幼き二人に青春を

れーずん

幼き二人に青春を

芹崎せりざき猫音ねねさんが、夏休み前に他の学校に転校になるそうです」


 担任の発する言葉に、俺の心臓は確実に一回止まった。

 みんながどうでも良さそうな顔をしている中、俺の胸は酷く締め付けられていた。

 担任が抑揚のない声でその後に発している言葉は、俺の耳には届いていなかった。


 ただ俺の耳に届いていたのは、夏の訪れを告げるせみの鳴き声だけだった。


 ……こんなに落胆しているのには訳がある。


 俺は猫音のことが好きだ。


 きっかけは単純だった。

 今から一年前の中学一年生の夏先、学校終わりの放課後。

 俺は一人、校舎を出て帰路をたどっていた——



         ◆



「——猫音、どうしたの?」

「あっ……海人かいと君」


 猫音は俺を見ると、ビクッと身体を震わせる。


「そんなに怖がらなくても大丈夫。それよりも、どうして猫音はの?」


 俺が猫音に話しかけた理由。

 それは、猫音が涙を流していたからだった。

 流石さすがに友達が泣いていたら、声をかけざるを得ない。

 このまま通り過ぎるのも罪悪感が湧いてしまいそうだったから、俺は仕方なく猫音に声をかけていた。


「……それが、これ」


 一瞬ためらったものの、猫音はかがめていた身体を起き上がらせる。

 猫音の影から現れたのは、銀色の猫だった。

 しかし、足の一部分が銀色ではなく赤に染まっている。

 ……怪我しているのか。


「痛そうにしてたから……可哀想に」


 猫音は猫に視線を落とすと、目尻にまた涙を浮かべる。

 唇を噛み締めて、眉をひそめて、今にも泣きそうだった。


 その姿に、俺の心まで締め付けられた。

 猫を想う猫音の気持ちが、よく伝わってくる。


 普通なら、足を怪我している程度の猫なんか気にする俺ではなかった。

 だがこの時は、何故か猫のことを可哀想だと思うことが出来た。


「この子を助けてあげたいの。なんとか出来ない、かな?」


 ためらいながらも、猫音は俺に視線を移す。

 俺を見つめる、猫音の揺れる瞳に、いつしか俺は引き込まれていた。


「……とりあえず、俺の家に連れて行こう。お母さんに頼めば、応急処置ぐらいはしてくれる」


 俺の提案に、猫音の瞳は輝いた。


「うん! ありがとう!」


 そう言って、猫音は満面の笑みを見せる。


「ただ、俺は猫を抱っこしたことがないんだ。この状態じゃ、猫も歩けそうにないし……」

「それだったら、私に任せて」

「えっ?」


 猫音はそう言うと、「ちょっとごめんね」と言いながら猫を抱き上げた。

 そして、俺のほうに向き直る。


「ほらっ」

「……よし。じゃあ俺の家に案内するからついてきて」

「うん!」


 ……そうして俺たちは、猫を抱えて俺の家へと急いだ。

 途中、猫音の「もうちょっとだけ我慢してね」とか「痛いよね。もう少しだから頑張って」という猫への声かけが気になってしょうがなかった。

 なんというか……どことなく切ないというか、胸がきゅっとなるような、そんな感覚を覚えた。


 これは一体何なのだろうか……?

