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 花の森に帰れば、上着は必要ないほどに温かい。青灰色のバーディルが置いていってしまった上着を脱ぎ、どうやって返そうかと考えていると、家の近くまで辿り着いていた。

 立派な幹のオークの木が私の家。オークの木に似せた、と言ったほうが正しいだろう。

 根元にある扉を開けると、螺旋階段が現れる。二階は共有スペース、三階は両親の部屋で四階は私の部屋。最上階は両親がお酒を嗜みながら星空を眺める部屋になっている。


「ただいま」

「ビアンカ!!」


 螺旋階段を転がり落ちる勢いで、両親が一階へと降りてきた。二人とも私と同じホワイトブロンドの髪だ。父は緑色の瞳を、母は榛色の瞳を丸く見開き、血相を変えて私の前に立ちはだかった。


「あなた一体何をしたの!?」


 咎めるような口調と共に母が突き出したのは、毘蘭樹バクチノキの葉。フローリアは厚みのある毘蘭樹バクチノキの葉の裏に文字を書いて、遠方にいる相手に文を送っていた。

 母の持っていた毘蘭樹バクチノキの葉には『帰宅次第、ブルーベルの谷まで来るように』とだけ書かれていた。


「今朝、族長補佐が届けてくれた。送り主は、ロザリナ様だ」


 母と違って父の声音は冷静さを保っていたが、不安と緊張で顔は強張っていた。

 ロザリナ様はフローリアの族長だ。花の森の最奥、ブルーベルの花が咲き乱れる谷に棲んでいる。それ故に、ロザリナ様のことは奥懐の佳人と呼ぶ者もいた。

 しかし、その名はただ花の森の奥にいるからという単純な理由だけでつけられたのではない。ロザリナ様が人前に姿を現すことはないからだ。花の森の統治は、族長補佐が執り行う。ロザリナ様に面会が許されているのは族長補佐だけ。ロザリナ様からの言葉は、族長補佐の口から伝えられる。

 族長補佐以外にブルーベルの谷に人を呼ぶのは、ロザリナ様から直接、お叱りの言葉を受ける時。つまり、フローリアの規律を破った時だ。


 一度部屋に戻って上着を衣装ケースに置き、髪を梳かして身なりを整えてからブルーベルの谷へと向かった。

 ロザリナ様の伝言が書かれた毘蘭樹バクチノキの葉を手のひらに乗せると、ひらひらと宙を舞い始めた。この葉が、谷まで道案内をしてくれるらしい。

 森の小道を進むにつれて、木々は鬱蒼と生い茂り視界が狭まっていく。下草に太陽の光が届かない地点までやってくると、青々とした花をつけたブルーベルによって道が塞がれていた。

 毘蘭樹バクチノキの葉は、かまう事なく真っ直ぐ前へ飛んでいく。まるで青い絨毯のように広がるブルーベルを踏まぬように僅かな隙間を縫って進んでいけば、生い茂っていた木々が消えて谷間に出た。


 切り立った岩の壁にはこちらを伺うようにブルーベルが群生している。岩清水が流れ落ちた先は透き通った池となっていた。

 澄んだ空気とブルーベルの花の持つ美しい青色に魅せられていると、毘蘭樹バクチノキの葉は池の端に腰掛けていた黒髪の女性の手元へと飛び去っていった。


「案内ご苦労様。ゆっくりおやすみ」


 色白の肌に映える紅色の唇から発せられたのは労いの言葉だったが、その声に抑揚はない為に心からの言葉には聞こえなかった。女性の手のひらに止まった葉の形が崩れ、粉になって空気中へ消えていく。


「いらっしゃい、ビアンカ」


 立ち上がった女性の、足元まで伸びた艶やかな黒髪に癖はなく、身に纏っているキトンも黒色。整いすぎた美しい女性の顔に、表情など一切ないから恐ろしく感じてしまう。

 伏していた切れ長の目が向けられれば、まるで夜の闇にも似た漆黒の瞳に吸い込まれてしまうのではと錯覚を起こす。瞳に光など宿っていないためにより一層闇を彷彿とさせるからなのかもしれない。


「ここに呼ばれた理由に、心当たりはあるわよね」


 感情のこもっていない声は冷たく、重い。厳かな雰囲気を醸し出すこの女性が、フローリアの族長であるロザリナ様だった。


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