ハートのラテアート
夏至肉
第1杯 ラテアート上 (凪)
私は地元のカフェでバイトをしている。
大学に進学し、親から仕送りを貰っているが、そのお金を使って友達と遊んだりするのは忍びない為、お小遣い稼ぎにバイトを始めた。
「凪さん休みの日は彼氏とお出掛け?」
オーナーの加藤さんがコーヒー豆を補充しながら私に問いかけてくる。
私はどう答えようか一瞬悩む。
私こと沙原凪には、今現在、お付き合いしてる男性は残念ながらいない。今現在と前置きをしたが過去に遡っても恋人と呼べる人物はいなかった。
高校に入学すれば彼氏が出来ると思ったが、そんな事はなく。大学に入学すれば素敵な出会いが待っていると思ったが、もう半年ほど何もない日々が続き、残りのキャンパスライフもこのまま進んでいくのではないかと一抹の不安を覚えていた。
「私、今彼氏居ないんですよ。休みは課題とかしてます」
私は取り繕う様にそう言った。
「あら、凪さん彼氏居なかったんだっけ。意外。凪さん可愛いから彼氏居ないって周りの男が知ったら、きっとほっとかないわよ」
私は、そうですかねと、愛想笑いを浮かべる。
高校から彼氏は欲しいなと思っているのに、一度も出来なかった私のことを男がほっとかないなんてことありますか?と可愛くない事を一瞬考えたが、喉の辺りでそれを止める。
「そういえば、また来てたわね。例の十六番さん」
加藤さんは別の話題へと進めていく。
十六番さんとは、常連のお客さんのこと。
十六卓は一番端っこの席で、そこで彼はいつもノートに何かをせっせと書き込んでいる。
「いい年した大人が、平日の昼間から何してるのかしらね」
私は加藤さんの言葉にそうですね。と、答えたが実は私は十六番さんの事が前々から少し気になっていた。気になっているというより、一目惚れに近かった。
年齢は私より少し上で二十代半ばといった所。大人びた顔にどこか幼さが残っている。そしてボサボサの黒髪によれた白いTシャツ、ジーパンには皺があり身だしなみにはあまり関心がないという風でありながら、身長が高くすらっとしていて、目はぱっちり二重。注文の時に目が合い何度かドキリとした事がある。そして声が低くいつも小さな声で商品を注文するのだがその声に男らしさを感じ、胸が高鳴るのだった。
十六卓をこっそりと覗くと、今日も十六番さんは、ノートに何かを書いては消して、書いては消してを繰り返している。
何を書いているんですか?と、問いかける勇気は私にはない。私はあまりコミュニケーションが得意ではなく、会話を続けられる自信がないし、話しかけたら不信がられてしまうのではないかと思ってしまう。
私に少しの勇気があったなら。と、いつも自分に問いかけている。きっと、加藤さんに相談すればやめときなさいと止められるのが関の山である。十六番さんは週に一、二回、平日の昼間からウチのカフェに来て閉店時間の二十時までいる事がザラだ。
どんな職についているのか不明で、そもそも定職に就いているのかさえ怪しい所があり、そんな十六番さんを、加藤さんはあまりよく思っていない節があった。が、私はそのミステリアスな所に惹かれていた。
珈琲の芳ばしい香りが鼻腔を刺激し、私を現実へと引き戻す。
加藤さんが手招きをして、「今、暇な時間だからラテアートの練習をしましょう」と提案してくれた。
コーヒーボールにエスプレッソを抽出して、泡立てたホットミルクをそこへ注ぎ込む。
加藤さんは簡単にやってみせるが私はこれが苦手だ。
何度やっても私のラテアートは不細工な形になってしまう。加藤さんのラテアートは綺麗なハートが浮かんでいるのに対し、私のはエスプレッソの上にミルクが乗っかている様なものだった。
コツはカップを30度に傾けてミルクをエスプレッソに潜り込ませる様に流し込む事だと教わった。
頭では理解しているつもりが、実践してみるとなるとこれがなかなか難しい。
私のラテアートは十回に一回ハートが浮かぶかどうかで、そのハートもギリギリハートに見えなくないレベルだった。
加藤さんは「私も最初は全然駄目だったけど、あるとき急に出来る様になったのよね」と言った。
「急にって、なにかキッカケがあったんですか?」
「うーん。お客さんに今できる精一杯を届ける。って考えるようになったら自然と出来る様になった気がするわ」
「……今できる精一杯ですか?」私はその言葉にあまりピンときていなかった。
「そう、精一杯の一杯よ。その人の事を想ってその時、自分に出来る最高の一杯を表現するの」
最高の一杯と聞いて私は今しがた自分で入れたカフェラテに視線を落とす。……言われてみれば確かにお客さんの事を考えず、上手く仕上げようということだけ考えていた。
「なるほど……ラテアートって凄く奥が深いですね」
私はそう言って自分で作った不細工なラテアートに口を付け、十六番さんの事を想像してみた。
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