第15話
村井が初めて花音に自分の趣味を教えた日の夜。修行を終えてリラックスムードに入った花音は同じく修行を終えて部屋に戻って寛ごうとしていた琴音と一緒に部屋に戻った。そして花音はベッドの上に横になってスマホを弄り始めた琴音の側に座ると今日の出来事を話し始める。
「お姉ちゃん、今日は大発見あったよ」
「え、何?」
「おにーさん、バーチャルシンガーが好きなんだって。朝のコンビニはそれだった」
「バーチャルシンガー? へぇ」
自分はあんまり聞かないジャンルだな。琴音はそう思った。娯楽の類は村井に引き取られるまで馴染みが薄かったが、最近はスマホを買って貰った上で学校に行くようになって様々な娯楽に触れるようになっていた。そのため、音楽も聞くようになっていたが、まだ狭い範囲の楽曲しか聞いていない。
それでも花音が大発見と言うのであれば何らかの意図があるだろうと思って琴音は取り敢えずスマホで軽く調べてみた。その間にも花音は話を続ける。
「おにーさん、そういう歌がかなり好きみたい。だから、私たちも少しお話し出来るくらいには知っておいた方がいいと思う」
「うーん? そうなんだ。まぁ、流行ってる歌くらいは聞いてもいいけど」
「そんなんじゃこっち向いてくれないよ……ただでさえバーチャルシンガーに好感度で負けてるのに」
「え、うそ。そんなに?」
そこまで来ると話が変わって来る。一緒に住んでいる自分たちよりも画面の向こうのバーチャルシンガーの方が優先度が高いなんてことは琴音にとって衝撃的だった。
「……ちょっと、私も歌の練習した方がいいかな」
危機感を覚えた琴音が少し見当違いな方向に努力をしようと決心していると花音は頷いた。
「うん。後、思ったんだけど……私たち、おにーさんにお金借りてるよね? 普通に働いて返そうと思ったら一生かかるくらいの大金」
「うん……しかも、毎日のご飯とか色々買って貰ってるから、前より増えてる」
「返したいよね? じゃないとおにーさん、私たちのことをただの子どもとしてしか見てくれないし」
「うん……うん? え、別に子どもなのは事実だしいいんじゃ……」
琴音は花音の言い分に少し違和感を覚えて反論した。しかし花音は納得していないようだ。
「子ども扱いはいや。だって、私たちのこれからも全部おにーさんが決めようとするもん。私たちだって色々考えてるのに」
「……それは、そうだね」
「そうだよ。何かいつか出て行けみたいなこと考えてるし。嫌」
「う、うーん……それは、どうかなぁ?」
琴音としては大人になって自立してからは花音と一緒にこの家を出て借金返済生活を送るつもりだったのだが、花音はここから出たくないらしい。確かに、この家には結界などがあって安全に生活するには申し分ないが、村井が基本的に家にいるということが琴音には少しネックになっていた。
そんな琴音に対して花音は驚いたように尋ねる。
「え、お姉ちゃんここから出たいの?」
「うーん……」
改めてこの家から出たいかと問われた琴音は少し考えを巡らせた。
(でもまぁ、確かに現実的に考えるとこの家から出ない方がいいよね……一人暮らしには憧れるけど、安全の問題とか家賃とかあるし、何だかよくわからない悪夢を見た時とかお兄さんに相談出来るし……)
花音に改めて訊かれて現実的に考えると琴音もこの家から出るという選択はあまりメリットがない気がして来た。村井や御伽林のおかげでトラウマにこそなっていないが、あの日の惨状は忘れることは出来ない。いくら身体的に強くなったとしても精神は急に強くはなれないのだ。
「まぁ、出ない方がいいかもしれないかな……」
「だよね。でも、何でもおにーさんの言う通りなのも嫌でしょ?」
「それは、そう」
「だから、お金を返して生活費を渡せるようになりたいの」
「でも、三億円だよ? その上に生活費とかかかってるんだよ?」
無理だよ。言外にそう告げる琴音に花音は言った。
「取り敢えず、学校に通ってる間なら色々出来るよ。どうせ歌の練習するんだから、ミュージシャンやってみない?」
「えー……? 勉強やって修行やってその上、お仕事もやるの? 私、それなら家事でお金返したい。せっかくお兄さんが台所任せてくれるようになったし」
「どうせ歌う練習するんだしいいじゃん。ダンスは修行のついでだと思ってさ。最初は収益化しないで様子見よう? 上手く行きそうだったらやってみるって感じで」
「絶対上手く行かないよ……」
確かに花音は可愛い。姉としての贔屓抜きに可愛い。仕草は人を惹き付けるものがあるし、運動も得意で歌も上手だ。だが、そんな人は世の中に幾らでもいると琴音は思っていた。それは自分たちだけが特別だと思わないようにと今は亡き母親から散々躾られてきた結果だ。
だが、それでも可愛い妹のお願いだ。簡単に無下にすると言うのも憚られる。
「やってみようよ」
「……お兄さんがいいって言ったらね」
「じゃあ、訊いてみる」
逃げ道を残そうとする琴音に対しライムですぐに村井に確認を取る花音。ドキドキしながら返事を待つ二人だが、村井からの返事はいつも遅い。案の定、既読すら付かなかった。
「……直接聞いて来る」
痺れを切らした花音は琴音の部屋を後にして村井の下に向かうことにしたようだ。琴音はそれを追ってベッドから降りた。幸い村井はリビングで寛いでいただけの様子だ。これならすぐに話を聞けると花音と琴音は音楽を聴いている村井に迫る。
花音と琴音が村井のすぐ近くまで来たことで村井はイヤホンを片方外した。それを見て花音が切り出す。
「おにーさん、私、ミュージシャンやってみたい」
「……何だ急に? ミュージシャン?」
「うん。お姉ちゃんも一緒にやるの。ね?」
「え、えっと……まぁ、そうなるのかな?」
(何だ急に?)
