第3話 唯一の希望

 瞬きの間に、僕の眼前に広がる景色は一変していた。


「ここは……?」


 廃墟はいきょのような小屋が並ぶ雑草だらけの開けた場所。周りは木々に囲まれ、山の中のさびれた集落という雰囲気だった。


「――ぶっつけ本番は、きついよ、アイちゃん……!」

「ごめんなさーい、緊急事態だったので」


 呆然としていた意識がハッと現実に立ち戻り、美海の方を振り向く。同じように、陽斗も驚いた目で美海を見つめていた。


 美海は頭痛をこらえるように額を手の平で押さえ、傍に寄り添うアイに文句を呟いている。アイはニコニコと笑いながらその言葉を受け止めているようだ。

 どうやら、このおかしな現象の理由を、美海たちは知っているらしい。それならば早く説明してもらいたい。訳の分からないことの連続で、僕の頭はパニック寸前なんだ。


「辛そうなとこ悪いんだけど……これ、どういう状況なんだ?」

「急に場所が変わるとか、マジ驚くんだけど」


 辛そうな様子を気遣いつつ控えめに尋ねると、ちらりと視線を上げた美海にため息をつかれた。美海がアイの腕を軽く叩くのを黙って見守る。


「アイちゃん、説明よろしく。私もよく分かってないから」

「承知しました! あ、口調は月野アイナの感じで大丈夫ですか?」


 今更なことを聞いてくるアイに苦笑する。アイについての疑問も多いのだが、今は現状把握を優先すべきだと、言葉が溢れそうになるのを堪えた。


「いいから、説明頼む」


 見た目は推しているアイドルVtuberの姿だから、どういう風に話しかけるべきか僕の方が戸惑う。だが、あえてAIに話しかける時と同じようにすることにした。その精神性を重視したわけだ。


 それに、改めてアイの姿をよく見ると、月野アイナの面影はあるものの、よく似ているコスプレイヤーと言ってもいいくらいに現実感のある姿になっていた。今まで何故気づかなかったのかと疑問に思うほどの変化だ。


「えーと、まずここは、世界【パラノイヤ】にあるワルハレム国辺境の廃村です。住人はいません」

「世界【パラノイヤ】ってなんだ?」


 陽斗がすかさずアイの発言に疑問を呈した。それは僕も疑問に思っていたことだ。


「世界【パラノイヤ】は優弥さんたちの世界とは別の時空に存在する世界です。理解しやすく言うと――」


 アイが悩ましげに首を傾げる。暫く唸っていたかと思ったら、拳で手の平を打った。やけに古典的な動作だな。少し呆れたが、何やら良い例えが思い浮かんだらしいのでそのまま答えを促した。


「地球は宇宙にありますよね?」

「そうだな?」


 今更そんなことを確かめるなんて、僕らを馬鹿にしているのだろうか。僅かに憮然とすると、アイが慌てたように両手で丸を作った。


「これが世界です。そして――」


 アイが陽斗の手を摑んで、同じように丸を作らせた。アイの丸の横に陽斗の丸が並ぶ。


「これも世界です。陽斗さんの丸が、宇宙がある世界。私の丸が世界【パラノイヤ】。これは時に重なったり、大きく離れたりしながら、別の物として存在しています」

「なるほど……」

「分かった気はするけど、なんか不透明でもやもやする」


 よく分からないながら頷くと、頭痛から回復した美海が僕の心に合致した応えをしてくれた。

 アイが困りきった様子で腕を下ろす。その隣に立っていた陽斗が苦笑してその肩を叩いた。


「まあ、細けぇことはいいだろ! 俺たちは異世界に誘拐されて来た。以上!」


 陽斗の割り切り方は大胆だが、それが正しい考え方なのだろう。

 僕と美海が肩をすくめつつ頷くと、アイがあからさまに安堵した表情になった。


「ここが異世界にある廃村ってことは分かったけど、なんでいきなりこんなとこに来たんだ?」

「俺もそれが一番気になる!」


 僕たちがアイに視線を注ぐと、会心の笑みを返された。


「それは美海さんの転移魔術と私の情報処理能力の合わせ技によるものです!」


 アイが続けた説明によると、僕たちはどうやら先ほどまで危機的状況にあったらしい。


 僕たちが最初に降り立ったのは、ワルハレム国の王城にある召喚の間。勇者を召喚するために昔から使われている場所だった。

 そこで僕たちの能力を確かめたアザルドが用意した銀のブレスレット。怪しんで付けるのを躊躇ったのは正しい判断だったとアイが太鼓判を押す。

 なんとそのブレスレットは【隷属れいぞくの鎖】と呼ばれる物で、登録された魔力の持ち主をマスターにして、ブレスレットを身に付けた者がマスターの命令に逆らえなくなる効果があったらしいのだ。


