第75話 最後の一手
「【レコードキー】を手に入れたところで、それを使える場所まで赴かなくては無用の長物なんですよ」
「なるほど?」
アイを先頭に薄暗い階段を下る。反響する声に耳を傾けていれば、納得できる話だった。
僕たちが手に入れたのはあくまで鍵なのだ。対応する鍵穴、あるいは読み取りリーダーが必要なのは当然だった。
「つまり、この先に【レコードキー】を使える場所があるってことね」
「はい! というか、もうすぐ――」
螺旋階段を延々と下った先に、ほのかにオレンジの光が見えた。どうやら目的地に着いたらしい。後ろを振り返っても、入ってきたところは全く見えない。驚くほど長い階段だった。これを上って戻ることは考えたくない。
目的を達成できたら美海の転移魔術で自分たちのダンジョンに帰るつもりだけど、予定は未定とよく聞く。この場所で何か不測の事態が起きないことを願うばかりだ。
「おー! なんか、秘密基地感があっていいな!」
「ちょっと陽斗! 無用心に駆け回らないでよ!」
着いたのは広々とした大空間だった。雑多に物が溢れていて、広さをあまり感じられないが、天井が高い。
積み重ねられたり陳列されていたりする物の中には、男心をくすぐるプラモデルや、収集意欲をそそりそうなミニチュア模型などもあった。
それらの物の山が衝立代わりになっているのか、大きな空間が小さく区分けされている。一人用のソファや机まで置かれているところもあって、ここがなんの目的のためにあるのか見失いそうだ。
「……陽斗は元気だなぁ」
「元気ですね~」
駆けていった陽斗が、物の山から何かを取り出す。レトロなゲーム機らしい。「これのゲームソフトはどこだー!?」なんて叫びながら、周囲を捜索して回っていた。
その後ろを美海がついて行きながら、なんとか止めようと言葉を掛け、腕を引っ張っている。陽斗は全く止まる気がなさそうだけど。美海はゲームジャンキーの抑止力には不足だった。僕もする前から諦めている。
「あ、優弥さん、あれが【レコードキー】と対になった装置ですよ! さっさと目的を果たしてしまいましょう」
「ああ。二人はいなくても大丈夫だよな?」
「【レコードキー】の使い道は既に決めていますからね。もし問題が起きたら、その時に相談すれば大丈夫でしょう」
軽く頷いたアイの後に続き、僕も装置に向き合った。
それは大きなパソコンのように見えた。手前にアルファベットが書かれたキーボードがあるのが、余計にその印象を強める。
なんだか、思っていたより日本というか地球風の物が多い。それはどういった理由からなのか分からないが、後でアイに聞けばいいか。
「ここに【レコードキー】を翳して――」
不意に画面が光を放った。
「『アカシックレコードに接続中です』?」
「そうですね。情報に干渉するため、この装置はアカシックレコードに接続する機能があるんです」
「へぇ……アイができることだから、いまいち凄さが分からない」
「私はアカシックレコードを読み取ることはできても、情報を隠したり操作したりすることはできませんよ。この装置は、言わば世界の縮図でもあるんですから」
「世界の縮図ね……」
アイに説明されたところで、あまりに規模が大きすぎて、やはり理解が及ばない。だが、アイが理解してくれているからいいのだ。目的を達成することはできるのだから。
「んんー……、どうやら【レコードキー】の使用制限は、一人一回の時間制限だったみたいです」
「そういや前に、時間制限かキーワード制限が掛かってるんじゃないかって言ってたな。キーワード制限より、アイにとっては自由度が高いんじゃないか?」
情報の扱いに関してはスペシャリストなアイにとっては良い条件だろうと言ってみるが、アイは渋い表情だった。画面に現れた注意書きに目を走らせながら、何か考え込んでいる。
「時間が結構シビアなんですよね。私たちは魔王に関する情報を得ると共に、私たち自身の情報を隠匿したい。日本に帰還した後、余計な干渉を避けるためにも、私たちの情報の隠匿こそ最重要でしょう。その全てを為すほどの時間が、果たしてあるか……」
「え、アイでも無理だったら僕たちはもっと無理だぞ?」
