寂しいだけが取り柄のあなたへ
蓼川藍
第1話
俺、実は魔法使えるんだよね。
公園の真ん中でしくしくと泣く男の子の前にかがみ込み、そう言って手を差し出した先輩の後ろ姿を、私は少し離れた場所から見守っている。
「ほら、見てみ」
先輩が拳にかけたハンカチを勢いよく引き取り払うと、その中からは一本の鮮やかな赤い花が出現した。無論、造花だ。生花ではないということはいつでもどこでも、何時間でも先輩はその赤い花を服の内側に仕込んでおけるという証拠であり、言うまでもなく、先輩のそれは魔法ではなくマジックだった。
「俺は人と話すのとか割と苦手な方だからさあ、そういうので人の興味手っ取り早く引いちゃって、話題がないことを誤魔化して飲み会とか上手くやってるわけ」
先輩がマジックを始めた理由は、そんな俗的かつネガティブな思考回路からくるものだ。マジックは基本的に嘘をついて観客の視線を任意の方向に誘導させたりするものだけれど、先輩がマジックをやる理由もまた、嘘の自分を周囲に認識させるためだった。
先輩にとってマジックとは、決して社交的ではない先輩が「無口でつまらない奴」というレッテルを貼られないための苦肉の策だ。何もしてこなかった大学生が、就活生という名の大人に否が応でもグレードアップさせられた時に、即席で取れそうな資格を取ったりそれらしい趣味を始めてみたりする感覚に近い。
「マジックって、テレビで見たことあるような定番ネタでも案外みんな見てくれるもんなのよ。そういうネタがあるのを知ってても目の前でやられると割と興味津々で参加してくれる人のが多いし、タネも仕掛けも知られてたとしても、結局のところはマジシャンの技量の方に目が行っちゃうわけ。だから結果的に、俺に興味を持たない奴はいなくなる。基本的にはね。俺は決まりきったセリフを決まりきったタイミングで言って、毎回同じ動きをしてるだけでいいのに。それだけで全てが上手くいくんだよ。……わかるか? ミヤ」
私にマジックを語って聞かせてくれた時の先輩は、ひどく酔っていた。酔っぱらった先輩は普段の様子からは考えられないほど饒舌で、私は「酒はその人の潜在的な欲求を引き出す」という俗説を思い出す。酔った先輩は、結局一度もお得意のマジックを披露しようとしないまま、その場に寝こけて私のことを置き去りにした。
私は酔って寝落ちた先輩のことを片手で担いで、地下でひっそりと営業を続けているバーを後にした。
埃くさい夜風を浴びながら、その時の私は「注目を集めたいなら私のことでも喋ればいいのに」と思った。
「ねぇ、お母さんは?」
作り物の花を受け取った少年が次に放ったのはそんな言葉で、それまで得意げに笑っていた先輩はわかりやすくたじろいだ。自分が魔法使いであると信じ込ませたはいいものの、魔法使いならばなんでも叶えてくれるだろうという荷の重すぎる期待をかけられる可能性に関しては、先輩はどうやらノーマークだったらしい。背伸びしたツケが回ってくるのが早すぎる。
「……私が探します」
仕方なく先輩の背後から声をかけると、先輩が「ああ、頼む」と弱々しい笑みを浮かべて振り向いた。
先輩はおそらく地球上に後世まで名を残す偉大な功績を収めているけれど、そのことを周囲にひけらかそうとはしなかった。むしろ、自分の能力が誰かに必要とされることを過剰に恐れている節すら見受けられた。だから、先輩は私のことを必要以上に飾り立てるのだ。
大学時代、安くて着回ししやすい大手衣料品メーカーのパーカーやデニムばかり着用していた私は、今や毎日のようにスカートやワンピースに色付きのタイツを合わせ、場合によってはUVカットのアームカバーを装着し、最後には決まって先輩の手ずからつば広の帽子をかぶせられていた。先輩はいつも変わらず私の大学時代の「先輩」であり続けたけれど、今の先輩は、いささか私を大事にしすぎている。
気弱で、無口で、たぶんとんでもなく寂しがりの──兎のような私の先輩。
