6

 その日の夜は眠れなかった。デグーに初めて来た時以来だ。『風花の契』の代表同士。それ以上でもそれ以下でもなく、代表でなくなれば赤の他人に戻る。それはよく分かっているのに、どうしてこうも落ち込んでしまうのだろう。自分でもよく分からない感情と、後悔とがぐるぐると心の中を思い巡らせているうちに朝になってしまった。


「おはよー。よく眠れた?」


 ドアを開けたらいつものカイルで、どんな顔をして会えば良いのか分からずにいた私は拍子抜けしてしまう。でも、違うのは。


「あの、カイル。昨日は——」

「怖い思いしたろ。だから農場への出入りは禁止な」


 私の目を見てくれない。私の話を聞いてくれない。


「そうじゃなくてっ」

「それから、今日から射手団の奴をビアンカの護衛につけるから。大神官にも了承を得てる。だから安心しな」

「護衛って」


 午前の祈りの時間も神官に監視されているというのに。畑にも行けず、ずっと誰かに見られながらこれから生活しなければいけないのは、息が詰まってしまう。


「例年と同じだ。フローリアに危険が及ばないようお付きの神官がいる。ビアンカを危険に晒したのは俺の責任だから」

「違う、カイルはっ……!」


 カイルが今まで護衛をつけなかったのは、私が息苦しさを感じさせないためだったことは分かっている。カイルは謝らなくて良い、むしを私の方こそカイルのことを何も知らないのに無責任なことを言ってごめんなさいと何度も言おうとしたのに。カイルは私の言葉など聞く気はないのだろう。性急に口づけをして、風を吹き込んできた。


 カイルは朝食もとらずに射手団本部へ行ってしまった為、ひとりで食べる事になってしまった。

 デグーに来てからひとりで食事をとるのは初めてだ。誰も座っていない斜め前の椅子を眺める。いつもそこにカイルが座って、他愛もない話をしてくれていたのに。物足りない朝だ。


 本来ならこれが当たり前なのだろう。例年ならフローリアは神殿で暮らし、神官以外には誰とも会わず、静かな部屋で静かに祈りを捧げ、無駄話などすることなく一日を終える。それが『風花の契』。儀式なのだから終始厳かに執り行われるべきなのだ。フローリアとバーディルは、所詮は他種族。ただ『風花の契』で風の神と花の女神の後を引き継いだだけ。干渉するべきではない。本来の『風花の契』に戻っただけだ。

 でも、心がもやもやする。

 話し声が響かない部屋には、私のため息だけが寂しく漂っていた。


###


「……あのさ、いつまでそこで唸ってるつもり?」


 くるりと椅子で回転し、ログがじとっと見てくる。私はその視線を無視して、空いているベッドの上に座り込んでいた。


「野菜は不作で木は枯れる……どうしてかしら」

「考え事ならよそでやってくれないか? ここは怪我や病気をした人が休むところだ」

「カイルとはちゃんと『恵風』をしているし……」

「ビアンカ、聞いてる?」

「え? あ、ごめんなさい。独り言多くて。仕事の邪魔よね。でも、他の場所だとテオがいるから集中できないの」


 朝、神殿へ仕事に行く時からずっと、見張り役としてテオが付いてきていた。以前、私の警護を怠っていたことをカイルに指摘されたからなのか、今度は瞬きすらしない覚悟で私のことを凝視している。正直怖い。

 このままだと部屋にまで入ってきそうなので、体調がすぐれないことを理由に王宮医務室へ逃げて来たのだ。


「考えても分からないの。野菜や木が育たない理由が。絶対にカイルのせいじゃないのは明らかなのに……それを信用してもらわないと」


 カイルの痛々しい顔を見たらこのままではいけないと思った。いつだってカイルは私のことを気遣ってくれていた。今度は私がカイルの為に何かをする番だ。それなのに、良い方法が思いつかない。知らないことが多いからだ。カイルの好きなもの、嫌いなもの、趣味、それから、母親のことも。


