最終話 狂乱の神々(前編)
「問題はな、太陽なのじゃ」
ギルガメッシュの薄暗い酒場の隅で魔術師のキリアじいさんはそう俺に言った。
「太陽?」
俺は戦士だ。だから、突然の論理の展開にはついていけない。おまけに、なんだか、どこかで見た事のある光景だ。
強烈な既視感に因われながら、俺は聞き返した。
「そうじゃ」
こんなに真剣なキリアの顔は見たことが無い。
テーブルの上に置いてあった俺の酒をぐいと一飲みに飲み干すと、じいさんはどっかりと椅子に座り込んだ。俺の向いに座っているシオンの野郎はちゃっかりと自分の酒のカップを手元に引き寄せて守っている。俺は恨めしげな目でじいさんを睨むと、ギルガメシュの酒場のウエイターにおかわりを要求した。
実を言うと、俺とシオンは夜を徹して飲み続けている。
負けて酔い潰れた方が今晩の勘定を払う取り決めだ。すでに酒樽の十や二十は飲み尽くした計算になるので、どちらも引くわけにはいかない。負けた方が破産する。
呆れ返ったキリアや月影が引き上げたのが、なんだか随分前の事のように思える。
で、再びキリアが息を切らせて酒場へ飛び込んできたってわけだ。
「キリア。太陽が一体どうしたって言うんだ。不眠症にでもかかったのか?」
俺はそう言いながら、ウエイターからキリアの分の酒まで受け取ると、1口飲んでからキリアに渡した。先ほど飲まれた分だ。キリアも文句はあるまい。
「不眠症だと? ドーム? いやいや、良く眠ったわい」
そこでキリアはぐるぐると目を回すと、俺たちを睨んだ。
「まさか、お主たち、昨日の晩から飲み続けておったのか?」
「昨日の晩? 朝はまだ来てないぜ。じいさんよ」シオンが注意する。
その通り、ギルガメシュ酒場の窓の外は暗いままだ。
「そうじゃ、それじゃ」どんと乱暴にテーブルを叩いてキリアは吠えた。「朝が来ないのが問題なのじゃ。本当ならとっくの昔に太陽が昇っていないといかん。本当なら、すでに今は昼の時間なのだぞ!」
「!?」俺とシオンは無言で顔を見合わせた。
「太陽じゃ」ギラギラと目を輝かせながらキリアが叫ぶ。「あの狂える太陽の巨神が逃げ出したのじゃ」
なんてこった。もしそうならギルガメッシュ酒場のツケは払わないで済むぞ。
街の中の広場はすでに異変に気付いて出てきた人々で一杯だった。
「イブド!」誰かが叫んだ。俺はそれがキリアの名前であることに気付いた。
群衆の中から抜けて近付いてきたのは、マーニーアンだ。
「マーニー!」キリアの声は恐怖そのものだった。
「カント寺院を一人で離れて、シナリオ摩擦効果が。
マーニー?
大丈夫なのか?」
キリアはマーニーを抱き寄せた。ううむ、爺さまにあるまじき行い。
「すでにシナリオ摩擦効果は消えたわ。太陽が逃げ出したのですものね。このぐらいのシナリオからの逸脱はもはや問題では無いのよ」
マーニーアンは断言し、それから聞き返した。
「それより、これは一体?」
「それがわしにも判らんのじゃよ」キリアが頭を抱える。
そうか、シナリオ摩擦効果は無いのか。
すると、先ほどからの頭の痛みは難しい議論のせいじゃなくて・・もしや二日酔い?