一人一回の使用制限がある【レコードキー】だ。アイの番で作業を完遂できなかったとしても、新たに【レコードキー】を探して、他の三人が作業を継続することはできる。だが、そういった情報の扱いに慣れていない僕たちが、はたしてどれほどのことができるか。
顔を歪める僕に、アイが苦笑を向けた。
「分かっています。全力を尽くしますし、もし作業を引き継ぐことになっても大丈夫なように、複雑な作業は残さないようにしますから」
「それは本当に頼む」
真剣に頼み込んだ。アイが頷いて請け負い、再び画面に視線を向ける。そっと伸びた手がキーボードに載せられた。
「では、始めます」
パチッとキーボードが叩かれると同時に、画面が文字で埋め尽くされる。流れる文字を目で追うアイを、僕は息を呑んで見守るしかなかった。正直、今何が行われているか全く分からない。
「――ここから深層へ……私たちの情報は、これ……なるほど、魔王はもしかして、これを目にしているか、部下から聞いたか……。情報の隠匿を選択。こちらは消去。……なるほど、こうすれば情報の流出は防げる……」
真剣な表情で呟きながら、アイの指先は流れるように動き続ける。
「情報の隠匿完了。後顧の憂いなし。魔王の情報に干渉するには……時間が微妙ですねぇ」
「……そうなのか。できる限りで大丈夫だぞ?」
「魔王の私的な情報は流して、重要なところだけ確認しましょう。……んん、やっぱり魔王はこの装置で自分に関する情報を隠匿していたようですね。解除に手がかかります。あ、でも、解除さえ済めば、後からでも私の能力で確認できますね! 素晴らしい、頑張ります!」
「お、おう……頑張ってくれ」
アイが真剣な表情で声だけ明るくするので、ちょっと気圧されてどもってしまった。だが、作業が順調に進んでいるばかりか、こちらにとって良い状況になっているようで何よりである。
「どんな感じ?」
「美海、見ての通り、作業は進んでるぞ。僕たちの情報の隠匿はできてるっぽい」
「あら、それは良かったね」
「陽斗は――」
「あ?」
近寄ってきた美海に現状を報告しつつ、姿が見えない陽斗のことを聞こうとしたら、圧力のある笑みを向けられてしまった。僕は口を噤む。
触らぬ神に祟りなし。昔から言われている言葉は、大切にすべきだから現世まで伝わっているのだ。
「よしよしよし! 魔王の正体見たり! スーパーAIさんにかかれば、まるっとずばっとお見通しですよ!」
「うおっ!?」
急に拳を掲げてウィナーポーズをとるアイから跳び退く。危うく殴られるところだった。
「あ、優弥さん、ごめんなさいっ!」
「いや、大丈夫だけど……作業は終わったんだな?」
置いてあったはずの【レコードキー】が消えていた。画面も真っ暗になっているし、制限時間が終わったようだ。
「もちろんです。多少取りこぼしたところはありますが、そこへの道筋は作ってあるので、落ち着いたところでアカシックレコードを精査すれば大丈夫です」
「それなら良かった。お疲れ様、アイ。それと、ありがとう」
「アイちゃん、任せっきりにしちゃってごめんね~! ありがとう!」
「えへへ……どういたしまして?」
僕と美海の言葉に照れくさそうにしたアイが視線を彷徨わせた。不思議そうに首を傾げる。
「あの、もう帰れますが、陽斗さんは……?」
「置いて行きましょう」
「え、そんなわけには――」
「置いて行きましょう」
「えぇ……?」
真顔で同じ言葉を繰り返す美海に、アイが顔を引き攣らせた。だが、困惑しつつも、なんとか陽斗に手を差し伸べようと、美海を説得し始める。
「いや、置いて行ったら、陽斗さん帰れなくなっちゃいますよ……?」
「それも本望じゃないかしら?」
「陽斗さん、一体何をしでかして……?」
「さあ? 自分の楽しみの中で生きているだけじゃないかな?」
劣勢に立たされるアイの助けになりたいが、僕はあまりに無力。とりあえず、陽斗を探して叱りつけた上に、美海にスライディング土下座でも捧げさせよう。
心の中で決意して、そっと気配を消し、物の山のどこかに埋もれている陽斗を探しに行った。
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