第16話

 人混みの中、花音は走っていた。周囲の人はそんな彼女に気付かない。そこに居るのにまるで存在していないかのような扱いだ。そんな中、彼女は必死に走る。目的地はすぐそこだ。雑居ビルの屋上目指して彼女は壁面を駆け上がる。


 そして。


「おにーさんっ!」


 一連の流れを雑居ビルの屋上から遠視で見ていた村井にほんの少しだけ誇らしげな顔で飛びつくのだった。秋晴れの下、何もかも気にすることなく飛び込んできた花音を抱き留めた村井は楽しそうな彼女に対し、一言告げる。


「……合格」


 村井からその一言を勝ち取った花音はここ最近、少しだけ豊かになりつつある表情をほんのり笑顔に染め、声も僅かに興奮させて言った。


「これで私、動画デビューしていいよね?」

「まぁ、約束だからな。いいよ」

「やった……! おにーさん、私の隠形の術マスター記念とデビュー直前記念で写真撮ろう?」


 いそいそと懐からスマートフォンを取り出して村井の肩を抱き寄せる花音。村井は反射的に抵抗したが、花音は村井を逃すつもりもないようで半ば強引にその小さな顔を近づけた。そんな彼女に村井は苦言を呈す。


「デビューしたら男の陰とか匂わせると炎上するからこういうのは今の内から止めるようにした方が……」

「アイドルじゃないから大丈夫だよ。ミュージシャンだし」


(……どういう基準だ? ただまぁ、妙な説得力はある気がする)


 失礼だが何となく言わんとすることが分かる気がして村井は反論を止めた。その隙に花音は村井の手を引いて自分に寄せるとスマホで自撮りを敢行する。


「合格記念、おにーさんと一緒。っと」


 撮れた写真は恐らく琴音に送っているのだろう。学校で勉強中の琴音だが、花音のライムを見て取り敢えずおめでとうと褒めてくれる。それを見て花音は満足気に村井に画面を見せて来た。


「じゃあ、お家に帰ってからスタジオで撮影だね? おにーさん、準備はいい?」

「……まぁ。この日のために色々買って改造したし、準備はいいんじゃないか?」

「全部まとめて返すから、大丈夫」


 ほんのり笑ってそう告げる花音。少し前に比べて格段に元気になっている。ただ、何とも言えない妙な具合に落ち着いてしまっていた。本編の花音とは勿論違う印象を受ける感じだが、琴音曰く両親と暮らしていた時とも違う感じらしい。


(まぁ、ストレスフルな感じじゃない分いいとは思うが……)


 これが抑圧されていない状態の本来の花音なのだろうと思うことにして村井は隠形を使って花音と共に雑居ビルから飛び降りる。


「……こういうのでも再生回数増えそうなんだけどな」


 村井と共に地面に着地した花音は少しだけ呟いた。しかし、村井はそれを止める。


「こういうのが表に出たら火消しが大変だ。CG扱いで済まされればいいが、最悪、存在ごと消されるぞ」

「わかってる。やらない」

「なら言わないことだ。思いは言葉に、言葉は行動に出て来る。逆に言えば思うだけで留めておけば行動までには移らないことが多い」

「うん」


 ちょっと説教臭いことを言った自覚はある村井だったが、一応言っておかなければならないことだ。ただ、花音が素直に応じてくれたのでこれ以上何も言わないことにして話題を次に移す。


「さて、今から戻った後、貸し部屋で歌って踊るんだろうが……何か登録よろしく。とかそう言った感じのパートとかは要らないのか?」

「うん。ミュージシャンになるには私の歌とダンスが全て。おねだりすれば色々してくれる人もいるだろうけど、そういうのは違う」

「……それじゃ人気出ないと思うが」

「欲しくない方向に人気が出ても意味ないから。売れたら成功、じゃないんだよ? 売れてからがスタートなんだから」


(……それは売れる前提での話なんだよなぁ。せめて顔出しするのなら話は変わってくるだろうが、顔の上半分を狐の面で隠すから自分から無用なハンデをつけてるようなものだ。顔半分隠れても可愛いんだけどさぁ……)


 自信満々の花音に対し、思っていたよりも全然話題にならずに花音が悲しむのではないかと村井は危惧する。

 確かに、花音は歌も踊りも得意というだけのことはあった。バーチャルシンガーに魂の一部を売り渡している村井が見ても感嘆するものであったが、歌と踊りの両方を習得している者は世の中にごまんといる。

