第六話 キリア若かりし頃(前編)


 その日、ギルガメシュの酒場には珍しく全員が揃っていた。


 ここの所、実に平和な日々が続いている。キリアと来たら、ずうっと自分の家とマーニーアンの書庫に閉じ篭って何かを調べている。

 その間俺はどうしていたかと言うと、シオンの野郎とずうっと酒場に入りびたっていた。エールの大ジョッキの大軍を前にして、たった二人で最後の砦を守っていたのさ。この先に行きたければ俺たちに飲まれていけ、って具合にな。

 おっと、俺はそれとマーニーアンの所にも行ってた。

 どうしてかって?

 腕の火傷の痕のせいだ。

 この間、オーディンブレードの故郷を探しにいった時、俺は縛られたる神、オーディンにだまされて、あの神を封じている『力の宝玉』とやらを攻撃した。

 この右腕の火傷はそのときについたものだ。

 その日以来、俺はカント寺院の尼僧長のマーニーアンの所へ毎日通っている。腕の火傷に完全治療呪文マディをかけて貰うためだ。そうしないとひどく痛むんだよ。これ。マディ呪文は二日酔いにも効くんで、俺に取っては都合がいいことも確かだ。シオンの野郎、俺が元気だと自分の飲む酒の取り分が減るんでなかなか治療呪文をかけてくれないんだ。


「ふーむ。マディ呪文でも直らない傷なんて、俺は初めて見たぜ」

 シオンは俺の腕の傷をまじまじと見ながら言った。俺の右腕の傷は、赤く引きつった痕が奇妙にも炎を連想させる形で付いている。

 シオンが不思議がるのも当然だ。マディの呪文の効果は完全治療。毒にやられても病気にやられても、例え剣で体を真っ二つにされようが、生きてさえいればその場で完全回復する。するはずなのだ。普通は。だが、この傷は違う。

「うむ。それだけじゃないんだ」

 俺は額に皺をよせながらシオンに行った。

 額に皺をよせるのは最近、俺の始めたジェスチャーだ。こうすると少しは深刻そうに、賢そうに見えるそうだ。無論、キリアのセリフだが。

「この傷、だんだんとひどくなるんだ」声に篭る深刻な口調は本当だ。「で、朝には腕一面に広がる」

「火傷がか?」とシオン。

「火傷がだ」と俺。

 俺のそばで話を聞いていたボーンブラストが僅かに身を引いた。

 うつる病気か何かと勘違いしてるようだ。本当にこいつは厭な奴だ。気にしないように務めて俺は続けた。

「で、俺は毎朝、マーニーアンの所に行って呪文をかけ直して貰うんだ。すると、これより、もう少し小さくなる」

「ふ~ん。そりゃ厄介なことだなあ」

 シオンがぐびりと酒を飲みながら言った。

 最近、シオンの奴は酒の飲み方がおかしい。飲み方が雑だ。

「冗談じゃないことになあ」

 俺も負けじと酒を飲みながら答えた。シオンに酒で負けたくはない。

「それでも段々と傷が広がっているんだ」

 これも本当だ。前よりも傷の大きさは二倍ほどになっている。マディ呪文が追いつかなくなっているのだろうか。だとしたらその内、俺の全身は火傷に覆われ尽くされることになる。

「では、急がないといかんな。とは言え、こればかりは向こうの都合待ちじゃ」

 珍しく書庫から出て、一緒にちびちびとエールを飲んでいたキリアがそっとつぶやいたのを、俺の耳は聞き逃さなかった。

「じいさん。何か理由を知っているのかい?」と俺。


 結局、キリアじいさんはその質問に答えなかった。このじいさんが自分から喋らない時は、脅しても無駄だ。キリアを強制的に喋らせる唯一の方法はマーニーアンに頼むことだが、マーニーアン自身が俺に説明するべきでないと判断している以上、これも無駄だ。

 俺はもう一杯酒を飲んで、この事は忘れることにした。何だかんだ言っても、俺はマーニーとキリアを信じている。いや、キリアを完全に信用するのは決してよいことではないが。

 所詮、人間、死ぬときは死ぬ。そして、蘇生呪文カドルトをかけられれば、本人の意志とは関係無しに蘇る。自分の自由にならないのならば、生き死になんか気にしてどうする?

