7

「大したことはありません。翼がクッションになってくれたおかげで骨は折れていませんから。数時間したら目を覚ますでしょう」


 壁にめり込んで意識を失っていた神官は、王宮の医務室のベッドで眠っている。診察してくれた女性医師の言葉通り、大怪我に至らなかったのは不幸中の幸いだった。


「すまないが、彼のことを頼むぞ。ログ」


 神官の眠るベッドの横にいたグリーデンの言葉に、ログと呼ばれた医師のバーディルが頷いた。

 翼も首元で一つに縛っている長い髪も茶色、銀縁眼鏡をかけた白衣姿の痩身の女性だ。口調も態度も淡々としていて、どこか冷たい印象を受ける。


「ところで、何故突然爆発が起きたんです? 話によれば、吹き初めの儀式をしている時に起きたそうじゃないですか。悪意ある者による魔法の類でしょうか」


 ログは銀縁眼鏡の奥の瞳に疑念の色を浮かべてグリーデンに訊ねた。


「それについてだが、詳しく話を聞かせてもらおうか」


 グリーデンの三白眼が私を睨みつけてくる。心臓が縮み上がるほど威圧的な視線に、背筋が凍った。


「私、ですか?」

「左様。そなたに風送りの術を施そうとした瞬間、彼の体を吹き飛ばすほどの魔力を放った。聖職者である神官の力は、他の者よりも強い。その神官による風送りの術を跳ね返し、爆風を伴うほどの強い力で反発した。そなたは一体何者だ」

「何者と言われましても……」


 ごくごく普通の家に生まれた、ただの花好きなフローリアです、としか言いようがない。他のフローリアよりも力があるかと問われたら、中の中くらいと答える。植物を育成する為に必要とされる基本的な魔法はまんべんなく使える。特別力のある方だと思ったことはない。


「しかし、フローリアは植物に関する魔法を使いますよね。爆風が起きるほどの反発の魔法を使えるものでしょうか」


 ログが疑問を呈すると、グリーデンもそこがひっかかるのか唸っていた。


「考えられるとすれば、誰か風の魔法を使える者がそのフローリアの体内に魔力を送り込んだということだ。呼気の中に魔力を含ませてな。魔力は呼吸で取り込んだ空気と共に体内を巡る。そして、呼吸で吐き出す空気と共に排出されるのだが……」

「排出されずにまだ体内に魔力が残っていたんですね。しかし、反発して爆発を引き起こすとは、相当強い魔力を持った者なのでしょう」


 グリーデンとログの話を聞きながら、私の脳裏には青灰色のバーディルの顔が浮かんでいた。思い当たるとしたら、彼しかいない。すると、医務室の扉をノックする音が響いた。


「入れ」

「失礼します。大神官様、来賓の方々の大広間への誘導と崩れた石の撤去及び修復を開始しました」


 噂をすれば影だ。現れたのは、青灰色のバーディル。黒い詰襟の服の左胸には銀色の羽と弓矢が交差した勲章が飾られている。その服装から軍人だと容易に推測できた。けれど、彼が軍人だということに驚いた。

 思い浮かべたのは、花の森付近で野営をしている他国の軍人達だった。例のごとく花の森を抜け出して珍しい花を探していた時のこと。皆強面の屈強な男達で、顔に生々しい傷がある者もいた。中でも軍人を取りしきっていた男は威圧感があり、恐ろしくて退散した苦い思い出がある。

