第2杯 ラテアート中 (十六番さん)

 俺の職業は漫画家だ。

 漫画家と言っても、まだまだ駆け出しで最近月刊誌で連載が始まったばかりだ。

 そんな俺は、休日には気晴らしに散歩をすると決めている。

 漫画家は在宅勤務が基本で、仕事の日はほとんど一日作業場から出ることはない。だから休みの日は必ず外へ出ると決めている。

 そして俺には休みの日にある楽しみがあった。

 それは、散歩中にあるカフェに通うこと。

 そこで出されるコーヒーを飲みながら漫画の設計図となるネームを考えることが俺のルーティーンと化していた。


 今日も原稿を上げ、束の間の休息を楽しもうと散歩を始め、適当に街中をぶらぶらと散策し目的のカフェへと向かった。


 店内に入ると女性店員が「いらっしゃいませ」と微笑みかけて挨拶をしてくれる。会話をしたことはほとんどないが、エプロンにネームプレートがあり、彼女が『凪さん』という名前であることは知っている。

 俺は「どうも」と、軽く会釈をしてカウンターでメニュー表に目を通す。

 大体いつも決まった商品を注文するのだが、ひと通りメニュー表に目を通してから注文する事を心掛けていた。


 無言の時間が続く。


 いつもと同じブレンドコーヒーにするかたまには冒険してみようかと思惑する。


 すると、そんな俺を見兼ねたのか『凪さん』が悩んでいる様でしたら、カフェラテがお勧めですよ。と、提案をしてくれた。

 凪さんが話しかけてくれるなんて珍しいなと、思いながら彼女に言われるがまま、じゃあカフェラテで。と、注文をした。


 会計を終え、凪さんは「お席にお持ちしますのでお好きなお席でお待ち下さい」と一言、言って俺のオーダーを作りにエスプレッソマシーンの前に立った。


 俺はお店の一番端の席に座る。

 ここが俺の定位置なのだ。椅子の後ろに十六と小さく書かれている。隣は十五と書かれていた。きっと従業員さんが座席の配置を覚える目印にしているのだろう。

 俺は十六卓のテーブルにノートを広げる。

 漫画家というのはアイデア勝負。休みの日でも頭を捻って自分の作品のアイデアを絞り出す。

 ノートをパラパラと捲り書き記された内容に目を通した。

 プシューと、エスプレッソマシーンが鳴く音が聴こえる。店内に元々広がっていたコーヒーの香りが一層濃くなったのが分かる。

 それから少しして「お待たせいたしました。カフェラテでございます」凪さんはニコリと笑ってマグカップをテーブルの邪魔にならない位置に置いた。

 俺は聞こえるか聞こえないくらいの声で「ありがとうございます」と言う。


 カフェラテに口を付けようとすると、カップに綺麗なハートが浮かんでいることに気づいた。

 ラテアートを見るのは初めてで、飲むのが勿体無いなと思う。俺はまじまじとコーヒーに浮かぶハートを見る。久しぶりに絵で感動した気がする。俺は子供の頃自分の描いた絵を褒められて、ずっと絵ばっかり描いていた。絵を描いているときだけが楽しく、親、友達、先生、皆んなが俺を褒めてくれた。そして気づけば漫画家になっていた。そんな事を思い出しながらスマートフォンでカフェラテの写真を記念に残し、そっとマグカップに口を付けた。ミルクの滑らかな口触りに、コーヒーのほろ苦さが絶妙にマッチする。

 綺麗に浮かんでいたハートは形を崩してなくなっていくが、その儚さが何とも言えない美しさを感じさせた。



 その日、気付くと俺はカフェの閉店時間まで席にいた。長時間座っていたせいで腰が痛い。ただでさえ仕事でいつも座っているというのに、このカフェは居心地がいいのだろう、時間を忘れて長居してしまう。

 伸びをして、ノートを片付け帰り支度をする。

 外に出ようとしたとき凪さんが閉店作業をしているのが目に入った。


 普段なら適当に会釈でもして帰る所なのだが、今日はどうしても一声掛けたいと思い、凪さんの前へと向かった。


「今日のハートのラテアート素敵でした。ご馳走様です。俺、漫画家なんですけどあんな綺麗なハートは描けないです」

 凪さんは閉店作業を止めて「こ、こちらこそ、いつも贔屓にして頂いてありがとうございます」と、可愛らしい笑顔で言って、十六番さん漫画家さんなんですか?と、驚いた顔をした。


 十六番さんと言われたことに俺は気づかず「あまり売れてない漫画家ですけどね」と答える。

「実は今カフェアートを勉強してて、最近やっと上手く出来る様になったんですよ」凪さんはにこやかに言う。ずっと思っていたが彼女はとても笑顔が素敵な人だ。

「そうだったんですね。漫画家の俺でもあんな綺麗なハートは描けないですよ。今度よければ教えて欲しいな……なんて……」俺は自分でも柄にもない事を口走ってしまったと思い、付け足して「もちろん、取材、取材で。もしかしたら漫画のいいアイデアになるかもしれないから……」と咄嗟に言った。


 凪さんは一瞬キョトンととした顔をした後、

「私でよければもちろん、喜んで」と愛らしい笑顔で言ってくれた。

 

 それから少しばかり凪さんと会話し、彼女の仕事の邪魔をしてはいけないと思い俺は早々に、「また来ます」と言って店を後にした。

 背中には凪さんからの「またお待ちしています」という声が聞こえた。

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