第42話 駐屯地の夜(他者視点)
夜の帳が下りる。方々に明かりが灯され、夜警が松明を手に見回っていた。
やけに静かな夜だ。
そう胸中で独り言ちたエリックは、グラスの中の酒を呷り立ち上がる。宛がわれているテントに戻ると、すっかり寝支度を整えたディックが意外そうに目を見張った。
「珍しい、もう寝るんですか?」
「ああ、どうも奇妙な感覚があってな」
「奇妙な、ですか……。あなたがそんなことを言うと、嫌な予感が募るんですけど」
「きっと気のせいだろう。ほら、明かりを消すぞ」
眠たげに目を擦るディックに苦笑して、テントに吊るされていた明かりの光量を落とした。
ディックは類まれな能力を持つ魔術師だが、あまり夜に強くない。宵っ張りな俺とは対照的だ。
「まさか魔物が襲ってくるなんてこと、ないですよね?」
「どんだけ夜警の者がいると思ってるんだ。この辺の魔物が近づいてきたところで、すぐ倒すさ」
「……それは、そうですね」
俺の言葉がディックの不安を煽ってしまったようだが、当然の事実を口にすればごそごそと身じろぐ音がする。薄暗い中で目を凝らせば、ディックがベッドに潜り込んでいた。警戒心より眠気が勝ったらしい。
子供みたいなディックに苦笑しながら、腰に佩いていた剣を外し簡易ベッドの脇に立てかける。こうしておけばいざという時すぐに手にすることができるから、これは習慣だ。
靴を履いたまま寝転がれば、ギシッときしむ音がする。どうにも、今日は感覚が鋭敏だ。普段気に留めない些細なことが酷く思考を揺さぶる。
「……悪い酒だったか? ……まあ、寝れば治るか」
アルコールで感覚に誤作動が生じているのかもしれない。そう思って目を閉じる。ディックのかすかな寝息を数えていたら、スッと意識が落ちていった。
ふと目が覚めた。目を凝らしても薄暗いテントの天井が見えるだけ。何が覚醒に至る程の刺激を齎したのか分からないまま、静かに身を起こした。
ベッドの脇の剣を手に取る。その瞬間、よく分からない違和感が身を貫いた。何かが……違う。
「明かりを――」
寝ているディックには申し訳ないが、明かりをつけさせてもらおうと立ち上がった。
――ガンッガンッガンッ!
けたたましい音が夜の静寂を切り裂いた。夜警が緊急事態を知らせる音だ。心臓が激しく鼓動を打って、すぐさまテントの外に駆ける。
「一体、何が――」
「治癒魔術師! 領主様の元へ!」
「領主様が危篤だ!」
夜警の者が走り回っていた。その言葉だけで事態はおおよそ察せる。どうやら領主が何者かに襲われたらしい。病気でこんな騒動は起きないだろうし、魔物と叫ぶ者もいないのだから、領主を害したのは人間だろう。
慌ただしく動き回る者たちの言葉からそう推察して、これが寝る前から続く奇妙な感覚の原因かと納得した。
「――エリック、何事ですか?」
眠たげな声が近づいてくる。
「領主が何者かに襲われたようだ」
「それは……あれ、ですか」
ディックが苦笑する気配がした。俺も苦笑を返して歩き出す。誰がこの騒動を起こしたかなんて分かりきっているが、この状況で寝に戻るわけにはいかないだろう。俺は領主側の人間ではないが、騎士なのだから。
後ろにディックがついてくるのを感じながら、騒々しい人々の波を通り抜け、領主がいるテントの傍に向かう。そこには、既に俺の上司とも言える側近殿がいた。
「――予想通りの展開ですか?」
静かな面持ちの側近殿は、僅かに忌々しげな色を目に浮かべテントを見つめている。囁くように問いかけると、ちらりと視線が寄越された。
「予想以上に愚鈍でしたよ」
「そうですか……まあ、そうでしょうね」
わあわあと喚く男の声。無様な失態を犯し、領主の恩情によって生き延びていた筈の騎士が、たくさんの騎士や冒険者に取り押さえられていた。
「うるさいですね」
「そうですね」
側近殿の一言で要求を察し、近くにいた部下の騎士に指示を出す。すぐさま男の口に猿ぐつわがかまされた。
「首を落としますか?」
「……領主が起きる前に」
