフィナンシェをひとくち食べる。
「このフィナンシェ、美味しいね。素朴な甘さでホッとする」
少しずつ日が傾いてきて、口をもぐもぐさせながら坂内さん夫婦の選択に不服そうな表情を見せる園生くんの横顔を赤く照らしている。
さっきまでブランコで遊んでいた子どもたちも、帰り支度を始めている。
マイダの国での生活を選ぶとこちらの世界には二度と戻ってこられないらしく、こちらの世界ではそれを失踪扱いにされることが多い。
坂内さん夫婦の場合は、翌日の仕込み準備などがされた状態だったから『神隠し説』が噂で出てきてしまったが、こういうパターンは珍しいのだそう。
「……坂内さんたちがどういう経緯でマイダの国を選んだかはわからないけど、本人たちが話し合ってじっくり考えて出した答えなら大丈夫だよ」
実際、そのマスターとやらに誘導されたかどうかはわからない。けれど、最終的に自分の意思で決めたのであればそれは私や園生くんがなんと言おうと変わらないだろうし、本人たちも納得しているだろう。
こういう時に価値観の軸を自分基準でもっている人間は、強い。
仮にマスターに誘導されても、判断基準がブレないので流されることはない。
私は私らしくいられるように、自分の軸を見失わないように生きているだろうか。
膝の上に置いたままだったフィナンシェをひとつ掴み、口へ運ぶ。
焼き上がってから少し時間のたったそれは、香りや味が落ち着いてしっとりとした食感を伴い、口の中へ優しく広がる。
私の言葉を黙って聞いていた園生くんが、不服そうな表情を和らげてフィナンシェをパクリとまたひとくち食べる。
ブランコを見ていた視線を私に向けて、悲しそうな声を出す。
「僕のこの気持ちはただの押し付けなのかな……?」
「園生くんは坂内さんたちを心配しただけでしょ?……でも、そうだなぁ……坂内さんたちの選んだ選択肢を信じて応援するっていうのもアリだと思うな」
「……律歌ちゃんは、すごいなぁ」
園生くんは感心したような声を出して、残りのフィナンシェを口に入れもぐもぐと頬張る。
ごくんと飲み込んだかと思うと、元気よく立ち上がりくるりと振り返る。
「ありがとう、律歌ちゃん。僕も坂内さんたちの選択を信じてみるよ!もう暗くなってくるしお家へ帰ろうか。……今夜も向こうで会えるかな?」
何かを吹っ切れたのか、園生くんからはもう悲しそうな声も心配そうな表情も消え去っていた。
まだまだマイダの国の謎は多いけど、坂内さん夫婦のことを聞けて良かった。
気が付かない内に膝にこぼしていたフィナンシェの欠片を払い落として、よいしょっと立ち上がる。
ここで話している間にだいぶ夕日も低くなり、私達の影が長くのびている。
「また向こうで会おう!ばいばい」
にこっと園生くんに笑いかけて手を振ると、どこか清々しい気分でそれぞれの帰路についたのだった。
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