2章 仕事始めのキス
1
儀式が再開されることとなり、会場には再度バーディル達が集まってきた。破壊された壁の周りにあった瓦礫はすべて撤去されていたが、まだ崩れる危険があるからか立ち入らないようにと射手団が囲っていた。
グリーデンがバーディル達に事の次第が説明した後、私はカイルと向き合って立った。大勢の視線が集中して、表情が強張ってしまう。
「緊張してんの?」
「へっ? は、はい」
「この間と同じことをするだけ。目、閉じて」
カイルの声音に緊張している私を気遣うような優しさが込められていて、不覚にも安心してしまう。
素直に目を閉じれば、カイルの手が肩に添えられた。視覚を奪われ静寂に包まれる中、鼓動が鼓膜を突き破る程に鳴り響いていた。
「なるべく息は止めて」
頷いた直後、カイルの唇が私の唇に触れた。
木々を再生させた時と同じ、カイルから送られる風が私の駆け抜けていく。
でも、あの時とは送られてくる風の量が、質が、格段に違う。まるで強風に歯向かうように進んでいる感覚だ。
息をしたくても、強く吹き込んでくる風で呼吸を遮られて、苦しくて抗うことができない。私の体の中にある、植物を芽吹かせるフローリアの力を余す所なく掻っ攫い、抉るように吹きつけてくる。痛くて辛くて、ぎゅっと閉じていた目の端に涙が溜まっていく。
呼吸もできずに意識が遠のいていきそうになった時、ようやくカイルの唇が離れた。
「ぷはぁっ……!」
力をなくした体が崩れ落ちていくのを、カイルが両腕でかかえてくれた。ふわふわとした意識の中、放心状態の私の唇から、収まり切らなかった風が吐息となって漏れていく。
吐息はやはり白い花弁となって、私達を中心に渦巻くように舞い始めた。
巻き起こった花弁の旋風は、庭園を吹き抜けてネーヴェ山の裾野にまで広まると、最後まで地面にしがみつくように溶け残っていた雪を全て溶かしていく。
土があらわになった地面からは、様々な植物が競うように芽吹き、枯れ木のようだった木々に付いていた蕾は色とりどりの花を咲かせた。青い空には鳥達が戯れるように飛び、冷たかった空気は穏やかで暖かなものに移り変わっていた。
「この世界には住まうの全ての命よ、冬が終わり、春が訪れたことをここに宣言する」
グリーデンが高らかに言い放つ。どこからともなく鳴り響いたファンファーレが沈黙を破った。それを皮切りに、庭園のバーディル達からはどっと歓声と拍手が沸き起こった。近くにいた見知らぬ人とハグをする若者、久しぶりに見る蝶々を追いかける子供達、花の香りにうっとりする女性。皆がそれぞれ春を楽しんでいた。
「平気?」
バーディル達の様子をぼうっと眺めていた私に、カイルが気遣わしげに訊ねてくる。
「は、い。あの、もう大丈夫なので。支えてくれてありがとうございました」
カイルの両腕がそっと離れていく。まだ体はふわふわしているが、この儀式は『風花の契』のはじまりに過ぎない。しっかりしなければと自分に喝を入れた。
会場を後にした私とカイルは、グリーデンに呼ばれて神殿へと通された。
大理石でできた大広間は、天井にある窓から僅かな光が差し込むだけ。東西南の壁にはぞれぞれ異なる大きな絵画が飾られていた。
「この三つの絵画には、風の神シルフリークと花の女神フローレリアによる四季創造神話が描かれている」
静謐な神殿に響くのは、私達に絵画の話をするグリーデンの厳格な声だけ。これから、私とカイルがすべき仕事について一から説明してくれるらしい。
「もともと、シルフリークは四季の訪れを知らせる神だった。しかし、シルフリークの風の魔法だけでは四季折々の植物は育たない。東の壁の『
金色の額縁に収められていた絵画『
南の壁には、青空の下で夏の花が生き生きと咲き乱れている様子が描かれた『
北の壁には絵画はなく、バーディル達が信仰する風の神シルフリークの彫像が、大きな翼を広げて佇んでいるだけだった。
「三つの絵画にあるように、君たちの仕事はこの世界のありとあらゆる植物たちの成長を助け、育んでいくこと。次なる仕事は春から秋の収穫祭までの間、毎朝植物の成長を促す魔力を込めた風を吹き渡らせる『
グリーデンは私とカイルを交互に見やった。その目には少しの不安が入り混じっているようだった。
「『風花の契』の最中は、個人的な感情を持ち込まぬよう。世界の均衡を保つために遵守するように」
私がここに来たのは、夢のため、世界のため、フローリアの宿命を果たすため。心に刻みつけてから「はい」と静かに答えた。
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