 しかし、売れるのはその中の一握りだけだ。

 世の中に一定数いる、見せる技術はあるのに売れない人々。彼らに不足しているのが大衆に魅せる華だ。人々を魅了する華。花音はその華を類稀な美貌と魅了の異能という形で確かに持っているのだが、他でもない本人がその二つの武器を使わない案を採用してしまった。

 それは花音がアイドルではなくミュージシャンになることに拘ったからだ。

 本来の彼女のポテンシャルで全てのカードを切って活動すれば間違いなくどこからか声はかけられるだろう。何ならどこかの事務所でオーディションに応募すればほぼ間違いなく受かって芸能界入りする未来が見える。しかし、それは事務所が売るために考えた設計図に従って活動しなければならないという枷付きの未来だ。その未来は栄光を掴むのに最短かもしれないが、花音は望んでいない。

 そんな望まない未来を回避するためにはどうすればいいか悩む花音に村井は安易な提案をして彼女の魅力を半減させてしまう選択肢を与えてしまった。自分が余計なことを言わなければ花音は他の道を選んで成功したかもしれない。そう考えると村井は罪悪感に苛まれてしまう。そのため、村井は少し過保護な気はしつつも先に予防線を張っておくことにした。


「まぁ、先々の話をしても仕方ない。取り敢えずは今のことだ。今回の目標は一週間で再生数四桁くらいにしておいて最初から全部上手く行くとは思わずに気楽に構えて楽しんでやること」

「うん。でも、チャンスは学校に通い始めるまでだから一回も無駄に出来ない。最初から頑張る」


 村井の提言。花音はそれを受け入れたように見えたが、少し噛み合わない。村井は噛み合わない歯車を調整するために更に告げた。


「……まぁ、言いたいのは頑張るのはいいけど気負い過ぎるなってことだ。最初から何でもかんでも求めてやるんじゃなくて、少しずつ段階を踏んで行こう。折角花音が見つけたやりたいことだ。応援はしてるぞ」

「ありがと」


 逃げ道を作りながら応援する村井。本当に分かったのか少し疑問に思うが、あまり色々と口出しするのも憚られるのでこれくらいにして今回の花音のチャレンジに思いを馳せることにする。

 今回、彼女たちが動画投稿に挑戦するのは世界的な動画サイトであるYourTubeと国内の人気動画サイトであるニマニマ動画の二つだ。その中でも村井たちが再生数的に期待している方はニマニマ動画になる。利用者数は圧倒的にYourTubeの方が多いが、ニマニマ動画の方がYourTubeに比べて初心者の動画でも埋もれにくいという話だからだ。

 ただ、ニマニマ動画の方が動画投稿初心者でも見られ易いとはいっても初回の動画再生数は三桁行けばいい方だという。


(特に歌ってみたは格差社会らしいしなぁ……今からでも方針変えるように言った方がいいか……?)


 村井が動画投稿者からの成り上がりを目指すよりもきちんとした事務所のオーディションに参加する方向に話を進めた方がいいのではないか? いや、花音のメンタルのためには頼りたくない相手に頭を下げてでも彼女の夢を支えた方がいいのではないか? そう不安に思い始めたその時だった。花音が村井を呼ぶ。


「おにーさん」

「……ん?」

「大丈夫だから。見ててね?」


 色々と気を揉んでいる村井に花音が告げたのはその一言のみ。だが、何故か不思議と村井はその言葉を受け入れてしまい、急に落ち着いた。


「……そうか」

「うん。あ、でも全部ダメだったら流石におにーさんに慰めてもらうかもしれない」


 冗談めかしてそう言った花音。村井は苦笑しながら答える。


「大丈夫なんだろ? なら、信じるさ」

「……えへへ」


 照れたように笑う花音に村井の緊張も自然にほぐれた。それを見て花音も安心して帰路につく。その途中で花音は村井に内心で告げる。


(おにーさん、心配してくれてありがとう。でも、おにーさんが信じてくれてる分、私も頑張りたいの)


 今は面と向かって言えないが、いつか自分が成長した時にはこの台詞を伝えたいと思った言葉。他者の感情が視える花音にとって姉以外に初めて視た無償で自分のことを信用して心配して助けてくれる存在。色々と画策して行動しているが、甘えたいというのも本音なのだ。しかし、甘えっ放しというわけにもいかない。両者のバランスを取るため、花音はまず自分に出来ることに挑戦するのだった。



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