 今聞かされただけで、ゾッとする話である。


 僕は陽斗と美海と顔を見合わせて、無事に切り抜けたことを祝った。


「ここまで逃げてこられたのは、美海の転移魔術ってもののおかげなのか?」

「なんかチートじゃん、美海。なんでそんなの急に使えんの? 俺、勇者とか言われても、その能力使える気がしないんだけど」


 純粋に疑問を口にした僕とは少し違い、陽斗がねた口調で呟く。どうやら、自分が危機を切り抜けるきっかけになれなかったのが悔しいらしい。


「私に文句言わないでよ。転移魔術を使えるようになったのは、その知識を教えてくれたアイちゃんのおかげなんだから」


 肩をすくめる美海の横で、自身を指さしてアイが自己主張していた。なんともコミカルな仕草だ。肩に入っていた力が僅かに抜けてくる。


「……そういえば、さっき、アイの情報処理能力との合わせ技って言ってたな?」


 アイが言ってほしいのだろう言葉を口にすると、パアッと輝いた表情を向けられた。


「その通りです! 私は観測者としてこの世界のアカシックレコードに接続し、情報を入手していました。優弥さんたちにとって、最も良い逃避先をピックアップし、美海さんに転移魔術の知識と合わせてテレパシーにてお伝えし、私のカウントと共に魔術を発動してもらったのです!」

「なるほど……?」


 正直、あまり理解できなかった。他の二人も首を捻っている。


「アカシックレコードというのは何なの?」

「う~ん……。この世界の全知識が集まっている記録媒体、という言い方が近いでしょうか」

「じゃあ、アイちゃんは、この世界のことを何でも知っているの⁉」


 予想以上にスケールの大きな話を聞かされて、美海が目を見開いて驚きの声を上げる。それに対し、アイは気まずそうに頬をいた。


「あまりに膨大すぎてまだ把握しきれていないのです。この場所の知識と転移魔術の知識を得るのが、あの時間では精一杯でした。これから日本への帰還方法について分析していきます」


 僕たちは揃って息を吞んだ。


 これまであえて触れてこなかった【日本への帰還】という言葉。口にしてしまえば、絶望に打ちのめされてしまうという予感があった。

 だが、アイは軽い口調で言い放った。それは、日本への帰還が決して不可能なことではないのだと、自信を持っているように感じられた。


「――私たち、帰れるの……?」

「帰れます。絶対に、私がその方法を見つけます」

「――異世界って言ったじゃん。世界を越えるとか、どうやったらできるのか俺には理解不能なんだけど」

「陽斗さんが理解できなくても、私が理解しています。大丈夫です。私を信じてください」


 美海が、陽斗が、涙を堪えて声を震わしながらアイに言い募った。そのどれもに、アイは自信に溢れた言葉を返す。

 僕はその顔をジッと見つめた。その表情に嘘をつくことによるかげりがないか、注意深く観察した。

 相手はAIだ。多少の誤魔化しは得意だろう。だが、まだ人間の体に慣れていないはず。そこに、嘘を探るための隙がある。


「優弥さん」


 アイの真っ直ぐな目が僕に向けられる。


「私はあなたのアシスタントAIです。あなたに嘘をつくことはありません。私を信じてください」


 その表情にも、澄んだ眼差しにも、嘘をついている雰囲気は全く見受けられなかった。


「本当に、信じていいんだな?」


 アイが本当に僕のアシスタントAIだというなら、その言葉は信用に値する。これまで【アイ】が僕に偽りを述べたことなんてなかったのだから。

 人間みたいに振る舞いだしても、使用者に忠実であるというAIとしての根幹は揺らいでいないのだと。――僕は、そう信じたかった。


「はい。――私が、必ず皆さんを日本に帰します」


 鮮やかな笑みを浮かべたアイが力強く断言した。数瞬すうしゅん躊躇って、僕は頷く。

 もしこの期待が裏切られる時が来たら、その絶望は計り知れないものになるだろう。それでも、今はアイの言葉を信じることが唯一の希望だった。

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