シンデレラに恋をして
綾坂キョウ
世界で一番美しい人
五歳の頃、俺は「ふつう」に戦隊ヒーローが好きで、ミニカーを集めていて、ケンカっ早くてよく妹を泣かせていて。
そして。
五歳の頃、俺は。
妹が誕生日に買ってもらった絵本のシンデレラに——初恋をした。
***
「うちのクラスでは、文化祭の出し物として劇をやることになりましたがぁ。演目はなににするか、良い案ありませんかー?」
クラス委員が、黒板の前で喋るのを、果たして教室にいる何人がまともに聞いているだろうか。
文化祭まであと二ヶ月。来年は高校受験を控えている俺らにとって、中学二年の今年はイベントを思い切り楽しむラストチャンスだ。
(とは言え……文化祭なんて、大して盛り上がるわけでもないんだよなぁ)
屋台とかやれるならまだしも、劇や歌の発表会なんてモチベーションが上がらないヤツがほとんどだ。俺だってべつに、特に楽しみなわけでもなんでもない。
だいたい、劇なんてやったことないし。ちょっとというかふつうに恥ずかしいから、大道具とかそういう係になって無難にやり過ごしたい。
(なんの演目でも良いけどさぁ。あんま、めんどくさくないのになんないかなー)
そう、机にだらりと寝そべりながら思っていたときだった。
「——シンデレラ」
すっとよく通る声がそう言ったのが、はっきりと聞こえて。俺は半分閉じかかっていた目をパッと見開いた。
手を上げて発言したのは、クラス一の美人である吉谷だった。
大きな目をクラス委員に向けて、もう一度繰り返す。
「シンデレラが良いと思います」
途端にざわりと、教室中がうるさくなった。
「えー、そんなの幼稚園のお遊戯じゃないんだから」
「シンデレラなんてつまんねーよ」
そんな言葉が聞こえる度に、机にうつ伏せたまま、俺は膝の上でぎゅっと拳を握った。
(シンデレラをバカにしやがって……)
シンデレラは、単なる子ども向けのおとぎ話というだけでなく、遡れば紀元前一世紀くらいから語り継がれてきた民間伝承だ。世界各地でアレンジもされながら、たくさんの形で作品が作られ続けている奥深い名作なのだ。
(……って、ネットや本の受け売りだけど)
俺が好きなのはやっぱり、初めて見た絵本のベースになった、ベーシックなシンデレラだけれど。そんなことの半分でもここで語れば、きっとクラス中から変な目で見られるだろう。
だからひたすら、黙って嫌な言葉の嵐が収まるのを待つしかない。
なのに、吉谷が更に余計なことを言う。
「みんなべつに、やりたいのがあるわけじゃないんでしょ? だったら、誰でも知ってるシンデレラが一番スムーズで良いじゃない」
それに、クラスが一瞬「まぁ……」みたいな空気になった。吉谷は続ける。
「あたしも言い出しっぺだから、王子様やるし。白タイツでもちゃんと履いてね」
それには、みんな食いついた。
「吉谷さんの王子様って、絶対可愛いじゃん!」
そう言う女子もいれば、
「まぁ……クジとかで王子役やらなくて良いなら……」
と、俺も含めて繊細な年頃の男子たちも頷き始める。
(マジか……吉谷が王子……いや、似合うとは思うけど、どうせならシンデレラをやって欲しかった……)
こんなこと誰にも言えないが、シンデレラは俺にとっては初恋の相手で、推しで、嫁みたいなもんだから、そりゃどうせなら美少女にやってもらいたい気持ちはある。まぁ、吉谷じゃ少し、俺の中のシンデレラのイメージよりも顔立ちがキツそうな気はするけれど……。
「あ、じゃあどうせなら、シンデレラは男子がやったら良いんじゃない? 男女の配役をあべこべにしたら、それだけでウケるじゃん」
女子の誰かが言った言葉に、面白がる声と、万が一シンデレラになってしまったらと嫌がる男子のうめき声とが重なる。