俺は納得した。随分飲んだもんなあ。
「あの最初の船の推進装置に使っていたマーラーディアダムね。遂にあの巨神はそれを使ったのよ」とマーニーアン。
「し、しかし・・」蒼い顔でキリアが抗議する。
「マーラーテレポートは非常に高度な魔法技術だ。例えマーラーディアダムがあったとしても、狂える巨神に扱えるわけが無い」
このウィザードリイ世界最高の知性を持つ二人が相談しているのを横目に見ながら、ふと、俺は変な事を思い出した。
そう、昨日の晩だ。いや一昨日の晩と言うべきか。
誰かが眠っている俺の頭の上で叫んだのだ。
「賭けの代金は払ったぞ! 受け取るがいい、ドームよ。例え受取りたく無くてもな」
そして爆笑。
オーディンブレードを手に飛び起きた俺は部屋の中を探ったが何も見つからなかった。
俺の部屋の中はキリアの手により、特殊な魔法場が張られている。
月の民の生き残りが召喚するかもしれないサキュバス等のお色気魔物に寝込みを襲われないためにだ。従って、悪魔の類は足を踏み込むことも出来ないはずなのだ。
あれほど強力な防御場に入りこめたのは一体何だ?
それとも全ては夢だったのだろうか?
シナリオ摩擦効果があろうとなかろうと、謎は俺の脳みそを焼く。それは間違いないことだ。
その時だった・・それが起こったのは・・・
いきなり天空が爆発した。
人々の持つ幾つかのたいまつが照らしていた暗い広場が、その瞬間、くっきりとした影を残し、目もくらばかりの光に溢れた。
驚きと共に細めた目を上空に向けた俺は・・・見たのだ。
最初は太陽かと思った。遅れて出たことを恥じて、いつもより強く輝く太陽。だが、やがて俺は悟った。その位置にあるはずのものを。
月が光に包まれている。本来ならば上がっているはずの太陽を遥かに越える明るさだ。
キリアが俺の横で何かを叫んでいる。それからマーニーアンの手を掴むと駆け出した。俺とシオンもじいさんたちの後を追った。この謎を解けるとしたら、あの二人だけだ。
行き先はすぐにわかった。キリアの家だ。キリアに続いて、俺たちも家に飛び込む。
弾かれた。
キリアの家の戸口はキリアとマーニーアンはすんなりと通したが俺とシオンは弾いた。選択性の魔法反発場だ。俺の家にキリアが仕掛けたものと同じだ。
幾ら外から叫んでもキリアが魔法反発場を解除してくれないので、俺は最後の手段を使うことにした。
いきなり最後の手段かって?
そりゃ、もちろん。なんだか腹が立ったからだ。
ドアごときに舐められてたまるか。
俺を忘れたキリアとマーニーアンにも腹を立てていた。
ゆっくりと酒も飲めない今の状況にも腹を立てていた。
シオンに離れていろと合図すると、オーディンブレードを引き抜く。かすかに青いオーラを纏った金属の刃。凄絶な感じを漂わせる魔法の剣。
月でシギン王の操る魔法の槍グングニールを破壊して以来、俺のオーディンブレードは前にも増して威力をつけて来ている。キリアはこれを強烈な魔力による研磨と呼んでいたが。
俺はオーディンブレードを、身体の前に両手を交差させる形で肩に担いだ。
そして呼吸を調えた。
キリアの家に張ってある魔法反発場は並の物では無い。恐らくは超高熱爆裂呪文ティルトウェイトにさえも耐えるのでは無いかと思う。
だから俺は全力を使うことにした。
シオンは俺から離れると腕を組んで見守った。ことりとも音は立てない。これから俺が何をしようとしているのか知っているのだ。
デリケートな剣技。もしそんなものがあればの話だが。
魔法反発場は強力だが、無敵ではない。魔法反発場は数十秒に一度の割りで新たに張り直される。強烈な反発場であればあるほど、頻繁に更新する必要がある。魔法反発場が四方から更新され中央で結合する一瞬。その瞬間だけが狙いだ。
俺は構え、そして待った。
魔法反発場が俺の目の前であっと言う間に色あせ、四方から虎挟みの罠が閉じる早さで新しいきらめきが走る。
一閃!
