第8話 ダンジョン一階層

 木々が途切れた先に突如として現れた石造りの門。無骨な門の先は、暗い水面のように揺らめき、不吉な雰囲気が漂っている。

 ……正直、この先に進みたくない。


「ここが、ダンジョン……」

「通称、なにものでもないダンジョンですね」

「その名前、カッコよくねぇんだよなぁ」

「ダンジョンの名前にカッコよさとかいらないんじゃない?」


 装備を整えて、警戒しつつ森を駆けて来た僕たちは、不気味な雰囲気を漂わせるダンジョンの入り口をまじまじと眺めていた。

 森の中にいる魔物は弱いらしいが、どれも動物に似た見た目らしいので、今のところ戦いを避ける方針だ。魔物の解体方法なんて知らないし、その覚悟もなく悪戯に命を狩るのはなんか違うんでは、という意見に皆が同意してくれたからな。


「さて、準備はいいか?」

「おう! 俺の剣が火を噴くぜ!」

「本気で火を噴かせるのは止めてくれ……」


 剣をかかげて答えた陽斗に、ため息混じりで注意する。あれはゲームやアニメとかだからカッコいいんであって、間近でやられたら放火魔としか思えないからな?

 勇者が用いる最も効果が高い剣術は、剣に魔力をまとわせて攻撃するというものらしい。一度見せてもらったけど、ド派手に火を纏って振るわれる剣には恐怖を覚えたぞ。

 アイ曰く、ダンジョンの大部分は洞窟らしいので、火の使用による酸欠の可能性や予期しないガスへの引火を危惧して、火の魔力の使用は禁じている。自爆、ダメ絶対。


「陽斗、あんまり調子に乗ってると、私が宙づりにするからね?」

「……それは止めてくれ」


 腰に手を当てて睨む美海に、陽斗の背が丸まる。

 一度、森へ火の粉を散らし、山火事を起こしそうになった罰として、陽斗は美海の浮遊魔術で宙づりにされた。それがだいぶ精神的ダメージとして残っているようだけど――ざまぁないな! 飛び散る火の粉で危うくハゲにされかけたから、こう思っても許されるだろ。


「陽斗いじりはその辺にして、そろそろ行こう」

「レッツ突撃、隣のダンジョンさん!」


 アイが意味の分からない掛け声を上げたところで、僕たちはダンジョンへ一歩足を踏み出した。



 ◇◆◇



 ――一瞬、薄い膜を通り抜けるような感覚。


「へぇ、マジで洞窟じゃん!」


 念のために空間隔絶バリアーを前方に展開している僕の横で、陽斗が周囲を眺めながら弾んだ声を上げる。

 都会育ちなので、このような洞窟に入るのは珍しい体験だ。場違いながらワクワクしてしまっても仕方ない。……だから、無邪気な子どもを見るような目をやめてほしいな、アイ。


「人工的な感じの洞窟ね。地面がぬかるんでないのは助かる」


 足下や壁を確認して頷く美海は、流石の慎重さだ。僕も見習って周囲を観察する。


 ダンジョンの壁や天井は、しっかりと固められているように見える。素人目の判断しかできないが、余程のことがなければ崩落の心配はないだろう。

 前方はすぐに二又に分かれていて、その先は見通せない。アイの作った地図がなければ迷子になること請け合いだな。


「最初は右の道で良かったんだよな」

「はい。しばらく行くと扉があって、その奥で宝箱をゲットできるはずです」


 道案内役はアイだ。はぐれた場合に備えて、各々地図を覚え懐に忍ばせてもいるが、一番正確に覚えているアイの指示に従う方が早い。


「ここから先に現れる魔物は、最初に陽斗が対応。数が多い場合は美海が補助。僕はバリアーで適宜攻撃を防ぐけど、自分たちでできるだけ避けるように」

「おう!」

「分かった」


 僕の指示に陽斗が二ッと笑い、美海が少し緊張気味に頷いた。


「私は、魔物についての注意や罠の警告をします。私の言うこと、無視しないでくださいね!」

「分かってるよ、当然だろう」


 指示から省かれたアイが自己主張してくるので苦笑する。言われなくても分かってるって。膨らんだ頬をつついたら、空気の抜ける音がしてアイの顔が赤くなった。面白い。

 

 ふと視線を感じて見ると、陽斗がなんとも言いがたい表情をしていた。気づかない振りをして進むことにする。……ため息やめろ。言いたいことがあるなら言葉にしろって、子どもの頃から言われてるだろ。


 右の道を選び、暫く道なりに歩く。ダンジョン攻略初心者なので、最初は慎重に時間をかけて進むつもりだ。


「――魔物です。ケイブラットが二。動きは素早いですが、陽斗さん一人で問題ありません」


 アイが警告したところで、道の先から猫ほどの大きさのねずみが駆けてくる。長い牙と爪があり、なかなか狂暴そうな見た目だ。

 あの鋭い牙と爪、刺さったらどうなるんだろう。偏見かもしれないが、なんか病原菌持ってそうだ。美海は治癒魔術も使えるみたいだけど、未知の感染症になってもなんとかなるんだろうか。