面倒だと言いたげな口調に僅かに苦笑を返す。側近殿はサッと踵を返した。ここにいる時間さえ無駄に感じたらしい。
「領主は一命を取り留めたようですね。……地位は風前の灯火でしょうが」
「あの側近殿が手を回しているんだから、そうなんだろうな」
呟くディックに言葉を返しながら、再び部下の騎士を呼び寄せた。不穏分子の粛清という名目で、領主の判断を仰がずに処罰しろと命じると、心得たように頷かれる。領主を殺そうとしたならば、命で贖うのは当然。領主が再度恩情を掛ける愚を犯さぬよう、こちらが主導するのも無理はない判断だろう。
「面倒事は片づいたし、些か騒々しいが寝るか」
「まあ、少しは落ち着いてきましたしね」
自分たちのテントに向かって歩きながら、心が騒めくのを感じた。まだ奇妙な感覚が残っている。領主暗殺未遂事件の予兆で変な感覚になっていたのだと思っていたのに。
不安を堪えるために腰に佩いた剣に手を伸ばす。俺の一等大切な、相棒とも言える物。
柄に触れた時、ぞわりと背筋が凍った。
「っ!」
「どうしました?」
ディックに返事をする余裕もなく、近くの松明へと駆けた。
鞘ごと外した剣を明かりに翳す。揺らめく火が舐めるように剣を照らした。心臓がドクリと跳ねる。
「――っ、違う、これは俺の剣じゃない!」
「何を? どう見てもエリックの――」
訝しげな声が耳を通り抜ける。
一見すると、俺の剣のように見えるが、全く違う感覚のそれを化け物のように不気味に感じて凝視した。
そこでふと思考が冷静になる。この手元の剣が偽物ならば、本物の剣はどこに――?
身を翻して駆けた。ディックの驚きに満ちた声が背を追うが、それを気に掛ける余裕はない。
自分のテントに飛び込んで、迷わず明かりをつける。煌々と照らす明かりの下、テント中を荒らすように探し回った。
「ない、ない、ないっ! なんでないんだ⁉」
焦りが支配する思考の中で、更に嫌な考えが浮かんできた。
俺の剣が誰かに盗まれたとして、それならばディックの杖だけ無事という可能性はどれほどあるのか。確かディックはいつもベッドの枕元に杖を置いていた。誰かがすり替えることも可能だろう。
「ディック!」
「な、なんですか、一体。エリック、ちょっとおかしいですよ――」
説教を始めようとするディックの肩を勢いよく摑む。痛そうに顔を歪めるが、それを気にしている余裕はない。
「お前の杖は無事か⁉」
「っ、杖ですか? 杖ならここに」
訝しげにしながら伸びたディックの手が懐を探った。引き出した杖を突き付けられるも、俺はディックを凝視する。俺ではその杖が本物であるか判断できない。
「それは、本物か⁉」
「さっきから、何を――」
不可解そうに歪んだ顔で、それでも俺の言葉に従い杖を見つめたディックの目が、次第に大きく見開かれていった。震える唇が「うそだ……」と形どる。
「それも偽物か……?」
「それもって……まさか、エリックの剣も⁉」
悲鳴のような声が絶望を伝えた。
手の力が抜ける。このテントの中に、他に剣も杖もなかった。
「……俺たちの武器、盗られたようだ」
「なんてこと……」
絶句するディックを見ながら、焦りで乱れそうになる思考をなんとか纏める。
「……盗人を探すぞ。全員のテントと持ち物を強制的に捜査する」
「……魔術師から、代わりの杖を借りてきます。あの杖ほどの効果はないでしょうが、探知魔術で探してみます。外に捨て置かれていてもすぐ見つけられるでしょう」
絶望して時間を消費するのは損失だ。一刻も早く盗人を探し出し、俺たちの武器を取り返さなければ。
なんとか気を取り直して動き出した。
だが、多くの者たちに怒りを向けられた強制捜査、ディックによる探知魔術の結果――剣も杖も、どこにも見つからなかった。
「どうして……」
「なんで、こんなことに……」
冷たい視線が向けられる中、俺もディックも呆然と立ち尽くすしかなかった。
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