オーディンブレードが風を切り、今まさに閉じようとする間隙に打ち込まれた。
オーディンブレードの刃に炎が走り、その先に電光が飛び交う。不思議な螺旋模様が宙を駆け、そして魔法反発場が消滅した。
俺は剣を納めると、シオンと一緒に飛び込んだ。背後で次の更新期間に入った魔法反発場が再び閉じる。
「!」
俺は振り向きざまに、オーディンブレードを横に掃いた。
危ういところで俺の刃を避け、忍者の月影がドアの上に張り付く。
こいつはいつの間に俺の背後に回った?
顔まで真っ黒な忍者衣装に身を固めてしまうと、実際には顔を見分ける事は無理だが、微妙な体型の差で月影であることは間違い無くわかる。
「すまん。間違えた」
剣を納めながら謝る。もう少しで真っ二つにされた忍者が出来上がるところだった。
訳の判らない奇妙な道具が並んだ部屋を通り抜け、奥の召喚部屋で俺たちはキリアとマーニーアンを見つけた。どうやら、俺たちを締め出してしまったことにも気付いていない。
召喚部屋はキリアが悪魔や天使の召喚に使う部屋だ。
本来、街の中での召喚魔法は法律で厳禁されているのだが、キリアはウィズ大学名誉顧問の立場をうまく利用して、制限付きだが、それを可能にしている。
いや、もしかしたらこの部屋は丸っきり違法なのか?
キリアならやりかねないが、俺はそのことは考えないことにした。
星の精霊を召喚するために、この部屋の天井は透明な水晶を使った丸天井になっている。が、今はそれにカバーがかけられているのか、天井は真っ暗だ。
代わりに丸天井の中心にはめこまれた輝く球体から、床一面に丸い光が放たれている。
一目で判った。
今、キリアとマーニーアンが魅入っている、この床に投射されたものは月だ。
丸い輝く円の中にあばただらけの地表、その中央に奇麗に真円を描く都市の輪郭。
キリアは一体、いつの間に、こんな装置を作り上げたのだろう?
もしや?
俺は丸天井に輝く球体を見つめた。やっぱりそうだ。ル・クブリスの宝珠。リルガミンの門外不出の秘宝。
この秘宝の魔力ならばこれぐらいの芸当は可能だろう、俺は納得した。
キリアは一体どうやってこれを手に入れたのか?
俺は床の上に映った映像を見つめているキリアを睨んだ。
リルガミンの街の長老評議会が、秘宝の貸出しを許可するはずが無い。下手をすれば聖龍ル・クブリスの怒りを買って街が壊滅することになる。とすれば、これは恐らくキリアが盗み出した物だろう。
代わりにリルガミンの街は偽物の宝珠を後生大事に抱えていると言うわけだ。
俺は今さらながらキリアの執念に呆れた。
じいさんと来たら、根源の神を見つけるためなら、街の一つや二つ潰すことなど何とも思っていないのだから。
キリアが声を上げて、床の一点を指さしたので、俺の夢想はそこで断ち切られた。
指さされたのは月の都市の真上だ。奇妙にパターンのある月都市の街を今は無数の輝きが覆っている。一目でわかった。この膨らみ方、そして消え方。超高熱爆裂呪文ティルトウェイトだ。
しかし・・この爆発の大きさは一体?
都市の中央部にある宮殿らしき残骸の姿と照らし合わせて見て、俺にはやっと理解ができた。目の前に映し出されたのは、恐ろしくでかい火球だ。この街、随一の魔術師キリアでさえも、これほどの火球は作れない。一つの火球が花開く度に、数百の巨大建築が丸ごと消滅している。
そこまで見てとって、俺はキリアが指さしている床に映っている者の正体に思い当たった。
爆発の閃光に照らされて、逆に黒く見える人影、だが、それは町の宮殿よりも大きかった。大量のティルトウェイト爆発、巨大な人物、消えた太陽。
そこにいたのは狂える太陽の巨神だ!