「優弥!」

「バリアー解除。……展開」


 張っていたバリアーを解除した途端、陽斗が魔物へと飛び出していく。少しの逡巡もなかった。その猪突猛進な感じ、素直に凄いと思う。

 陽斗を見届けて、再び小規模なバリアーを張る。不意打ちの攻撃を避けるためだ。


「俺の剣の藻屑にしてやるー!」

「……言葉の使い方、間違ってるでしょ。それに藻屑まで切り刻まれたらグロいから、私は遠慮したいんだけど」


 呆れたように呟く美海の声は陽斗には届かず、剣が素早く振られるのが見えた。ケイブラットがそれを避け、陽斗の傍を駆け抜ける。


「おわっ⁉ わりぃ、油断した!」

「は⁉ おい、なんであっさりと抜かれてんだよ! バリアー展開!」


 慌てて追加のバリアーを展開し、ケイブラットの突撃を受け止めた。ケイブラットが勢いよく壁にぶつかったように弾かれ、目を回す。それにすかさず陽斗の剣が突き立てられた。


「……陽斗」


 おどろおどろしい美海の声。振り向くのが怖い。陽斗は顔を引き攣らせて視線を逸らしている。

 その足下近くでケイブラットの姿が空気に溶けるように消えていった。残ったのは牙と毛皮である。それがケイブラット討伐によるドロップアイテムのようだ。


「うう、私の予測が外れてしまいました……。陽斗さんの実力評価を下方修正します」

「やめて⁉ 初戦だったからしかたねぇだろ! 次は上手くやるから!」


 落ち込んだ様子のアイが残酷な宣告をして、ドロップアイテムを拾い上げていた陽斗が悲痛な叫びを上げる。

 僕はため息をつきながら、近づいてくる陽斗をバリアーの内側に迎え入れた。本当に、勘弁してほしい。陽斗は唯一の前衛攻撃手なんだから。


「戦闘に参加していない私が言うことじゃないけど、もうちょっと気をつけてよ」

「……了解」


 美海が憤懣ふんまんを抑えた声で注意するのを聞きながら、ドロップアイテムを受け取る。まじまじと眺めるが、これの使い道が全く分からなかった。とりあえず魔力収納に仕舞っておく。


「陽斗、どんな感じだった?」

「……問題ない。剣で貫いた感触はあるけど、血も出ねぇからな。ゲームしてる感覚に近いし、あんまり罪悪感はなかった」

「そうね。私も見ていて大丈夫そうな感じだった」


 詳細を省いた問いに、真剣な表情で陽斗が答えた。初戦後に、魔物を殺すことへの忌避感が生まれるか話し合うことは、あらかじめ決めていたことだ。

 幸いなことに、メインの戦闘職二人は問題なく戦えるようだ。直接手を下すことはなかったが、僕も魔物と対峙することにそれほど恐怖を抱かないと分かったのは、今回の戦闘の収獲だろう。


「進みますか? まだこの先に魔物が待機しています」

「――そうだな。次は美海がやってみるか?」

「うん、そうさせてもらう」


 僕の提案に美海が頷く。張り詰めた雰囲気がほどよく緩んでいた。

 陽斗が何か言いたげな顔をしていたが、結局口をつぐんだ。恐らく、先ほどの戦闘の名誉を挽回したかったのだろうけど、今はそれぞれが戦いに慣れる経験を積む時。順番を考えたようだな。


 再び歩き出して数分も経たないうちに、アイが声を上げた。


「魔物です。スライムが三。物理攻撃は効き目が弱いです。魔術での攻撃を推奨します。速度は遅いです。しっかり狙ってください」

「了解。――優弥」

「はいはい」


 美海の前方のバリアーを取り払う。バリアーの内部から攻撃できないというのが、僕の能力の難点だ。


「洞窟内だし……風でいいね」


 半透明なゼリー状の球体に向けて、軽く手で銃の形を作った美海が呟く。その指先を跳ね上げるのを合図にして、風の弾丸が三発放たれた。


「お、ナイスショット!」

「ふふ、陽斗とは違うのよ」

「……次は、次は俺だってぇ!」


 見事にスライムに的中して、ドロップアイテムが地面に転がっていた。どうやら半透明のキューブ状の結晶のようだ。

 陽斗を引き合いに出して胸を張る美海に対し、陽斗が悔しげに嘆きの叫びを上げる。洞窟なので反響してうるさい。スライムキューブをその口に突っ込んでやりたくなるくらいうるさい。


「素晴らしい! 美海さんの実力評価を上方修正します」


 アイのあまりに素直な評価は、美海を鼻高々にし、陽斗のテンションを地に沈めた。静かになって良い。アイ、グッジョブ!


「優弥さんのバリアーの扱いも完璧ですよ! 実戦でも問題なしです!」

「ありがとう」


 満面の笑みで太鼓判を押されて、僕も緊張を緩めて微笑んだ。


 どうなることかと思った戦闘実践だったけど、思いの外上手い事進みそうだ。陽斗以外は。……おい陽斗、本気でがんばれよ?

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