「ログはカイルのお母さんについて何か知ってることある?」

「それを知ってどうするつもり?」


 ログは怪訝な顔をした。あまり触れられたくないものなのかもしれない。けれど、知らなければ。


「カイルが辛そうだったから助けたい。でも、何も知らないからまずは知ることから始めないとと思って。昨日、私は無責任な言葉をカイルにぶつけてしまったと思うの。何も知らないくせにって、カイルを怒らせてしまった。『風花の契』はふたりで協力しないといけないのに、このまますれ違った状態でうまくいくはずない。私は無力かもしれない。でも、せめて理解したいの。一時的でも、収穫祭が終われば赤の他人になるけれど、カイルの隣りにいる今だけは。何も知らないまま、またカイルを傷つけてしまうのだけはしたくない。悲しい顔はしてほしくないの」


 私にできることがきっと何かあるはず。些細なことでも良い。カイルが私にしてくれたように、私も何か……。

 頑なに閉じていたログの口がわずかに開き、小さなため息をついた。


「私から聞いたと、カイルには言わないでくれるか」

「ええ」

「だが、私も人から聞いただけなんだ。なにしろカイルは自分のことや母親のことは話してくれないからな」

「ログの知っている事だけでもいい」

「……分かった。私達が生まれる前のことだ。当時射手団長として指揮をとっていたのが、カイルの父のヒューズ・コールドウェルだった。コールドウェル家は射手団長を務めてきた名家で、強い魔力を持っていた。特にヒューズは、敵国からの急襲からデグーを守ったとして英雄として国民に慕われていた。射手団長という地位とコールドウェルという家に縋りたいと、多くの貴族の令嬢がヒューズに結婚を申し出た。そしてヒューズは、アリアという貴族ミオーブ家の令嬢と婚約した。だが、それが問題だった」


 身分は申し分ないはずだ。それなのにどこが問題なのか私にはわからずに首を傾げると、ログが続きを話し始めた。


「アリアは生まれつき魔力を持たなかった。当時のデグーでは、魔力の強い者と弱い者との結婚はタブー視されていた。魔力というのは流動的で、多い方から少ない方へと流れてしまい、魔力が強い者は力を失ってしまうと考えられていたからだ。コールドウェル家もミオーブ家も反対したが、ヒューズはアリアとの結婚を強引に進めた」

「どうして、そこまでしてアリアさんと結婚したのかしら……」

「ここは私の推測だが、ヒューズは困っている人を見ると自身の危険も顧みずに助けに向かうという責任感の強い人物だったそうだ。その性格から、ヒューズは魔力が少なくて困っていたアリアのことを放っては置けず、アリアと接するうちに互いに思いを通わせていったのだろう」


 カイルも一緒だ。誰かが困っていたら後先考えず助ける。性格は父親譲りだった。


「その後、ヒューズとアリアの間にカイルが生まれたのだが。カイルが六歳の時、ヒューズは隣国で起きた戦争で帰らぬ人となった。敵の放った大量の矢に射抜かれて。ヒューズほど力のある者なら風壁の魔法を使って矢など防ぐことができる。ヒューズの作った風壁が矢を通すほど脆かったのは魔力をアリアに奪われたからだ、という話が広まり、国中からアリアを非難する声が上がった。連日続く批判の声にアリアは精神を病み、育児放棄されたカイルはコールドウェルの本家が引き取ることになった。私が聞いたのは、ここまでだ」

「そんな……」

「実際のところ、魔力のもとの持ち主が悪影響を及ぼすほど魔力は流出することはない。射手団の英雄を失った矛先を、誰かに向けたかっただけなのかもな」


 父親が戦死し、非難され続けた母は精神を病んで育児放棄。たった六歳のカイルには、あまりにも辛すぎる。

 でも、カイルは母親のことを恨んでいるようには見えなかった。男達へ向けた悲しさと怒りに満ちた顔は、母親への誹謗中傷に対するものだったように思えた。けれど。


 ——知り合って少ししか経ってないビアンカに、俺の何が分かんの?


 きっと、私にはカイルが受けた心の傷のほんの少ししか知ることはできないかもしれない。

 でも、困っていた私をカイルが助けてくれたように、私もカイルを助けたい。二度と、悲しい顔を見たくない。私にできる事は何か、考えなくては。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る