「そう言えば、じいさん。月へまた行くって話はどうなったんだい?」

 シオンが身体を乗り出して聞いた。きっとシオンはあの月の酒の味が忘れられないんだ。実を言えば俺もそうだ。シオンが持ち出した袋一杯分の酒は俺と二人で大事に飲んではいたがすぐに無くなった。今ではあの酒をラッパ飲みする夢まで見る始末。もし月の民の裏をかいて襲撃し、船倉一杯にあの酒を積んで帰ることができたらどんなに素晴らしいことかと想像し、俺はうっとりとした。

「月か…」キリアが遠い目をした。「まだ時は来ておらぬ。残念じゃが」

 深い溜め息。

「それにドームの馬鹿者がオーディン神を怒らせてしまったでなあ。あの狂戦士の力があれば、どれだけ作戦が立て易かったか」

「キ・リ・ア!」俺は凄い目でキリアを睨んだ。

「なんじゃい? ドーム」キリアは目をくりくりさせて俺を見つめかえす。

 俺は再び椅子に深く腰を降ろすと、がぶりと酒を飲んだ。

 まったく、キリアじいさんに抗議するぐらい無駄な事は、この世界には他にあるまい。

 じいさんがいつも探している、他の世界とやらは別かも知れないが。俺は溜め息をつこうとしたが、止めた。戦士に溜め息は似合わない。

「まあ、とにかく。一応の準備は出来ておる。後は向こうの都合次第じゃ」

 キリアは言い放った。それに答えて、ボーンブラストが言った。

「是非ともどういう作戦なのか知りたいもんだな。俺の命がかかっているんだから」

 俺は驚いた。シオンもそうだろう。腰抜けビショップのボーンブラストが自分から戦いに出たがるなんて、非常に珍しいからだ。大体、目の前に置かれたエールのジョッキを三十秒たっても空にできない男など、俺は仲間とは認めたくない。キリアじいさんは別格だからよいが。

「ほほう。ボーンや。お前はもう参加しないかと思っておったぞ」

 キリアが目を細める。このじいさん、いったい何を考えているのやら。

「参加するさ。この間、月から持って返ったアイテムは良い値で売れた。俺は金が欲しいんだ」とボーンブラスト。

「そんなに金を溜めてどうするんだ? 酒場のツケが溜まっているわけでもあるまいに」

 これはシオンだ。シオンの考えていることは良くわかる。

 シオンの稼ぎのほとんどは酒代に使われる。まあ、俺もそうだが。今、俺たちのギルガメシュ酒場へのツケを払うために金貨を積み上げたら、それだけで月まで到達するのではないかと思う。

 うん、なんとかこの俺たちのツケを月の民に払わせる方法はないものか。今度キリアじいさんと相談してみよう。


 ボーンブラストはシオンの質問に答えなかった。きっと他人には言えぬような目的に使うのだろう。たとえば綺麗な女奴隷を千人も買って大ハーレムを作るとか。

 まあ、いい。冒険者は他人のことに深入りしないのが掟だ。

「ふむ。ボーンブラストは参加じゃな。

 さて、ドームにシオン、それに月影はどうする?」

 キリアは俺達に聞いた。

 変だな?

 シオンも同様に考えたらしい。

「どういう風の吹き回しだい? じいさん。

 じゃあ、じいさん。俺達が月に行くのは厭だと言ったら、どうする?」

「シオンや・・・・」キリアは哀れを誘う声で言った。

「お前はこんなヨボヨボの老人を一人で危険な所に送り込むつもりかい?」

 シオンと俺は顔を見合わせて苦笑した。まったく、このじいさんと来たら。

 それに厭だと言っても、眠らせて運び出したりして、絶対に連れていくに違いない。キリアは人の迷惑など顧みない男だ。二日酔いの俺がいったい何度、強制的に地下迷宮に連れ込まれたことか。ヘドを吐きながらの冒険行は限りなく辛かったぞ。

「俺は行くぞ。じいさん」シオンはまだ笑いながら言った。

「実を言うとなあ、あのマゾンとか言ったけ。あの旨い酒が飲みたくてなあ」

 そこでぐいとエールのジョッキを空にすると付け加えた。

「この酒場の酒は飲み飽きた」

 なるほどそうか、最近、シオンの飲みっぷりが悪かったのはそのせいか。俺は納得した。いかんなあ、酒飲みの口が奢ると、ろくなことはないぞ。

「で…ドーム。お前はどうじゃ」キリアが今度は俺の方へ話を向けた。

「俺か。俺は」苦虫を噛み潰したような顔で俺は言った。


 この言い回しは、マーニーアンに習ったものだ。この世界に辿り着いた冒険者の中に、辞書とかいうつまらん代物を持ち込んだ冒険者がいたらしい。それを見つけて、マーニーアンは飛び上がらんばかりに喜んだそうだが。

 もっとも、苦虫とやらがどんな虫かは俺は知らなかった。きっと、キリアの言う真世界では多い虫なのだろう。飲みかけのエールのジョッキに入るぐらいに。だからみんなしょっちゅう苦虫を噛み潰すことになる。

 でなければ誰が苦い虫など噛みたがる?