俺は声もなく、ただ頭をぎゅっと握られたような心地になった。美しく、優しく、健気で芯の強いシンデレラが——ただのウケ狙いや、やる気のない野郎に演じられたとしたら。そんなの、見たくもない。
気がつけば。俺は机から顔を上げて、手を掲げていた。
「俺っ……だったら、やるけど。……シンデレラ役」
心臓がバクバクとうるさい。目は前を向いたまま、耳を息遣いも漏らさないようにクラス中に傾ける。
変なやつと思われるかもしれない。てか、もう思われてるかも。
クラスではずっと、ふつうにやり過ごして来たのに、俺は。
「良いじゃん、安藤やってよ」
女子の一人が、笑いながらこちらに言ってくる。それとほとんど同時に、「安藤ちゃんマジウケる」と何人かの声が飛んできた。
「それなら、魔女も男子が良いんじゃない? 魔男みたいな」
「意地悪な義母と姉はどうする?」
「全員反対にしたら、男ばっかになるだろ」
わいわいと、話が進んでいくのを聞いて、肩からそっと力が抜ける。クラス委員が黒板に、「王子役 安藤」と書き足した。
「――よろしくね、安藤くん」
吉谷の声がして、慌てて振り向く。
うん、と返事をしようとしたけれど、喉が渇いてはりついた感じで、うまく声は出なかった。
***
家に帰るとなんだか妙に疲れてしまっていて、部屋のベッドに思いきり飛び込んだ。
部屋の本棚には、何冊かの少年漫画と漫画雑誌、それから教科書があるくらいで、俺の「本命」はぜんぶベッドと壁の間にできた隙間にしまってあった。
もぞもぞとそこに腕を伸ばし、一冊を取り出す。
それは、青いドレスを着たシンデレラの挿絵が描かれた絵本だ。絵本とは言っても、大人向けの絵本でドレスや小物も細かいところまで描かれているし、シンデレラの表情がなにより良い。舞踏会のシーンでは、見ているこっちがほくほくと温かい気持ちになるくらい、幸せそうな顔をしている。高めの値段だけれど、小遣いをためてこっそり買ったものだった。
「……綺麗だなぁ」
うっとりと呟く。
おかしいのは分かっている。漫画やアニメのキャラクターを「嫁」とオタクが呼ぶのは聞いたことがあるけれど、よりによってその相手が、絵本の登場人物だなんて。
(そんで……俺がその役をやるとか……意味分かんね)
現実を思い出し、はぁとため息を吐く。絶対に、クラスメイトにこの想いをバレるワケにはいかない。そのために当日まで、無難にやり過ごせば良い。
(大丈夫……十年近く、誰にもバレないようにしてきたんだから。今回だって、きっと)
絵本を抱きしめ、力を分けてもらう。
「諒くん、ごはんできたけどー!」
階段を上ってくる母親の声と足音に、慌てて絵本をベッドの脇に滑り込ませながら、「今行くーっ」と声を上げ、俺はベッドから飛び降りた。
***
「美しい人。どうか、このわたくしと踊ってくださいませんか?」
きらきらとした目に見つめられ、俺は「はぁ……」と弱く頷いた。
「喜んで……」
次の瞬間、「王子」の目がキッとつり上がり、「ちょっと」と不満げに口を尖らせる。
「もうちょっと、真面目にやってよね。安藤くん」
「ま、真面目にやってるよ」
吉谷の言葉に頷きながら、どうにももぞもぞする気持ちをなんとかなだめる。
俺だって――こんな腑抜けたシンデレラ、全く理想なんかじゃない。かと言って、俺になにができる? 俺はただ、他のヤツらにシンデレラがバカにされるのが嫌だっただけで、演じたかったワケじゃないし、理想のシンデレラが俺にできるとも思えない。
「吉谷さんの王子様、ほんと素敵ー! 男女逆だとギャグっぽくなるかなと思ってたけど、ふつうにカッコいいよねぇ」
そう、衣装係の田島がうっとりとした表情で言うと、何人かがうんうんと頷いた。それくらい、吉谷の王子は「The王子様」という感じでカッコいい。ちゃんと衣装を着たら、それこそ本物の王子みたいだろう。
