3

 春はまるで花の森にいた頃のようで過ごしやすかったのだが、日に日に気温が高くなって日中は体が怠く感じる日が多くなった。


「これが、夏なのね……」

 

 コールドウェル邸は、メイド達による風壁ふうへきの魔法によって外部の暑さは遮断されていて快適だ。しかし、神殿はというと風壁の魔法は使われていないためにとても暑い。小さい窓から吹き込んでくる風も熱風で、汗が吹き出してくる。

 カイルが言うには、翼がある者だけが風の魔法を使うことができるという。神殿にいる神官達は、翼がない上級神官ばかりだ。翼のある見習い神官は下級神官と呼ばれて、神殿への立ち入りはできず、近くの神官学校で修行しているという。


「暑くて集中できない……」


 何度も集中力が切れそうになるのを、気力だけで引き伸ばす。今日は正午の鐘が鳴るのがいつも以上に長く感じた。


 神殿の門の前に止まっていた籠に飛び乗って、暑い神殿から逃げ出した。

 コールドウェル邸に帰ると、ヤマブドウのツルのカゴに着替え一式を入れて再び籠に乗った。

 今日と明日の二日間、射手団が野外演習をするのだという。家族や友人向けに、射手団の演習の様子を公開され、夜はテントで寝泊まりする。

 朝の『恵風』をしなければならないから私も今夜は野宿だ。少し、いや、かなりわくわくしている。花の森を出てからずっと町で暮らしていたから、久しぶりの森の香りや温かさを堪能できるのだから。

 

 籠はカロフォ岳の中腹で止まった。標高が高い場所だからか、神殿よりもかなり涼しい。木々に紛れていくつかテントが立っていて、子どもたちの楽しげな声や大人たちが談笑する声が聞こえてきた。


「ビアンカ!」


 毎日聞き馴染んでいる声のする方へ視線を送る。軍服姿のカイルが近づいてきて、私が持っていたカゴを持ってくれた。


「ちょうど昼休憩なんだ。荷物はこっち」


 風に乗って食欲のそそる匂いが漂ってくる。荷物をテントの中に置いて、カイルの案内で開けた場所へと向かった。


「あ、あなたは!」


 真っ先に気づいてくれたのはテオだった。軍服の袖をまくりあげて薪を持っている。


「この間はお世話になりました」


 警護をしてくれた礼を言うと、テオはぶんぶんと首を横に振った。


「警護らしい警護もできなくて、情けないかぎりです! もっと精進します」

「そーだ、そーだ。もっと精進しろよー」


 後ろからやって来たジェットが、薪を持っていない手でテオの頭をぐしゃぐしゃにした。


「なーっ! ジェット先輩何するんですかー!」

「口より手ぇ動かせ。すんませんねぇ、うちの新人がろくに警護もできねぇで」


 気怠そうな口調で詫びてくる。ジェットは顔に傷があるせいで見た目は怖いが、笑うと八重歯がちらりと覗いて愛嬌がある気がした。


「ジェット、間違っても彼女に手は出すなよ。大神官が黙ってねぇからな」

「なーんだそっちっすか。俺はてっきり団長のだから手は出すなってことかと思ったんすけど」

「勘違いすんな。彼女は仕事仲間だ」

「へいへい。俺も命は惜しいんで、大神官に逆らうことはしないっすよ」


 へらっ、と笑ってジェットはテオと共に焚き火をしている場所へと薪を持っていった。


「紹介まだだったよな。ちっこいのが新人団員のテオ。真面目な奴だ。もうひとりがジェットと言って、射手団一飛翔速度が速い。それから、女にも手が早い」

「手がっ?」

「忠告したからビアンカに手は出すことはしねぇだろ」


 カイルが釘を打っていてくれたが、念の為気をつけることにしよう。

 昼食は、射手団の調理担当が焚き火で調理した肉と野菜を煮込み料理だった。ゴロゴロとした野菜や肉は食べ応えがある。トマトベースのスープには野菜や肉の旨みが染み込んでいた。

 子どもたちも競争するかのように次々におかわりをしていたから、デグーでは人気の料理なのだろう。


 昼食後は射手団の野外演習が再開されるはずだ。

 ふと思い出したのは、数週間前のこと。町中で窃盗事件が起きて、逃げていく犯人をカイルが弓矢で狙っていた。その眼差しが凛としていて、つい引き込まれてしまった。

 もう一度見れるのだろうか。ちょっと期待していたのだけど、始まったのは、子ども対大人の容赦ない追いかけっこだった。

 カイルやジェットの他にいかにも強そうな射手団員5人が、方々に飛び回り風の魔法やそこら辺に落ちている木の棒などで妨害してくる子ども達を捕まえようと躍起になっていた。


「調子はどうだ」


 声をかけて来たのは、医者のログだった。


「はい、大丈夫です」

「そうか。何か体調に不安がある時は遠慮なく言ってくれ」


 第一印象は冷たい人だ、と思っていたが案外そうでもなさそうだ。


「ありがとうございます」

「礼などいらない。毎年、花の代表のフローリアの体調管理を任されていて知識だけはあるからな」

「今日もお仕事で?」

「君が来るとカイルから聞いた。いざという時の為に待機しているだけだ」

「ログさんはカイルとは幼馴染なんですよね」

「そんなところだ……カイルのことで何か困ったことがあったらいつでも言ってくれ。幼馴染として、奴のことはある程度は知っているから力になる」


 デグーに来てからはカイル以外に話す相手もいなかったから、同世代で同性のログの申し出は、本当に嬉しかった。


「まったく、あれではどっちが子どもか分からんな」


 呆れたようにため息をついたログの視線の先には、カイルが風で小さな竜巻を作り、次々に子ども達を巻き込んで一網打尽にしているところだった。

 しかもそこに自らダイブし、ぐるぐる回る風の渦の中で子どもに混じって笑いながら回っている。周囲の人達がそれを見て大笑いしていた。

 追いかけっこに参加していなかった子ども達も、笑い声に吸い寄せられるようにやって来た。


「カイル、僕も!」

「私も入りたい!」

「よーし。みんな一列に並べー!」


 そう言うと、カイルは竜巻から抜け出して子ども達を並ばせた。その子達に向かって、小さな竜巻をいくつも繰り出していく。追いかけっこが、いつの間にか違う遊びになってしまった。


「みんな楽しそうですね」

「野外演習という名の野外遊戯だな。ま、これがカイルの真の目的なんだが」

「真の目的?」

「詳しくは奴から聞くといい。私は近くの野草を調べてくる。山に来る機会など滅多にないからな。薬になりそうなものがたくさんありそうだ」

「それなら私も一緒に行きたいです。この山にどんな植物があるのか気になるので」


 ログと私は近くを歩きながら、山に生息している植物を見て回った。

 その間も、子ども達のはしゃいでる声が絶え間なく聞こえて来た。

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