 違和感と疑問を感じつつも、俺は猫音と一緒に家路を急いだ。


 家についてからは一瞬だった。

 俺がお母さんに事情を説明する前に、猫を見たお母さんは猫音と猫を家に上がらせた。

 そして俺と猫音に麦茶を出してくれ、猫には怪我をしている足にガーゼを巻いてくれた。


 我ながら、最高のお母さんだと思う。


 応急処置が終わると、猫音は「よかったね」と、優しい笑みで猫を撫でていた。

 猫は気持ちよさそうに喉を鳴らしながら猫音の手を受け入れている。


 俺はその様子を横から眺めていたが、途中から猫音に釘付けになっていた。


 猫と同じ銀色の髪。

 確かセミロングと言った長さだっただろうか。

 曖昧だが、猫音はとにかく綺麗な銀色の髪をしていた。

 瞳も猫のように大きく、顔立ちもよかった。


 普段、あまり関わりがなかったから気づかなかったが、猫音はとても綺麗で、そして可愛かった。


 そのことを認識した瞬間、またさっきのように胸がきゅっとなる。


 その時、俺は気づいた。

 これは恋なのだと。


 俺は知ってしまった。

 俺は、猫音のことが好きなんだと——



         ◆



 ただ、好きになったからと言って、俺たちの関わりが増えることはなかった。

 理由はこれも単純。


 クラス内での立場が違うからだ。


 俺は、いわゆるスクールカーストと言われるものの最上位に位置する「陽キャ」だ。

 対して猫音は、俺と全く反対に位置している「陰キャ」だ。

 ゆえに、俺と猫音が関わることなど、周りが許すはずもなかった。


 俺自身、猫音との距離も近づけたいが、その代償に友達との距離が出来るのは避けたかった。

 猫音が転校するとは思っていなかったため、俺は猫音との距離を近づけられずにいたが、どうやらそれについていろいろ考え始めなければいけないらしい。


 俺は頭を悩ませながら一人、帰路をたどる。

 すると、町で有名なあるカフェの前にしゃがみ込んでいる猫音の姿が目についた。

 その瞬間、俺の身体は勝手に猫音のもとに向かっていた。


「——猫音、どうしたの?」


 あの時と同じように俺は猫音に声をかける。


「あっ、海人君。ほら、この猫」


 猫音は前よりも俺に対して怯えなくなっていた。

 そのことに喜びを感じつつ、俺は猫音の視線を追う。


「この子は……」

「そう、あのとき助けた猫ちゃん。……もしかして、私の家で飼うことになったの、覚えてない?」

「あっ……あぁ、覚えてるよ」


 猫音に睨まれて、俺は声を上擦らせながら答える。


 ……言えない。

 あのときは猫音に見惚れていて、全く話を聞いていなかったなんて言えない。


「絶対覚えてなかったでしょ……」


 猫音は俺の反応を見てため息をつく。


「と、とにかく! 今は散歩中なのか?」

「話をそらしたし……別に今は散歩中じゃないよ。それに、私の格好を見れば分かるでしょ? 私は今、家に帰ってきたところ」


 そう言われて、俺は改めて猫音を見る。

 背中には、リュックが背負ってあった。

 確かに、このリュックは猫音がいつも学校に持ってきているリュックだ。


「えっ? ってことは……」


 俺は目の前にあるカフェを見上げる。

 お店の扉には、「CATS」と書かれた鉄のプレートと、「OPEN」と書かれた扉に下がっている表札があった。


「ここが、猫音の家なのか?」


 俺が猫音に問いかけると、お店の扉が開く。

 そこから出てきたのは、若い男性だった。

 見た感じ、20代前半といったところだろう。

 とても爽やかな雰囲気で、ベストをきっちりと着こなしている。

 年齢は若いのだろうが、バイトや新入りではなさそうだ。


「猫音おかえり。おや、そちらの方は?」

「……明宮あきみや海人って言います。猫音のクラスメイトです」


 視線を向けられたので、俺は少し驚きながらも軽く自己紹介をする。


