5
花の森に限らず、種族間には掟というものが存在する。それは私達がお互いにより良く生きていく為に作られたもので、掟を破るということは仲間に迷惑をかけることになる。時には、命が脅かされる事態になることさえある。
最悪の事態を防ぐ為にも、掟は守っていかなければならない。
「ビアンカ、あなたは今朝だけで掟を三つも破ったのよ」
花の森の植物達は族長であるロザリナ様に忠実に仕えている。今朝のことも、森に咲くお喋りな花達が伝言ゲームのようにしてブルーベルに伝え、ブルーベルがロザリナ様に話して聞かせたのだろう。
私が破った掟の一つめ。ロザリナ様の許しもなく花の森から出てはならない。
フローリアの魔法は植物にのみ効果があるものばかり。自分の身を守る術はなく、襲われでもしたらひとたまりもない。
二つめ。他の種族の支配地域で勝手に魔法を使ってはいけない。
フローリアは植物に対しての魔法を使うことが多い。植物は生態系を支える大事な役目を担っている。生き物達が生きる上での土台ともなっている植物を、魔法によってあれこれ操作してしまうと、生態系を崩しかねないのだという。
「そして三つめ。他の種族、とりわけ風の使いとは許可なく交わってはならない。風と花の契約の話をあなたも知っているでしょう」
感情の起伏もないロザリナ様の声音が、僅かに低くなった気がした。
『花と風が結ばれた時、世界中の花々が咲き誇り、麗らかな春が訪れる』
かつて、気の向くままに自由に空を駆け風を吹き回していた風の神と、地上で美しい花々を咲かせていた花の女神が恋に落ちた。すると、世界が生命で満ち溢れる春が生まれたという神話がある。
二神がこの地を離れて神々の世界へ旅立ったのを契機に役目を引き継いだのが、植物を芽吹かせ育む力を持つ花守りのフローリアと、世界中に風を吹き渡らせる力を持つ風使いのバーディルだった。
毎年ひとりずつ選ばれた二人がパートナーとなり、春の始めから秋の収穫祭まで、植物達の成長を促す仕事を担ってきた。それを『
パートナーとなったフローリアとバーディルの仕事は、毎日欠かさず植物を芽吹かせる力の込もった風を世界に吹き渡らせる儀式を行うこと。
そう、あの時。枯れていた木々を一気に再生させる為に青灰色のバーディルが私に吹き込んだ風送りは、風花の契で交わされる儀式だった。
「パートナーに選出されていない者同士が、勝手に儀式を行うなど契約違反。しかも、まだ世界は春になってもいないのに。この世界には四季というものがある。春には春の花、夏には夏の花というように、それぞれの季節で咲く花や育つ植物は決められている。それが、あなたの軽率な行動によって狂ってしまう所だった。冬の時期に春の花が咲くかもしれなかった。これがどれだけ重大なことか、あなたは分かっているかしら」
花守りと呼ばれるフローリアの宿命は、花だけでなくこの世に芽吹く植物すべてを
春に咲くはずの花が、冬の寒さの中で咲いてしまったら、種もできずに凍って枯れて、最悪の場合子孫を残すことなくその花は絶滅してしまうかもしれない。
花が絶えてしまうということは、花が咲いた後につける実や葉や根を食する生き物達が食べるものを失って滅んでしまうということ。そして、植物を食べる生き物がいなくなれば、それを狩る肉食の生き物達の食べ物がなくなる。つまり、植物がなくなることで全ての生き物に多大な影響を与えてしまうのだ。
世界中に生きる全ての植物達の秩序を乱さないようにするのが、私達フローリアの大きな役目。軽率な行動ひとつで、世界が危機に陥る。それほどまでに、この世界は繊細だ。
「本当に、申し訳ありませんでした……」
花が好きだと言っておきながら、フローリアにさだめられた役目を放棄していた自分が恥ずかしくて、ロザリナ様に深く深く頭を下げた。
「分かっているのならもう咎めないわ」
恐る恐る頭を上げれば、ロザリナ様の視線は池の方へ移っていた。漆黒の瞳から放たれる静かな圧力から解放され、力の入っていた肩をほぐした。
岩清水が池へ流れ込む、静かな水音以外にこの谷に音はない。静寂の中、声を発したのはロザリナ様だった。
「九十九回、だったかしら」
「……何の数ですか?」
「今まであなたが花の森を抜け出した回数。そして今朝で百回目。あなたが抜け出した理由が、花の森には咲かない花を探しているという好奇心だと知っていたから止めなかったけれど。止めたとしても、あなたはきっと森を抜け出してしまうのでしょう」
ロザリナ様には筒抜けだったかと苦笑してしまう。
「自分の身を危険にさらしてまで、外の世界に咲く花が見たいのかしら」
「はい。花の森は、ありとあらゆる花が咲くと言いますが、冬の来ないこの森には
「そう。外の世界の花を見たいと言うのなら」
池に移していた瞳が、再び私へ向けられた。私を咎めていた時の圧力は感じなかったが、感情のない瞳からはロザリナ様が怒っているのか悲しんでいるのか分からないから、つい身構えてしまう。
「今年はあなたに行ってもらおうかしら、ビアンカ。風花の契の、花の代表として」
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