第53話 新たな被害者

 バクと聞いて何を思い浮かべるかというと、やはり『悪夢を食う』という性質だろう。動物のバクではなく、霊獣のバクならばだけど。

 では、魔物のバクタイプとは――?


『うわああぁああっ!』

『や、やめろぉおおぉっ!』


 スクリーンの向こうで、ディックとエリックが叫びながら地面を転がっていた。その様をピンクのカバっぽい魔物が『うふふ……』と微笑みながら見守っている。


「何が起きてるんだ……?」

「よく分かんないけど、詳しく知らない方がいい気がする……」


 ディックたちが何に叫んでいるのか困惑してしまう。彼らの視界には既にピンクの魔物は映っていないようだし、見た目の迫力に戦いているわけではないだろう。


「あー……、この魔物はアクドというらしいです。私もこの魔物は把握してませんでした」

「アクド?」

「悪夢を見せる魔物だぜ! いやあ、どういう階層にしようか悩んだ時、たまたまこの魔物が目に入ってさぁ……これだ! ってなったんだよ」

「これだ、ねぇ……」


 スクリーンを操作して、ダンジョン地図を移す。陽斗が作った階層自体は、たくさんの転移罠で各部屋を繋ぐ構造になっていた。各部屋ごとに魔物がいて、それを倒さないと次の部屋に行けないらしい。


「転移罠でディックの探知魔術を妨害するってことね。でも、エリックがあの剣を持ったままだったら、瞬殺されてすぐ突破されていたんじゃない?」


 美海が言いながら、違うスクリーンに映された剣と杖を見やった。ディックたちが剣と杖の映像を見ている時は色々と遊ぶが、普段は安置しているだけだ。


「だからこそ、このアクドだよ。こいつを視界に捉えた瞬間に、悪夢が襲ってくるらしいぜ。それに瞬時に反応できるほど、精神を鍛えてたらマジィけど、エリックはそんな感じじゃなかったしな! ここを突破しても、精神に作用する攻撃の魔物が目白押しだぞ!」

「ふぅん? 効いているみたいだからいいけど」


 僕も美海と同じく、武器を取り上げていなかったらちょっと危うかったんじゃないかと思うが、結果オーライ。こうしてディックたちの足を止めるのに成功しているのだから良しとしよう。


「どういう夢を見てるんだろうな?」

「さすがに頭の中を覗くことはできませんね~」


 気になるが、アイが言う通りどうしようもない。笑える映像を見ようと思っていたのに、不完全燃焼な気分だ。

 美海も同じように不満そうにしていたが、ディックたちの傍にアクドとは違う魔物が現れてポカンと口を開けた。


「……え、なんでワラドール?」

「いや、悪夢を見せて行動不能にするのはできるけど、アクドって直接的な攻撃力はねぇみてぇでさ……慌ててワラドールに対処を任せた!」

「陽斗、行き当たりばったりすぎるだろ……」


 目を逸らして早口で言い訳する陽斗をジトリと見る。空笑いで誤魔化されると思うなよ。

 陽斗に仕事を任されたワラドールは気合い十分の様子でディックたちに近寄っている。とはいえ、ディックたちも無抵抗で地面に転がっているわけではない。悪夢に対抗しようとしているのか、剣を振り回したり魔法を放ったりと、近寄るのも危険そうだ。


「どうするつもりなんだ?」

「ワラドールに任せたから……知らね」

「ちょっと、陽斗、責任を持ちなさいよ……」


 この階層の担当者の癖に投げやりなのはどうなんだと美海が責める。たぶん陽斗はたくさんの部屋に設置する魔物を考えたらもう飽きてしまったんだろう。そういうところ、結構ある……。僕も白い目を向けたが、ワラドールは自分で対処法を考えたようだった。


「あ……魔力吸引……」

「魔力吸引? それってなんだ、アイ?」

「魔力を強制的に吸収することで、対象の行動を一時的に阻害するという罠道具ですね。この前のスパイ作戦の時にワラドールに持たせた罠道具の一つです。あの時は使わなかったようですが……そういえば回収してませんでしたねぇ」


 アイが感心したように頷く。

 ワラドールが魔力吸引の罠をディックに投げると、何やらぼやけた靄のようなものがディックから罠の方に流れていった。この靄が恐らく魔力なのだろう。一応エリックからも吸収されているようだが、その量はそれほど多くなさそうだ。元々持っている魔力量の違いが関係しているのだろう。