月全体を覆っている、この地獄の業火の原因はこの巨神が引き起こしている。俺たちが無言で見守る中、太陽の巨神の周りに新たな火球が膨れ上がった。
慌ててキリアが両手を振った。
瞬時に光景が変わり、部屋の床一杯に巨神の姿が映る。
実に良く見えた。
街の一部がティルトウェイトの爆発に飲み込まれて行く。球状の魔法防御場が瞬間、爆発の輝く炎の中に浮かび上がる。月の都市全体に張り巡らされている反魔法場だ。その中では全ての魔法が効果を失う。そこではティルトウェイト呪文でさえも効かないはずなのだ。
「反魔法場じゃ。見よ。ティルトウェイトの指向性の素粒子結合能力が崩壊しておる」キリアが叫んだ。
頭がずきずき痛む。二日酔いか?
ときどきだが俺はキリアの正体に疑問を抱く。もしやどこかの意地悪な神が、俺の人生を頭痛だらけにするためにキリアというじいさんを作り出したのでは無いかと。
「無駄よ。力に差が有りすぎるわ」マーニーアンが指摘した。「吸収しきれ無いわ」
マーニーアンが示す通りに、膨らんだ火球は抵抗する黒い反魔法場を押し潰し、眼下の街を強烈な破壊の渦へと飲み込んで行く。
今度こそ、月の民たちは生き残れまい。如何に魔法要塞都市と言えども。
今、月の上空に吹き荒れているのは神の力なのだ。それも根源の神々に属する最強の神のだ。
無数の火球はいつまでもいつまでも消えなかった。火球を維持する魔力のレベルが人間の魔術師なんかと比べて十桁も二十桁も違うのか。
突然、狂える太陽の巨神の肩の辺りに奇妙な歪みが見えた。
「出たぞ。マーラーテレポートの応用による空間湾曲破壊兵器じゃ」
これもキリアが叫ぶ。その顔に俺は喜びの表情を見た。
これほどの貴重な魔法の実践を見て、じいさんは喜んでいるのだ。心底からキリアは恐ろしい。何か人間として大切なものが欠けているのだろうか。
巨神は肩を振り払った。まるで俺たちがダンジョンの浅いレベルで吸血コウモリを相手に軽く振り払うような動作で。
恐らくは街一つ軽く消し去れるぐらいの兵器の効果が、あっさりと消えてしまう。
続けて巨神は片手で空中に魔法のサインを描いた。
まだ無事だった街の上に次々と新しい火球が膨れ上がり始める。
「こいつは一体、何発のティルトウェイトを撃てるんだ?」
俺の傍らでシオンがつぶやく。
「無限じゃ」キリアがそれを聞き付けて叫ぶ。
「それはありえないわ。キリア」マーニアーンが首を横に振る。「神にも限界はある。じきに彼は眠りに入るはずよ。そして・・・」
議論はそこで終った。俺たちはじっと月が滅ぶさまを見つめていた。
あのときほど、ぞっとした事は後にも先にも無い。
炎を背景に月の上空を何か不思議な力で飛行する狂える太陽の巨神を見ている俺たち。その前で・・巨神はくるりと身体を反転すると、上を、つまり俺たちの方を見たのだ。
燃え上がる青と赤の炎、すべての物を破壊する炎を背景に黒い影となった巨神が、それでも確かに俺たちを見つめたのだ。
黒い影の中に輝く瞳。
背後で荒れ狂っている超高温の炎よりも、奴の瞳の中に燃える炎の方が恐ろしい。
だが、俺をぞっとさせたのはその事じゃあ無い。
かって、最初の船でキリアとこの巨神に遭ったその時、巨神の瞳には恐らくは狂気が満ちていた。虚空に繋がれた鎖から逃れようとする無益な努力の中に、俺は憐れみにも似たものを覚えていた。
だが今やその瞳の中に有ったのは、静かな知性、そして・・・そうだ!