「シンデレラのドレスは何色にしようかなー。やっぱり白が綺麗かな、花嫁みたいで」
田島が、布のカタログを見ながら楽しそうに言うのが聞こえてきて、俺は「えっ」と目を見開いた。他の女子たちが、一緒になってカタログを覗き込む。
「この紺色も綺麗じゃない?」
「ちょっと地味じゃん。黄色とかは? 向日葵みたいで綺麗」
「や、ちょ、ちょっと」
慌ててその中に割入る俺を、女子たちはきょとんとした目で見てきた。その視線に、思わずぐっと言葉が詰まる。
「いや……その。やっぱり、青……が、良いんじゃないか? 空みたいな……綺麗な……」
「――え。安藤くん、意外とこだわるタイプ?」
女子の一人がくすりと笑う。その途端、ぎくりと身体が強張るのが自分でも分かった。
「別になんでも良いじゃん、安藤。女子に任せといた方が楽だって」
別の方向から、友人の声がした。
「あ……や、まぁ……」
マズい。心臓がバクバクする。おかしなことを言ってしまったのかもしれない。ドレスの色なんてほっとけば良い。所詮、文化祭の出し物なんだから。けど。
「――役者に、役に対するイメージがあるんだったら、それを取り入れるのは悪いことじゃないと思うけど」
涼しい声が、その場の空気を入れ替える。
吉谷はひょいとカタログを覗き込むと、「布の値段は変わらないんでしょ?」と首を傾げた。
「シンデレラって、小さい頃から絵本や映画で見慣れてるし。イメージが人それぞれあるのは当たり前なんじゃない? それが大きく外れてると、やりずらいだろうし」
「うーん、それもそうだね」
田島があっさりとそれに頷いた。
「じゃ、青で注文しちゃうね。これ、スカイブルーっていう色があったよ」
そう、見せてもらったページに写る布の色は、高く澄んだ秋空のような色で。好きな絵本に描かれたドレスの色とも、かなり近いように見えた。
「う……うん。ありがと」
「せっかく安藤くんが、シンデレラやってくれるんだもん。やりやすい方が良いに決まってるよね」
少したれた目を細めながら、田島が笑う。その手が、ポンと俺の肩を叩いた。
「安藤くんの面白いシンデレラ、楽しみにしてるから」
「う――うん」
頷いていると、ふと、首筋にちりっとした感覚を覚える。見ると、吉谷がじっとこちらを見つめていて。俺はなんだかそれが息苦しくて、ふいっと顔をそむけた。
***
衣装ができあがったのは、本番の一週間前だった。
家庭科の先生も協力してくれたとかで、ドレスは意外にしっかりとした作りだった。当日はこれを着て、衣装係の田島がメイクまでしてくれることになっている。
放課後。オレンジ色に染まった無人の教室で、ぼんやりとそれを眺める。
「シンデレラ……」
きゅっと胸が苦しくなる。それは、「好きな人」の衣装が目の前にあるからでもあるし——なにより、それを着て演じるのが自分であると言う、罪悪感もある。
あれから練習をそれなりに重ねてきた。ほどほどに力を入れて、かつオーバーに振る舞うことで、みんなが期待する面白いシンデレラの演技になるらしいということが、このところ分かってきた。
「ごめんな……」
思わず、ドレスに触れながら呟く。
「俺が好きなアナタは……そんなんじゃ、ないのに……」
不意に、ガラリと後ろで扉の開く音がした。慌てて振り返ると、吉谷が驚いた顔でこちらを見ている。
「安藤くん、まだいたの」
「よ、吉谷こそ」
「あたしは部活の放課後練」
言って、吉谷はトランペットを吹く真似をした。そう言えば、吹奏楽部だったか。
「……吉谷は偉いな。部活も、クラスの出し物もちゃんとやってさ。王子役だって、めっちゃ良い感じだし」
「まぁ、言い出しっぺだもんね」