「そうだったのか。私はこのカフェでマスターをしているものだ。猫音の保護者でもある。」

「猫音の保護者……」


 父親と言わないところを見ると、本当に猫音の父親ではないのだろう。

 だとしたら、マスターさんの雰囲気にも納得がいく。

 ここまで若い父親は、見たことがないからな。


 俺はそれだけの感想を持って、それ以上詮索するのをやめた。


「よかったら、何か飲み物を貰っていかないかい? の件のこともお礼を言いたいし」

、ですか?」

「この猫ちゃんの名前」


 俺が問い返すと猫音が猫のアーニャを持ち上げて言った。


「私がつけたの」

「そうなのか……可愛い、名前だね」


 俺は少し言葉に突っかかりながら言う。

 直接的に猫音のことを褒めていないにしても、言うのに少しためらいがあった。


「っ……うん」


 猫音は俺の言葉を聞くと、頬を赤らめながらアーニャで顔を隠してしまう。

 人に褒められるのに慣れていないのか、耳まで赤くしていた。

 その様子を見て、俺の胸がまたきゅっとなる。


「こんな感じで、猫音は毎日アーニャにベタベタなんだよ。ね?」

「う、うるさい!」


 猫音は、更に顔を赤くする。

 猫音の顔が赤くなるたびに、俺の胸は締め付けられるほどに切なくなった。


「だから、是非とも海人君にお礼がしたいんだよ。猫音がここまで明るくなったのも、アーニャと関わるきっかけを作ってくれた海人君のおかげだから」


 マスターさんは優しく笑みを浮かべながら話した。


 猫音は、一年前に転校してきた。

 理由は何だったか忘れたけど、その時の様子はよく覚えている。


 猫音は、今以上に人見知りで、引っ込み思案で、どうしようもないほどに陰キャだった。

 今の立ち位置に成り下がったのもすぐだったはずだ。


 だが、俺がアーニャの件で猫音と関わったことをきっかけに、猫音は段々と明るくなっていった。


「マスターさんがそこまで言うなら……」


 と、俺はマスターさんのお誘いを受けようとしたのだが。


「おい! 海人!」


 聞き覚えのある声のした方に、俺は思わず振り向いてしまう。

 そこには俺といつも一緒にいるクラスの友達あいつがいた。

 俺は友達あいつが失言をしたとしても最小限の被害で済むように友達の近くに走り寄る。


「なんだよ」

「お前、なんで芹崎となんか一緒にいるんだよ。あんなやつなんかほっといて、俺らとサッカーやろうぜ。公園にはもう他の奴らも集まってるから」

「……あぁ、わかった。ただ、話をつけてくるからちょっと待っててくれ」


 こんな受け答えをしてしまうあたり、本当に俺は弱い人間なんだと自覚してしまう。


 俺は胸につっかえるわだかまりを抱えながらマスターのもとに走った。


「すみません、お礼はまた今度してください。それじゃあ」


 それだけ言って、俺は再び友達あいつのところに駆けていった。



         ◆



 こんな感じに、なかなか猫音との距離を縮められないまま、とうとう猫音のお別れ会当日まで来てしまった。

 このままいけば、猫音との恋を実らせるのは絶望的だろう。


 だけど、俺は自分の想いだけでも猫音に伝えたかった。


 猫音が学校に来る日は今日が最後。

 後日に家に行ったとしても、引っ越しなどで邪魔になってしまうだろう。

 想いを伝えるなら……今日しかない。


 俺は覚悟を決めながら、黒板に貼ってあるプリントへ視線を移す。

 そこには、猫音のお別れ会のスケジュールが書いてあった。


 お別れ会と言っても、言わばレクリエーションのようなものだ。

 何種類かの遊びをただ遊ぶだけ。

 そのが、俺にとっては重要だった。

 何のレクをするのか、俺は内容を確認する。


 一つ目は「椅子取りゲーム」。

 二つ目は校庭に出て「鬼ごっこ」。

 三つ目は「かくれんぼ」。


 ……かくれんぼなら、上手くいけば想いを伝えることが出来るんじゃないか?