「魔力を使いすぎると、失神まではいかないけど、体が動かしにくくなるのよね?」

「はい。とはいえ、人間は常時魔力を少しずつ生み出していますから、限界まで吸い取ったところで、行動を阻害する効果があるのは五分ほどではないでしょうか」

「……戦闘中なら、十分な効果ね」


 美海が評する通り、ディックとエリックの動きは如実に鈍くなっていた。それを彼ら自身も十分に分かっているのだろう。恐怖の叫びが更に大きくなる。


「お、仕留めるのは釘か」

「ワラドールの攻撃手段といえば、釘だものね」

「……いつも通り過ぎてつまらねぇな」

「人任せにした陽斗が文句言うな」


 釘を取り出したワラドールがそれを構えると同時に、どこからか金槌を取り出した。文句を言っていた陽斗まで口を噤み見守る。

 空中で釘を金槌で打つ仕草をすると、すごい勢いで釘が飛んだ。正直、目で捕らえるのも難しいくらいのスピードだった。

 二度釘を放つと、ディックとエリックに刺さり、一撃で死に戻りさせる。予想以上の攻撃力だ。


「は?」

「うっそぉ……ワラドールってこんな強かったんだ?」

「マジか。見直したぞ、ワラドール!」

「これは……最近スライムと特訓していた動きですね」

「特訓?」


 二人を倒しきって力強くガッツポーズをしているワラドールを呆然と見ていると、アイの得心がいったと言いたげな呟きが聞こえた。


「新たな活躍の場を見据えて、ワラドールとスライムたちで戦闘訓練をしているようですよ? 今回はスライムの活躍の場がなかったので、どこかで披露させてあげた方がいいかもしれませんね」

「……なるほど」


 戦闘訓練を自主的にしているというのは褒められて然るべきとは思うが、何とも言い難い思いが拭えない。自然と返答は曖昧になった。


「それで、最初に見た泣き顔は?」

「あ、そうじゃん! その映像、なかったよな?」


 美海が指摘すると、パペマペたちが『お任せあれ!』と言いたげに動くと、スクリーンが切り替わる。映し出されたのは死に戻り地点の映像だった。

 呆然とした表情のディックとエリックが、死に戻り地点で座り込んでいる。その二人に向けられる視線は冷たい。駐屯地内での二人の扱いは酷くなっているようだ。それでも治癒師が呼ばれてすぐに治癒してもらえるのだから良いだろう。


『それでお二人は何を失われたんですか?』

『……うしなわれ……』

『死に戻るとアイテムや魔力を失う決まりですから。アイテムでしたら補填のためにも申請が必要です。魔力を失って動けないようでしたら、あちらの寝袋で休まれては?』

『しんせい……』


 死に戻り地点に常駐している騎士が尋ねると、二人はぼんやりと返答しながら荷物を漁りだした。


「何か鈍いな?」

「魔力を失っているからでしょう」

「ああ……じゃあ、今回はアイテム喪失はないのか?」

「いえ、ワラドールが死に戻り直前に魔力を吸い出していましたから、恐らく魔力だけでは死に戻りの代償に足りないかと……」


 アイが話している途中で、ディックたちの表情が如実に変わっていくのが見えた。荷物を漁り、すぐに何かに気づいたように自身の体を触っている。


『……な、ない……』

『ない……なぜ、こんなものを……?』

『何がなくなったんですか?』


 容赦なく尋ねる騎士に二人とも躊躇いつつ口を開く。


『杖と……』

『剣と……』

『武器は替えがいくらでもありますよ。まあ、以前あなた方が持っていた物とは比べ物にならない出来ですけど』


 騎士がちくりと毒を刺すのも気づいていない様子の二人が、さらに何かを言いたげに口を開閉していた。


『あと……』

『……パンツもない』

『は……』


 漸くエリックが告げると、沈黙が満ちた死に戻り地点が、一転して爆笑の渦に包まれた。『また被害者でたぞ!』『なに、そういう趣味?』『どっちのこと言ってんの? ダンジョン? それとも、こいつらの?』『それはもちろん――』と騒ぐ声にショックを受けたのか、ディックが『うわぁっ!』と泣き伏す。


『私の趣味じゃありません……!』

『俺の趣味でもないぞ……!』

『ビリーたちもそう言うんだけどさぁ、あんたら以外に下着盗られるやついねぇんだよな!』


 再びドッと笑いが上がる。

 

「まあ、なんというか……」

「正直、元々の態度の悪さのせいよね。ビリーたちはここまでではないし」

「ビリーたちの場合、既に慣れがある感じだけどな」


 陽斗たちと顔を見合わせて肩をすくめた。杖と剣を使って遊んで鬱憤は大体晴らしていたが、漸くディックたちに仕返しができた気分である。


「――休憩はここまで。これからのこと話そうか」

「りょーかーい」

「良い気分転換になったわね」

「では、改めて情報の整理をしましょう!」


 ダンジョンの監視を再びパペマペたちに任せ、現実逃避をやめて本題に向き合うことにした。

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