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 騒ぎに驚いた人々が訳もわからず逃げたり、悲鳴をあげたりしている。

 私も状況が掴めず立ち尽くしていると、視界が青灰色に遮られた。カイルが私を背中に隠し、逃げ惑いパニックになっている人の波から守ってくれていた。

 すると、人と人の隙間を縫うように、灰色の翼を持ったバーディルが駆け抜けていくのが視界に入った。小脇に何やら鞄のようなものを抱え、通行人を弾き飛ばしながら突き進み、翼を広げて空へ飛び立っていく。


「ジェット、テオ!」


 騒ぎを聞きつけて駆けつけてきた様子の射手団員に、カイルが声を張り上げた。それに気がついたのか、軍服姿の青年ふたりが駆け寄ってきた。


「あれっ団長、こんなところで何してるんすか? 今日半休っすよね?」


 鼻に横一文字の傷を持った長身の団員が首を傾げた。


「そんなことより、団長。この騒ぎは一体何なんです?」


 小柄で私よりも年下のようにも見える童顔の団員が、困惑の表情を浮かべていた。


「窃盗だ。犯人は北西の方角に飛んでった灰色の羽の男。ジェットはパニックになった人達への呼びかけ、それから騒動に巻き込まれて傷を負った者がいないか確認してくれ。テオは彼女を頼む。俺は奴を追う」


 淀みなく指示を出したカイルは、テオと呼んだ童顔の団員から弓矢を受け取ると、青灰色の翼を力強く羽ばたかせた。近くの木の葉を揺らし落とすほどの羽風が巻き起こると、瞬きの合間にカイルの姿は上空へと飛び去っていった。


「お怪我はありませんか?」


 隣に立ったテオが気遣うように声をかけてきた。


「私は平気です。それより……」


 カイルが追っている窃盗犯は、もう遙か彼方へと逃げてしまっていた。このままでは逃げられてしまうのではと危惧したが、テオは何故か慌てる様子はない。


「カイル•コールドウェルの視界に入ったら命はないと思え」

「えっ?」

「射手団の中で有名な話です。うちの団長、いつもノリは軽いしすぐ安請け合いするし、この人本当に大丈夫? って思うかもしれませんが、いざという時は誰よりも強くて、ちゃんと周りを見て、最善の方法をすぐに考えて、的確な指示を出してくれるんです。それに、団長の弓の腕は世界一。団長の弓に狙われたら最後、絶対に逃れられません」


 テオは羨望の眼差しでカイルを見ていた。付き合いの長い射手団員が言うのなら間違いはないのだろうと、不安半分に見守ることにした。

 だが、カイルは突如追うのを止めてしまった。上空で止まったまま、逃げていく窃盗犯に向かって二本の矢を番えた。

 遠目だったが、その顔にいつもの笑みは見えなかった。窃盗犯を睨む凛々しい眼差しに、不意に胸がざわめいた。

 直後、風向きが変わった。今まではそよそよと通りを吹いていた風が、上空へ巻き上げるように吹き荒れていく。


疾風はやてという術です。この疾風を利用して矢に勢いを持たせて飛ばすんです。風で矢をコントロールするのは難しいんですよ。あまりにも強いと矢が暴れて狙った所に飛びませんし、逆に弱すぎると失速してしまう。加減がすっごく難しいんです。でも、団長はこの技でデグー一の弓取りの名を勝ち取ったんですよ」


 カイルの周囲に風が集まりきった後、二本の矢を同時に放った。風を受けた矢は勢いを増したまま、窃盗犯の灰色の両翼に突き刺さった。

 うめき声をあげた窃盗犯の手から、盗んだ鞄がこぼれ落ちた。それはカイルによって回収されていく。

 飛ぶ力を失った窃盗犯の体も真っ逆さまに落ちていくと思われたが、落下する速度が急に遅くなった。まるで枯葉が舞い落ちるかのように、揺れながらゆっくりと地面に着地した。

 待機していた他の射手団員に確保され、籠に乗せられて行ってしまった。テオが言うには、落下する直前に射手団員達が風を集めて落下する速度を遅らせていたらしい。


「ったく、俺のいる前で盗みをはたらくとは、その度胸だけは認めてやるか」


 カイルが苦笑しながら舞い戻ってきた。手にしていた弓矢と、窃盗犯が盗んだ鞄をテオに手渡した。


「これ、持ち主に返しておいて」

「承知しました。団長、お見事でした!」

「テオさ、ちゃんと警護対象見てたか? 知ってんだぞ、お前がビアンカから目離してぽかんと空見てたの」


 痛いところをつかれたのか、テオは苦い顔をした。


「すみません。技は見て学べ、と教わったので、つい」

「今のお前の仕事は警護、優先順位をしっかり頭に叩き込んどけよ」


 カイルはぐしゃぐしゃっとテオの髪を掻き回し、意地悪そうな笑みを浮かべた。


「じゃ、あとはよろしく」

「え、事情聴取は」

「お前とジェットに任せた。俺は今デート中なんで」

「デート?」


 ぽかんとするテオを置き去りにして、カイルは私の手を握ってその場を後にしていく。


「い、いいの?」

「いーの、いーの。あいつらがちゃんと処理してくれるから。それより腹、へらね?」


 そういえば、お昼がまだだったことを思い出すと、私のお腹が素直にぐぅ、と音を出した。その音はカイルの耳にも届いて、ゲラゲラと笑われてしまった。


「素直な腹」

「うっ、ごめんなさいっ」


 あまりにも遠慮なく笑っているので、矢を番えた時の真剣な表情をしていたのは本当は別人なのではないかと思ってしまった。


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