村井の頭に疑問符が大量に点灯する。ただ、花音の方は至って真面目な様子なので村井も音楽を聞きながらではなくきちんと応対することにした。音楽を止め、両耳のイヤホンを外すと花音に尋ねる。
「で、何だ急に。何でミュージシャンになろうと思ったんだ?」
「お金欲しいから」
あんまりな発言に村井は少し笑ってしまった。そうすると花音はムッとする。
「真面目な話してるのに」
「悪い悪い。お金欲しいのか。小遣いでもやろうか?」
「……おにーさんのお金じゃダメ。ちゃんと自分たちでお金稼いでおにーさんにお金返すの。それで、おにーさんにちゃんと生活費払って一緒に暮らす」
「……そんなに気にしなくていいんだけどな。金じゃなくても余裕ある時に色んな形で返してもらえれば」
(最悪、昏き幽王が目覚めた場合に再封印さえやってくれればまぁ……)
村井としてはその点さえきっちりやってくれれば他はそこまで問題ではない。そう思っているのだが、二人は違うようだ。
「あ、あの、お兄さん」
「何だ?」
「わ、私たちも色々考えてるんです。その、今は子どもですけど、色々頑張りたいと思ってますし、ちゃんと恩返ししたいです!」
「お、おう……で、何でミュージシャン?」
「……それはその。何か、花音が」
頑張って意見を言ったが、その後は尻すぼみになる琴音。それだけで琴音は微妙にミュージシャンという道については懐疑的な意見を持っていることが分かる。村井はそこから切り崩すことにした。
「琴音、個人的な意見を言っていいか?」
「え、あ、はい」
「俺は何か無理して稼ごうとされるよりも家事とかをやってくれる方が嬉しい。琴音は最近、お菓子作りだけじゃなくて料理も頑張ってただろ?」
「はい」
「そういうところで頑張るっていうのは違うのか?」
「いや、私もそう思うんですけど……」
琴音は花音の方を見る。彼女は簡単に懐柔された姉に不満気だ。そんな二人の様子を見て村井は言った。
「まぁ、どうしてもやってみたいって言うなら少し先取りして隠形の術を教えるからそれをちゃんと覚えてからにして……」
取り敢えずの条件を挟んで村井は花音に尋ねる。
「急に稼げるミュージシャンになろうって言ってもかなりしんどいぞ? 何か伝手とか当てとかあるのか?」
「……そういうのはないけど、作戦ならあるよ」
「一応聞くけど。何?」
「最初は収益化出来ない動画サイトで色々カバーして、人気つけてスカウトされる」
「……それは作戦とは言わない」
無計画としか言いようのない花音の作戦に村井は呆れてしまう。そんな村井の態度に花音はムクれて反論した。
「でも、適当に道を歩いていてもモデルにスカウトされるんだよ? だから頑張って歌って踊ったらちゃんとミュージシャンにスカウトされるよ」
とんでもない自信だった。だが、花音のその自信は実績に裏打ちされているため、村井も無視できない。何と言っても別世界の彼女は色んな要素が絡み合った結果とはいえ、国民的アイドルになったのだ。そのため、こういった類のことは花音に出来ると言われてしまえば出来そうだと思ってしまう。ただ、村井は一応言っておく。
「うーん……まぁ、百歩譲ってスカウトされるとしても多分、花音はミュージシャンじゃなくてアイドルで売り出されると思うぞ……」
「やだ。ミュージシャンがいい」
「そうか……まぁ、やることやるなら止めはしないが、あんまり乗り気じゃない人に無理させないようにな」
「お姉ちゃん……」
村井が言わんとすることを察した花音がおねだりの目を琴音に突き刺した。だが、琴音は目を逸らす。
「お姉ちゃん……」
先程とは異なる声音で姉を呼ぶ花音。いたたまれなくなった琴音は悲しげに自分を呼ぶ花音にお願いする。
「れ、練習は一緒にするから……! それで許して花音。無理だよ。私、花音みたいに歌上手くないし、可愛くもないし」
「お姉ちゃんは歌上手だし、とってもかわいいよ。だから、ね?」
「お兄さん助けて……」
「はいはい、琴音のこと追い詰めていじめない」
場を仲裁する村井。しかし、内心では修正していた『昏き幽王の眠る町』の本編に少し近付くような結果になったことに一抹の不安を覚えるのだった。
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