なんてことないように、吉谷が頷く。
「なんで、吉谷は……その、シンデレラをやろうなんて、あのとき言ったんだよ」
「別に……演目、全然決まりそうになかったし。あたし、ああいう場面でダラダラするの嫌いだから。前も言ったけど、シンデレラなら、みんな中身を知ってる分、台詞とかも覚えやすいでしょ」
「あー……なるほどなぁ」
確かに、みんな最初はやる気がなかった割に、最近は練習も良い感じになってきている。
「吉谷はカッコいいな」
それは思わず、ポロッと口をついてしまった言葉で。幾分、やっかみに近い気持ちもあったのだけれど、吉谷はそのまま受け取ってくれたようで、「ありがとう」と頷いた。
「王子だからね。やっぱり王子は、カッコよくないと」
「はは……そりゃそうだ」
「安藤くんの考えるシンデレラは、どうあるべきなの?」
さらりと訊かれ、「そうだなぁ」と返事をしかける——も、なんとか踏み留まって吉谷を見た。
「てか、なにそれ? どういう意味だよ」
「なんて言うか。最近の、安藤くんのシンデレラ。ラストまでずっと、幸せそうに見えないから」
言葉に詰まる。
吉谷の言うことは当然だ。理由だって分かりきっている。
だけど。だからこそ、どうすれば良い?
「別に。吉谷には……分かんないだろ」
美人で、なんでもできて、みんなから好かれてるような、そんな特別な存在なら。隠しごとなんて、必要ないのかもしれない。
俺みたいに、「ふつう」にしがみつくのが精一杯なやつは、その「ふつう」から外れないために、どんなに大好きでも、その相手さえ大っぴらにできなくて。
「そりゃ、言ってもくれないことなんて分かるわけないけど」
吉谷はそう言うと、自分の席の荷物を持って扉へと向かった。目だけちらっと、青いドレスに向けて。
「ただ、これが辛い想い出にしかならなかったら、もったいないなって、思ったから」
そう言って、吉谷が教室を出て行く。
「辛い……想い出……」
自分もまた、ドレスを見る。
美しく、優しく、健気で芯の強いシンデレラにピッタリな、清々しい青のドレス。
これを着て王子と踊るシンデレラの姿が——辛い想い出としてこの先、塗り潰される。思い出したくもない記憶になる。
「そんなの……は。ちょっと、やだなぁ……」
誰もいない教室で、ただぽつりと言葉が漏れた。
***
文化祭当日。
男女逆転劇というのはそれなりにウケるみたいで、ボロ服のシンデレラとして俺が舞台に立った時点で、客席からクスクスと楽しげな笑い声が聞こえてきた。
俺もそれに合わせて、練習してきた通りいくらかオーバーに振る舞い、義姉役たちと共に笑いを誘った。
魔女が出てきて変身の魔法をかけられた直後、舞台は暗転した。この間に舞台は舞踏会仕様へ。王子が出てきて、踊りたい女性がいないと嘆くシーンに移る。
そしてその隙に、俺は魔法をかけられたシンデレラへと変わるため、青いドレスに着替え直した。
「超良い感じじゃん、安藤くん。客席もみんな笑ってたし。後半のメイクどうしよっか。もうちょっとウケ狙って派手な感じにしちゃう?」
訊ねてくる田島に、俺は唾を飲み込んで「あのさ」と鞄から秘蔵の絵本を取り出した。
「……これの、シンデレラみたいにしてほしいんだけど」
***
舞台に立つ。王子はこちらを見ると、驚いたように目を見開き、それからふっと微笑んだ。
優雅にすっと、手を差し出してくる。
「美しい人。どうか、このわたくしと踊ってくださいませんか?」
きらきらとした目に見つめられたシンデレラは、はにかみつつも幸せそうに頷くのだ。
「——喜んで!」
了
シンデレラに恋をして 綾坂キョウ @Ayasakakyo
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