義務感だ!
すでに巨神は狂ってはいない。だが、それ故に巨神は世界を滅ぼすつもりなのだ。
破壊神。
それは破壊のためにのみ存在し、本来は破壊以外の何もしない。今の今まで鎖につながれて太陽の代わりをさせられていたそれは、ようやく本当の姿に戻ったのだ。
破壊は情け容赦無く徹底的に行われるだろう。この世界のどこに逃げようと、最後の一人までもが狩り出され、そして焼かれる。
俺たちが恐怖と共に見守る中、巨神の口が動くのが見えた。
何をつぶやいているのだろう?
緊張に俺の咽がひりひりと痛んだ。酒が欲しい。
「キリア。酒はどこだ?」
俺が言った言葉にキリアがはっと我に戻った。
「いかん!」
キリアが袖を翻すのと、ほぼ同時に部屋の中が白光に満たされた。
気がつくとマーニーアンが俺の額に冷たい布を当てている所だった。
自分の服が奇麗に焼け落ちていることに気付いたのはその時だ。焼けた布が部屋の隅に置かれている。見覚えのある模様。
そして俺は毛布に包まれている。シオンも月影も。
ちらりと見えた、向こうの召喚部屋の中は凄い有様だ。何もかも黒く焦げている。
マーニーアンの治療呪文のお蔭で、俺たちの身体そのものは傷一つ無くなっているが。
「クブリスの覗き珠には安全装置を仕掛けて置いた」キリアが説明する。
キリアはすでに新しい服を着ている。ここに置いてあるキリアの服じゃ当然サイズが合わないから、俺たちの替えの服は各自の家に取りに行かねばなるまい。
「だが、奴の力を完全には押さえ切れなかった。後少し遅かったら、家ごとどころか街ごと焼失しておったじゃろう。」
「奴は…俺たちに気付いたのだな?」月影が静かに断定した。
「そうじゃ。あれは完全に正気に戻っておるし、神としての能力の全てを取り戻しておる。見よ」
キリアが手を振った。
またもや、あの巨神と向い合うのかと思い、俺は首をすくめた。
ええい。素面ではろくな働きもできはしない。
ああ・・酒、酒。うまい酒さえあれば、死神とだって握手をして見せるものを。
今度は空中に半球が現れた。どうやら只の絵を映し出しているものらしい。この形は月だ。
キリアはぐるっと映像を回すと、お椀の内側、月の都市の面を俺たちに見せつけた。何かの文字だ。炎で綴られた文字が月の表面に浮き上がっている。
「古代神聖文字じゃ。あ奴が月を焼き潰す前に、この文字を月に刻んだ。
わしにも読めん文字じゃ」キリアが叫ぶ。
それに応えて俺はつぶやいた。
「俺は何が書かれているのかわかる気がする」
「なんじゃと?」キリアが驚愕する。
「絶対にお前たちを殺す、だ」
「奴はどうしている?」とシオン。マーニーアンから何かのカップを渡されたとこだ。
カップ!
酒だ。俺もマーニーアンから酒を受け取ると、がつがつと飲んだ。
うまい。
旨い。
実に・・・ウマイ。
冷えた香りの良い酒が、咽を駆け降り、一気に胃に落ちる。それを追ってかっと燃え上がるような熱さが咽を付き抜け、ふうっと胃の腑が温まる。
これほどうまい酒は飲んだことが無い。信じられない程のうまさだ。
「これは?」俺はマーニーアンにおかわりを要求しながら聞いた。
「ドラゴン・スピリッツ。ギルガメッシュの酒場の最高の酒に、倒したゴールド・ドラゴンの血を混ぜて再発酵させたものよ」
再びマーニーアンがなみなみと注いでくれる。
人生の至福の時とはこういう時を言うのでは無いだろうか?