 猫音はなるべくみんなと距離を置きたがるから、自動的に孤立するはずだ。

 そこに俺が行けば、確実に二人だけの空間が生まれる。

 これなら、周りにさとられることなく自分の想いを猫音に伝えられる。


 ……もう、これしかない。


 学校が終わって放課後になれば、また前みたいに周りの奴らが俺に集まってくる。

 二人の空間なんて作れたものじゃない。


 俺は深呼吸をしながら、俺の周りにたかってる奴らへ視線を戻した。



         ◆



「今からかくれんぼをします。鬼は前に出ている五人なので、この五人に見つからないように頑張って隠れてください」


 俺は司会が喋っている言葉を聞き流す。


 とうとうこの時が来た。

 今は司会の話さえ聞く余裕がない。

 それくらいに緊張してしまっている。

 普段なら当たり前に見ることができる猫音の顔も、今は視界に入れるだけで心臓がバクバクと鼓動してしまう。


 本当は校庭に出てくる前に一度だけ猫音と二人きりになれたのだが、俺が言うのを日和っているうちに友達あいつが俺たちのところに来てしまった。


 だから、チャンスはもうここしかない。

 ここを逃せば、俺は一生後悔することになる。


 頑張れ……俺なら出来る。


「それでは鬼が一分数えるので、皆さん好きな場所に隠れてください。時間は10分間です」


 司会の鳴らすホイッスルを合図に、かくれんぼが始まった。


 鬼が数を数えているなか、みんな各々隠れる場所を見つけて、そこに身を潜めていく。

 猫音は、予想通りみんなとは程遠い場所に足を運んでいた。

 そんな中、俺は猫音に、そして周りに気づかれないようさりげなく猫音に近づいていく。


 このままいけば……!


 そう思っていた矢先、後ろから聞き慣れた声が響く。


「おい、どこ行くんだ海人。こっちにいい隠れ場所を見つけたから一緒に隠れようぜ!」


 ……友達あいつだ。

 毎回毎回、俺と猫音の仲を引き裂く「失恋のキューピッド」。

 友達あいつに声をかけられるたびに猫音との距離が離れてしまうものだからうんざりしてしまう。


 ただ、ここで友達あいつの声を無視してしまうと、波紋が広がるように俺と周りの関係にが入ってしまう。

 そうなると、これからの学校生活に支障をきたしてしまうため、俺はこれを何としても避けたかった。


「……クソッ」


 友達あいつのところに行くしかなかった。


 結局、俺は猫音に想いを伝えられないまま終わるのか。

 せっかくのチャンスを無駄にするのか。

 俺はこんな結末を受け入れることができるのか。


 ……こんなんで終わるなんてまっぴらだ。


 ただ、ここからどうしたらいい。


「おい! 何してるんだよ海人! 鬼が来ちまうぞ!」


 友達あいつは相変わらず空気を読まない。

 どうしたらいい。

 どうしたら、俺はこの状態から猫音に近づける。


 友達あいつに声をかけられながら悩んでいると、ふと人影が目に飛び込んできた。

 俺はそれを視認すると、咄嗟とっさに近くの茂みに身を隠す。


「お、おい! 何をして——」

明宏あきひろ見っけ! どうしたんだよ隠れもしないで。相変わらず馬鹿なやつだな」

「違っ! これは!」

「いいからさっさと来いよ。明宏を置いて、俺も早く他の奴らを見つけに行かないと」


 俺は、そんなやり取りを耳にしながら視線を声のする方に向ける。

 友達あいつは鬼に見つかったらしく、問答無用で連れていかれた。


「ナイス早坂」


 俺は静かにつぶやくと、鬼にバレないように猫音を探す。


 一分ほど経って、俺はようやく猫音を見つけることができた。

 その瞬間から、心臓がまたバクバクと音を立てて鼓動する。


「……海人君? どうしてここに来たの?」


 俺を見つけた猫音は、あどけなく小首を傾げた。


 ……やばい、可愛い。


 心臓が張り裂けるくらいに激しく鼓動する。

 猫音に聞こえていないだろうかと、心配すらしてしまう。


「猫音の近くに隠れようと思ってな」

「っ……そう、なんだ」


 俺が猫音の隣に身を潜めると、猫音の顔が赤く染まった。










 ……さぁ、言うんだ。



 言うなら今しかない。



 このまま日和ってたら、またさっきみたくチャンスを逃してしまう。



 後はもうない。
















「……あの、さ」

「ん……?」















 猫音は俺の方に視線を向ける。

 その瞳は、どこか熱を帯びているようだった。


 言葉を続けようとするが、上手く声が出ない。













 ……何今更日和ってるんだよ!



 ここを逃したら、もう猫音に想いは伝えられないんだ。


 猫音に、想いは届かないんだ。










 俺は鼻から空気を吸って、口から吐き出す。













 そうして言った。



 ありったけの勇気と愛を込めて。



















「俺は……猫音のことが、好きだ——」


























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幼き二人に青春を れーずん @Aruto2022

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