第4話 生きる覚悟

 アイに日本へ帰還できると保証してもらえたことで、僕たちは幾分落ち着いて状況を把握することができるようになった。

 異世界に転移するなんて、物語でしか起こり得ないようなことが現実になっていたのだから、動揺していたのも当然のはずだ。

 全く、なんで僕たちがこんな目に合っているんだか……。


「それで、色々疑問はあるんだけど――」


 真っ先に現実的な問題に気づいたのは美海だった。


「いつか日本に帰還できるとして、それまでどうやって生きていくの? 私、何も荷物とか持ってないよ」


 それは至極当然の問いだ。

 僕はこの世界に転移してくる前に手に持っていたはずのスマホさえ現在所持していない。陽斗や美海も同様だろう。

 正真正銘、僕たちの持ち物は、現在身に着けている制服だけだった。あまりに心許ない装備だ。


「問題ありません。優弥さんたちは、誘拐された被害者なのです。当然慰謝料を請求する権利があります」

「は……?」


 アイは一体何を言っているのか?

 瞬時に理解できなくて呆然とする僕たちに、アイがニヤリと笑う。悪戯いたずらを企んでいるような、茶目っ気のある表情だ。

 月野アイナ似の姿だから、当然可愛らしかった。この感想は、場の空気を読めていないわけではないぞ。きっと陽斗たちも同じことを思ったはずだ。



 ◇◆◇



 アイから慰謝料請求計画を聞かされてすぐに、僕たちはある場所に侵入していた。


「……まさか、立ち去ってすぐに舞い戻ってきてるとは誰も思わないんだろうなぁ」


 閉ざされたカーテンの隙間から、階下の庭を走り回っている騎士の姿が見える。聞こえる声から察するに、消えた勇者を確保するために送り出す騎士団の編成が行われているようだ。


 ここはワルハレム国王城の物資保管室。

 アイが能力によって探り当て、無人になるタイミングを見計らい、美海の転移魔術を使ってやって来た。アイの能力は千里眼じみている。

 転移の感覚にもすぐに慣れ、僕たちは混乱もなく、今後必要となる物資を漁っていた。これは慰謝料であり、窃盗ではないのだと心の中で言い聞かせながら。

 侵入するのはここで既に三室目になっているので、僕たちの動きに躊躇いはなかった。


「この部屋は細々とした生活用品ばかりね。客室に置く用の予備品かな。なかなか質が良い物ばかり」


 アンティーク調の小物を好んでいる美海が、嬉々とした様子で色んな物を袋に詰めていた。高価そうなティーセットや繊細な細工のランプなど、大量に荷物が寄こされて、思わずワルハレム国の人間に同情してしまいそうになる。