 軽い印象を持つ青灰色のバーディルからは、荒々しくて殺気立っているような軍人達を束ねているように見えなかった。


「ご苦労だった。安全が確保できるまでは、誰も庭園に入れぬように警備してくれ」

「承知しました」


 ふと、青灰色のバーディルはグリーデンから私に視線を移した途端、にやりと笑みを浮かべた。


「こんにちは、フローリアさん」

「こ、こんにちは?」

「俺は射手団の団長をしてる、カイル•コールドウェル。射手団っていうのはデグーの軍隊のことだよ。これからも会うことあると思うから、どうぞお見知り置きを」


 青灰色のバーディル——カイルが軽くお辞儀をしてきたので、慌てて私も頭を下げた。


「それにしても派手にぶっ飛ばしたなぁ」


 姿勢を元に戻してけらけらと楽しそうに笑うカイルに、グリーデンが話しかけた。


「そのことでカイルに頼みがある。バーディルの中に吹き初めの儀式の前に彼女に風送りをした者がいる可能性がある。その人物を射手団を使って特定してほしい」

「あ……それ俺っすね」


 苦笑するカイルに、グリーデンの眉間にあった皺は深くなった。


「カイル、お前一体何をしている」


 じとっ、とログが睨みつけている。

 彼だけが責められている。もとはと言えば私のせいだ。弱った木々を蘇らせたいと願ってしまったから。カイルは巻き込まれただけだ。


「すみません、私が——」

「朝の森を散策していていたら彼女が悲しそうな顔をしていたから、慰めようとつい、しちゃいました」


 声を張って私の言葉を遮ったカイルは、あはは、と笑ってごまかし始めた。


「しちゃいました、じゃない。なぜ慰めようとキスして風送りまですることになるんだか私には理解できない」

「ログは堅物だな」

「お前が軽すぎるんだ」


 ログはまだまだ言い足りない様子だったが、こほん、とグリーデンが咳払いをしてふたりの言い合いは終わった。


「理由はともかく、困ったことになった。まさかカイルだとは……」


 グリーデンは呆れなのか絶望なのか口ひげを蓄えた口から盛大なため息を吐き捨てた。


「俺だと何がまずいんです?」


 グリーデンの代わりにカイルの問いに答えたのはログだった。


「お前の魔力は強すぎるからだ。風の神に仕える神官の聖なる力よりも勝ってる。少しは自分の力を自覚しろ」

「ログの言うとおりだ。彼女に流し込んだ魔力が強すぎて、呼吸によって自然に排出されるにはかなりの時間がかかる。普通ならば四、五日ですべて排出できるのだが、恐らく一か月はかかるだろう」


 ついにはグリーデンは髪のない頭を抱えてしまった。


「ということは、こいつのバカほど強い魔力が彼女の体からすべて抜けきるまで儀式は延期せざるを得ないということですか」

「延期は、できませんよね……」


 ログの言葉に反射的に答えてしまう。今まで沈黙して三人の会話を聞いていた私が口を開いたことで、三人の視線が一気に集まった。


「冬が終わりを迎えて季節は春になろうとしています。私達のような、気温や湿度といった環境の変化に即座に対応できる生き物は良いですが、植物達にはそれぞれ芽吹くのに適した温度が存在します。少しでも儀式が遅れれば、気温が上がってしまって春の初めの頃に育つ植物には熱すぎてうまく育つことができません……そうですよね?」


 伺うようにグリーデンを見ると、肯定なのか頷いてくれた。私達が策はないかと考えていた静寂を破ったのは、カイルだった。


「なら、道はひとつしかない。俺が彼女のパートナーになればいい。俺だったら彼女に送り込んだ魔力に反発されないし」

「……延期ができないのなら、そうする他ないか……」


 カイルの提案を渋々のんだグリーデンの顔に不安の色が滲んでいた。きっと、私が抱いた不安と同じ理由だろう。

 カイルは簡単にパートナーになると言ってのけたけれど、本当に分かっているのだろうか。私は覚悟はできているけれど、毎朝、欠かすことなく好きでもない相手と唇を重ねなければならないことを。もう飽きたとか嫌だと思っても逃げられないことを。

 もともとこれは彼の仕事ではない。それなのに軽々と引き受けてしまっていいのだろうか、と軽率な判断に不安さえ覚えた。


「何、不安?」


 私の心の中を読み取ったのか、カイルが訊ねてくる。


「それは……」

「君の初めてをもらった責任はちゃーんと取るから、安心しなって」

「ちょっと、言い方っ」


 私をからかったカイルは、それはそれは楽しそうにケラケラ笑い始めたので、不安がより一層大きく膨らんだのは言うまでもない。

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