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 朝食を済ませて自室に戻った私は、朝返しそびれたカイルの上着を片手に部屋を飛び出した。しかし、飛び出したはいいものの、カイルの部屋の場所など分からないということに気づいた。

 コールドウェル邸は三階建で広い屋敷だ。裏の森もカイルの所有地だと言うのだから驚きだ。きっと家の中で迷子になってしまうだろう。


「ビアンカ、支度できたか?」


 探していた人物がひょっこり現れたので、ほっと胸を撫で下ろす。


「出先にごめんなさい。ずっと返し忘れていたから」

「あー、これ。俺すっかり忘れてた。別に捨ててもよかったのに」

「借りたものはちゃんと返さないと」

「ビアンカは律儀だな」


 カイルは上着を受け取ると、翼を広げて上へと飛んでいった。屋敷に一応階段はあるものの、使わずとも飛んで移動できるとは。翼を広げてもぶつからないほど屋敷が大きいことにも喫驚してしまう。



###



 カイルと共に乗った籠は、神殿の前に止まった。朝の仕事とは別に、昼間には神殿で別の仕事があるからだ。


「力むと本来の実力を発揮できなくなっから、ほどほどにな」


 実力も何も平凡なのだから、力んだら平均以下になってしまう。それは避けたい。今年の花の代表はダメだと言われないように。


「ったく、言ってるそばから」


 顔に出てしまっていたのだろうか。朝の時だって、寝ていないことをすぐ気づかれてしまったし、カイルの前で嘘は通用しないのかもしれない。

 苦笑したカイルは、両手で私の左手を包み込んできた。その手の温かさに、私の手が緊張で冷えて無駄な力が入っていたことを知る。


「ビアンカに良いこと教えてやるよ」

「良い、こと?」


 カイルの節くれだった親指が、私の親指と人差し指の間にある窪みをぐい、と押した。痛くはない、心地よい強さだ。


「ここ、緊張したり不安になったりした時によく効くツボ」

「……知らなかった」

「俺も受け売りだけど。ログから教わった」

「ログさん、あ、お医者さんの」

「そ。幼馴染なんだ。これならひとりの時でも簡単に緊張がほぐれるだろ?」


 何度か気持ち良い程度に指圧されれば、力が入っていた左手がほぐされていく。左手から伝播するように、強張っていた体も心も余計な力が抜けて、安心感が広がった気がした。


「ありがとう。なんだか頑張れそう」

「どーいたしまして」


 籠から降り、カイルを乗せた籠が王宮に向かうのを見送った。射手団の本部は王宮の敷地内にあり、カイルは今日そこで仕事をするらしい。

 思えば、出会った時からカイルには世話になっている気がしてならない。世話になった分恩を返さなければと、カイルにほぐされてじんわりと温まった左手を、右手で包み込んだ。




 神殿はひどく殺風景な場所だ。石でできた高い塀に囲われた敷地内には木も花もない。神殿も石で造られ、地面は平らな敷石が敷き詰められていて、ひたすらに無機質な空間だ。ずっと生き物達が息づいている森の中で生きてきた私には、正直居心地はよくない。


「時間通りだな。入りなさい」


 神殿の扉をノックするとグリーデンが現れた。相変わらず威圧感のある怖い顔つきに萎縮してしまいそうになるが、カイルから教わったツボをぐいっと押して、先程感じた安心感を追いかけた。

 案内されたのは、神殿の東にある部屋。そこには箱がずらりと並べられていて、数十種類の植物の種が種類ごとに入っていた。


「花の代表となったフローリアは、日中はここにある全ての種子が健やかに育つよう祈りを捧げることになっている」


 種が全て発芽するとは限らない。どうやら、発芽率を上げるために種に力を与える仕事のようだ。


「この仕事は正午までだ。フローリアの魔力は日が昇るのと比例している。日が昇っていく午前中に祈りを捧げられた種はよく発芽し、逆に日が徐々に沈んでいく午後は発芽させる力も減ってしまう。正午には必ず、作業は止めるように」


 グリーデンは注意事項だけをつらつらと述べて、出ていこうとした。


「あの」

「何か質問か」

「いえ、その、入院していた神官さんは……」

「彼なら問題ない。明日退院予定だ。他人の体の心配よりも、目の前の仕事に集中しなさい」


 冷たく言い放つとそれ以上私語は許さないと言うように、さっさと部屋から去ってしまった。

 自分の呼吸やわずかな動きで、小指の先よりも小さな種を吹き飛ばさないようひとつひとつ慎重に手のひらにのせて、発芽を祈る術をかけていく。根気のいる作業だ。見たところ一箱に数千粒の種が入っていて、野菜農家や花卉かき農家の元へ送られるのだろう。

 今日一日でここにある全ての種に術をかける必要はなく、出荷予定に送れなければ良いと聞いて少しだけほっとした。都度、神官が声をかけに来てくれたおかげで、集中力が切れる前に休憩することもできた。


 正午になると同時にグリーデンがやって来て今日の仕事の終了を告げられ、同時に神殿からさっさと追い出されてしまった。


「なんだか……窮屈だったなぁ」


 発芽を祈る術をかけている最中は部屋には私しかいなかったけれど、休憩中は神官が部屋に入ってきて私をじっと睨みつけていたから、まるで監視されているようで休憩中なのに全く休まらなかった。

 神殿の敷地から出ようとして、ふと目にとまったのは西側にぽつんとたたずんだ小さな倉庫。それだけは木造で、二人入ったら窮屈なほどの大きさだったが屋根は高かった。


「ここに種を保管してるのかしら」


 祈りを捧げ終わった箱は神官がどこかへ運んでいた。すぐに出荷できるよう、ここに置いているのだろうか。それとも、これから育つ植物の種がたくさん保管されているのだろうか。だとすれば、かなりの種類の植物の種があるはずだ。

 植物の種の形は多彩だ。皆それぞれ生存競争を生き抜くために知恵を絞ったからこそ生まれた独特な形状のものもあって面白い。私がまだ見たことのない種も、もしかしたらあるのかも、とわずかに芽生えた好奇心が私の足を動かした。


「止めておいたほうが良いと思うけど?」

「ひっ!」


 小屋の扉を押し開けようとした私の背中にかけられた声に、思わずひきつった悲鳴をあげてしまった。

 振り返った先、門柱に寄りかかって苦笑するカイルがいた。


「なんで、ここにカイルが?」

「昼休憩中で空飛んで気分転換してたら、悪いことしようとしてるビアンカを見つけたから忠告しようと思ってね」


 ばさり、と青灰色の翼を動かしたかと思えば、瞬きのうちに私の目の前まで飛んで迫ってきていた。


「ビアンカって好奇心旺盛だよな」

「そうかも、しれない」

「知らねぇ? 過度な好奇心は身を滅ぼすって話」

「……なんとなく、分かる」

「神殿だけは止めておいたほうが良い。ここって封鎖的というか、何か陰気臭くて好きじゃねぇし。神官も何考えてるかいまいち分からない。とんでもねぇもの隠し持ってそうだし、秘密を知ったら口封じします、なんて平気で言いそうな連中ばっかりだから。この小屋だって、何潜んでるかわかんねぇから止めときな」


 カイルに手をひかれ、小屋から引き離された。そのまま神殿の敷地から出ると、神殿の張り詰めていた空気から開放されて呼吸が楽になったような気がした。


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