 こうした物資を持ち運ぶのは僕の役目と決まっていた。魔力収納という無限に物資を保管できる能力があるのだから、それは当然だ。


「おお、シーツやら枕やら、寝具がたくさんあるぞ! 人間、良質な睡眠は大切だからな。全部もらっていこうぜ!」


 陽斗も寝具が収められたケースを丸ごと渡してくる。あまりに大胆な振る舞いに、少し遠い目になるのは間違っていないと思う。

 この寝具を全て使い切る自信は、僕にはない。


「優弥さんが必要とする物はこの部屋にはありませんか?」


 僕が物を受け取るばかりで自分から探していないので、アイが不思議そうに問いかけてきた。苦笑して肩をすくめる。


「僕が探さなくても、美海たちが十分に選んでくれてるからな」

「そうですか。――あ、そろそろ食料庫も人がいなくなるようです。ここは切り上げて、食料の調達に行きましょう」


 アイの提案に美海が満足げな笑みを浮かべながら頷く。陽斗は念入りに忘れ物がないか見渡してから、美海の元に近づいてきた。

 全員そろったところで手を繋ぎ、美海の転移魔術が発動する。




 ――一瞬で視界が切り替わった。転移魔術、便利すぎる。


「おお、たくさん食料あるじゃねぇか! あの威張り腐った奴、民は貧しているとか言いながら、やっぱり自分は好きなだけ飯食ってたんだな」

「ほんと、これだけ食料あるなら、私たちが生きる分だけもらっても、問題ないよね。種類があんまりないから料理は偏りそうだけど」


 陽斗と美海が次々に食料を寄こしてきた。

 とはいえ、先ほどとは違い、最低限必要な分だけに調整しているようだ。さすがに自分たちのせいで飢えて死ぬ者が出たら寝覚めが悪いからだろう。


「こっちに調理器具もありますよ~。棚の奥に、野営用の簡易調理魔道具もありましたし、煮炊きするのに使えますね」

「アイちゃん、でかした!」

「えへへ……」


 美海に褒められて、アイが嬉しそうに笑み、赤くなった頬を押さえた。褒められることにあまり慣れていないらしい。


「優弥の魔力収納って、時間経過は無視できんだよな?」

「ああ、そうみたいだ。一切状態を変えずに保存できるらしい」

「マジチートじゃん。俺の能力も、早く使ってみてぇなぁ……」


 陽斗が羨ましそうに呟くので、僕は思わず笑った。

 どう考えても、勇者の能力の方が凄そうなのに、まさか僕の魔力収納を羨ましげにされるとは思わなかった。戦闘の場面になれば、陽斗のその思いも消えるのだろうが――。


「……陽斗の能力を使うってことは、何かと戦うってことだよな」


 今更な事実なのだが、思わず口に出してしまった。

 嬉々としていた美海や陽斗の表情が一瞬で曇るのを見て、それを後悔する。あまりに配慮に欠けた言葉だった。


「――俺は、戦うよ。美海を、優弥を守るために必要なら」

「陽斗……。ごめん、無神経なこと言った」


 決意が籠った言葉に、何と言っていいか分からずただ謝った。


「謝んなよ! それが、俺にできることだろ? 優弥が俺たちの生命線になる物資を保管してくれてるんだし、美海はなんかすげぇ魔術使えるんだし。俺は剣を使って何かと戦うことが役目なんだろ、きっと」


 快活な笑み。陽斗らしい前向きさが感じられる言葉だった。


「――戦うのは、陽斗だけじゃないよ。私だって、頑張るから。命を奪うって、怖いけど……。よく考えたら、私たちが食べてる物のほとんども、何かの命だもんね。生きるために必要なら、それも受け入れないと」

「美海……」


 普段僕たちが食べていた肉や魚だって一つの命だった。そう考えたら、生きるために何かを殺めるというのも、受け入れるべきことなのかもしれない。


「――僕も、戦いにどれだけ貢献できるか分からないけど、頑張る」

「優弥は荷物係でいいんだよ?」


 折角の決意に、美海が揶揄からかうように笑った。それは僕を馬鹿にするために放たれた言葉ではないのだと言われずとも分かる。

 能力に違いがあることを冷静に判断し、全員で生き残るために、無理はしないでほしいという願いが込められていた。


「無理はしない。でも、僕だけけ者は嫌だ……」


 わざとらしく拗ねた顔を作ると、陽斗に勢いよく背中を叩かれ、美海に額を指で弾かれた。


「除け者になんてするわけねぇだろーが、あほ優弥!」

「というか、優弥がいてくれないと、困るのは私たちなんだからね?」

「……ん、分かってる」


 酷く照れくさい気分だ。


「――あのぉ……現時点で、私が除け者になってるって、気づいてほしいです……」


 誰よりも拗ねた顔になっていたのはアイだった。

 その言葉を聞いて、僕たちは思わず顔を見合わせて吹き出す。漸く心から笑えるようになった気がした。


「もう……。私、優弥さんたちに精神的な負荷が掛からないよう、ちゃんと考えているんですからね? 勝手に背負い込まないでくださいよ、プンプン」

「プンプンとか、わざわざ口に出すなよ」


 反射的にツッコミを入れたが、改めてアイの言葉を考えて、優弥は首を傾げた。陽斗と美海も不思議そうにアイを見つめる。


「アイちゃん、一体何を考えたって言うの?」

「そういや、当面の物資を確保した後、どうするつもりか聞いてねぇな?」


 美海と陽斗が次々に疑問を口にすると、アイが誇らしげに胸を張った。


「よくぞ聞いてくださいました! そろそろ物資も十分に集まりましたし、あの廃村に戻って、今後の計画について話しましょう!」

「今後の計画、なあ……」


 アイの言葉を反芻はんすうしつつ、陽斗たちと顔を見合わせた。二人もアイの計画について分からないようで、首を傾げるしかない。


「ま、教えてくれるって言ってんだから、戻りゃいいだろ」

「えー、テントとかいらないの?」

「テントは既に私が見つけて、優弥さんに渡してます!」

「え、僕、いつテント受け取ったっけ?」


 にぎやかに話しながら手を繋ぐ。アイの手は、人間そのもののような温もりがあった。


 食料庫の外に人の気配がする。

 そう気づいた時には、美海の転移魔術が発動していた。

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