シオンがふうっと溜め息をついて、俺を見つめるとぼそりと言った。
「暢気者・・・」
俺は反論しようと思ったが、止めた。今は喧嘩しているときでは無い。
シオンが自分の分の酒を飲まないようなら、隙を見て俺が飲んでやろうと心に決める。
「で、奴は?」シオンが食い下がった。
「寝たようじゃ」キリアが答える。
「寝た?」
「そうじゃ、今は寝ておる。己が破壊した月の残骸の上で、今は寝ておる。だが・・」
キリアは無情にも続けた。
「だが、やがて奴は目覚める。
眠っておりながらも、奴は正確にこの街を向いておる。次の標的はあきらかじゃ」
何杯かドラゴン・スピリッツをがぶ飲みして、俺の気分も落ち着いた。
きっと恐ろしく貴重な酒なのだろうが、マーニーはケチるつもりは無いようだ。マーニー、大好きだぜ。
「で、キリア。何か策は無いのか?」と俺は尋ねた。
「いざとなれば船で逃げ出せば良い。とは言うものの、それでは終りを先に引き延ばすだけで何の解決にもならん。
わしの船とて無限に航行できるわけでは無いし、奴が小さな船と言えども見逃すとはとても思えんのじゃ」
キリアはマーニーアンの方へ目を向けた。
「マーニー。カント寺院の方はどうじゃ?」
マーニーアンは悲しげに首を振った。
「無茶苦茶よ。キリア。
カドルトの神を筆頭とする神々は一切の問いかけに答えないの。緊急の際なので掟を破って邪神の類にも呼びかけたのだけど。反応したのは一柱だけ」
「それは?」
「狂気の神、ニルギドよ。それも笑い続けるだけ」
爆笑、狂笑・・俺の頭の中にまたあの笑い声が聞こえたような気がした。
この罪悪感は一体なんだろう?
まるで太陽の巨神が解放されたのは自分のせいだと言うような・・。
「神々があてに成らんのでは・・」
キリアは腕組をした。それから俺の方を睨むと言った。
「ドーム。頼みがある」
「なんだい、キリア」
それ以上酒を飲むなって頼み以外ならなんだって聞いてやるぜ。
「根源の悪魔に会いたい。わしの誓いを取り消してくれ」
俺はあやうく酒をこぼしてしまう所だった。
根源の悪魔・・・その昔、合わせ鏡の通路を使って、一度だけ見たことがある。
俺が見たのは根源の悪魔の足の爪先だけだったが、それだけでも街を滅ぼしてしまう所だったのだ。
その事件の後、俺はキリアに決して破れない魔法の誓いを立てさせた。それを破れば魔術師としての全ての力を失うってやつだ。
今、キリアはその誓いの封印を俺に解けと迫っている。
俺も腕を組んだ。
危険だ。非常に危険だ。
例え太陽の巨神がこの街にやって来なくても、根源の悪魔に関わるだけで街が滅ぶかも知れない。
腕組をしたまま無言を続ける俺を見つめながら、キリアがマーニーアンにそっと話かけた。
「マーニーや。ドラゴン・スピリットよりもうまい酒がどこかにあったはずだな」
「ええ、キリア。確か貯蔵所の奥にずっと昔に冒険者が他の世界から持ち込んだ酒があるわ」
それからマーニーアンは含み笑いをしながら付け加えた。
「それも、もの凄い上等の酒よ」
情けないことに俺の咽がぐびぐびと鳴った。
まあ、いいか。と、俺は思った。どの道、このままでも街は滅ぶ。それならば誓いと引き換えに旨い酒を飲むのも悪くはない。
俺が承知すると、キリアは悪魔召喚の支度にかかった。
残念なことにマーニーアンから貰ったナポレオンとか言う名前の酒の半分は、シオンにたかられてしまった。
う~ん、しまった。シオンがいる所で酒の話をするんじゃなかった。
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