私は先輩の気まずげな要請に小さく頷いて返して、周囲に意識を張り巡らせた。360度、私たちの周りの風景を視界に収めて、人の体温を探る。
「──先輩、」
「ああ、どうだ? ミヤ」
「熱源反応を確認しました」
先輩の目が輝く。
「どの方向だ?」
私は正直に、視界が真っ赤に染まる問題の方角を指さした。それから、静かにかぶりを振る。先輩は自分の意思で精巧に作ったはずの、私の──
「そうか──うん、なるほど、」
先輩はしばし抜け殻のような元気を声に滲ませて、「なるほど」と繰り返し何度も頷いていた。
その研究者然とした仕草は明らかに嘘っぽかったけれど、事実として先輩は研究者だった。先輩は研究者のくせに、研究者然とするのが下手だった。子供の前では特に、その欠点は致命的だ。嘘をつくのが下手な研究者の先輩は、この子供の前では万能の魔法使いのままだった。
だから先輩は、その男の子の前で、いかにも全知全能ぶり続けた。
「きみのお母さんは、あそこの穴が空いた丸い建物の中に入っているように、きみに言ったんじゃないかな。お母さんが戻ってくるまで絶対に外に出ちゃいけないって、きっと言ったんだよね」
先輩が指さした先には、ドーム型の遊具があった。出入り口はまばらに配置された円形の穴のみで、天井は完璧に塞がれている。
「うん」
「でも、いつまで経っても戻ってこないから、寂しくて出てきちゃったんだよね」
「うん、」
男の子は、また泣きそうな顔になっていた。先輩のあげた花は所詮紛い物でしかなくて、魔法も既に解けかかっている。
でも、それを察してもなお、先輩は笑顔を浮かべていた。励ましと慰めの正しい所作は、いつだって穏やかな笑顔で肩に手を置いてやることだと決まっていた。
「大丈夫、お母さんは助けを呼びに行ったんだ。きみなら一人でも無事でいられるって信じてるから、きみを置いて助けを呼びに走ったんだよ。でも、ここももうじき危なくなる。先に安全な場所に避難しておこうか。場所はわかるね? きみのお母さんは俺たちが探して、きみのことをちゃんと伝えるから。さあ、行って」
先輩は半ば強制的に男の子を公園の外に送り出した。そして男の子の姿が見えなくなると、平坦な声で「行こうか」と言う。熱源反応とは真逆の方向を、先輩の爪先が指し示している。
「……いいんですか」
「ん? 何が」
「今から現場に行って、回収しなくて。……その、母親の、」
「魂?」
「…………はい」
先輩の成した偉業はある意味で冒涜的だった。人間の死体から魂と呼ばれる物質を抽出し、他の媒体に移し替える。そういう風にして、先輩の手によって生まれ直した人間は今のところ私だけだ。おそらくは、これからもずっと。
「俺に武器商人になれって言うのか? ミヤは」
それを言われると、返す言葉がなかった。
人類が地球外生命体からの攻撃を受けるようになって、半年ほどが経つ。地球外生命体は地球上にあるどんな物質を使っても消えない炎を地表に向かって投下し続けた。燃え広がることがないのが唯一の救いだが、直撃すればまず命はない。
宮凪沙が宇宙の炎に包まれた時、地球上に彼女を救出できる人間は一人としていなかった。宮凪沙は遺灰も残さず燃え尽きた。なんなら今でも燃えている。それでも彼女は目を覚まし、活動を続けている。あらゆるセンサーを搭載した瞳と、成人男性をも片手で抱えられる強靭な肉体を持って。
「俺がやってるのは医療行為じゃないからね。知能ある兵器なんて、いくら宇宙人相手でも反則だろ? だから、俺はあの子に何もしてやれないよ」
先輩が歩き出すので、私は先輩の後を追いかける。
先輩があの子に何もしてないなんてのは詭弁だと思うけれど、今の先輩は誰からも注目を浴びたくないだろうと思うので、先輩の意思に忠実な私は何も言わない。
先輩は、私の中でだけ万能の魔法使いでいられればそれでいいのだ。
寂しいだけが取り柄のあなたへ 蓼川藍 @AItadekawa
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