「キリア。確か前に『影の存在』は、世界のどこかに原型があって、無限に再生されるって言っていたな」

 さすがのキリアにも話が見えなかったらしい。キリアは呆れた顔をしていた。

「そうじゃ、そうじゃとも、ドーム。良く覚えていたな。偉いぞ。坊や」

 キリアのこういう言い方がはっきり言って俺は嫌いだ。確かに俺は『坊や』の時分からキリアに育てられてはいたが。

 いつもならここで怒る所だが、今の俺はそんな気分にはなれない。

「スーリの家族の原型はあの炎の魔神のために破壊された。だが、スーリの原型はまだ月に残っている。でなければ、あの後、俺の所に来れたわけが無いからな」

「お前の所じゃない。わしらの所じゃ。スーリはわしら全員を殺すつもりじゃった」

「そんなことはどうでもいい。要は月に行けばスーリに会えるってことだ。

 そうだな? キリア」

 キリアはしばらく俺の顔を見ていた。シオンは慎重に俺の方を見ないように、酒を飲むことに専念している。まずい事に、スーリの問題に関わると俺は容易に理性を失う。

「そうだ。確かに月にはスーリがいるじゃろう。しかしなドームよ」キリアは続けた。

「そのスーリは、お前の知っているスーリじゃない。新たな記憶と人格を持ったスーリだ。しかも、間違い無く、お前を、いや、わしらを殺したがっているはずじゃ。

 『影の存在』は決められた役割からは逸脱できないのじゃ」

「それでも良い。キリア。俺はそれでも構わん。スーリが毒塗りの短剣をその手に握っていようが、俺はスーリをもう一度抱きしめられればそれでいいんだ」

 自然と俺の手に力が篭ってしまったが、丈夫な魔法強化金属のエールジョッキは持ち堪えた。

「ドーム」キリアはそれだけ言った。

 ・・・空気が湿っぽくなった。

「月への冒険の目的は、金に女に酒か」

 俺とシオンとボーンブラストとキリアが一斉にテーブルの反対側を見た。

 喋ったのは月影だ。

 そうだ。確かに最初からこいつは一緒に飲んでいた。そして、いつのまにか、俺たちは月影の存在を忘れていた。強烈な男のくせに、どうしてここまで影が薄い。

 そこまで考えて、俺はやっと月影の言葉の中身に思い到った。

「な・・・なにいいいいい!」

 怒りが俺の憂鬱な気分を吹き飛ばした。テーブルに右手を叩き付けて、月影に詰め寄る。

 キリアが俺のその右腕を掴んで、止めに入った。

「ドーム、それ以上、怒ってはならん」

 キリアのいつに無く真剣な声が俺の心を揺るがした。

 どうしたと言うんだ一体?

 俺はどっさりと椅子に腰を落した。なんだか髪の毛が焦げる様な匂いがした。

 キリアが小さな声で自分の手に何かをつぶやいている。

「じゃあ、月影。お前は行かないのか?」とシオン。この状況のフォローに入っている。

 シオンは野蛮人との通り名だが、きちんと気配りのできる良い男だ。

 俺は辺りを見回して、他のパーティ達が皆、酒場のカウンタの向こうに避難しているのを知った。喧嘩に巻き込まれるのを恐れたのだ。なにせ、冒険者の喧嘩と来たら。


 ギルガメシュの酒場のカウンタは、そのために耐魔法処理がされている。

 酒場全体にアンチマジカルフィールドが張られた時期もあったらしいが、喧嘩に巻き込まれた魔法使いが三人ほど、忍者にクリティカルヒットをくらった事件の後、撤廃された。それ以来、酒場の壁やテーブルは非常に丈夫な物に作り変えられている。

 ギルガメッシュ酒場のオーナーは、喧嘩を起こさないことよりも、起きた喧嘩に備えるほうを選んだわけだ。

 備えあれば、憂い無し。

 話が逸れた。元へ戻そう。


 月影は言った。

「行くさ。魔術師キリア。月には古い文書があるだろうか?」

 これもキリアの予想外の質問だったらしい。

「あるだろう。月影よ。一体何故?」

「私は忍者だ。魔術師キリアよ。知っての通り、冒険者側の忍者はダンジョン等に棲息するモンスターとしての理性を失った忍者とは違い、生まれながらの忍者という種族では無い。全て転職により生まれる忍者だ。

 そして・・私は忍者としての道。忍道を極めたい。そのために忍者になったのだから」

「お主は立派な忍者では無いか。これ以上、何を求める?」とキリア。

 キリアにもすぐ判らないことがあるのを知って、俺は少し安心した。

「ウィズ忍者組合には古くから伝わる忍者の巻物がある。

 それによれば・・真の忍者は忍術と言うものを使えたそうだ」

「忍術?」

 俺とシオンとボーンブラストは同時に叫び、月影はそれに頷いた。

「忍術だ。火遁の術、水遁の術、木の葉隠れにくぐつの術。

 古の時代。この世界を訪れた忍者は魔法にも似た不思議な技を使ったという。

 単に素手で人を殺すだけが能力というわけでは無く。

 私はそれが知りたい。

 魔術師のキリアよ。あなたの言う、真の世界ならば、それがあるのでは無いか?」

 キリアはまたしばらく考えて頷いた。

「恐らくあるだろう」

「では。私は共に月へ行こう」それっきり月影は黙った。

 こいつがこんなに喋るなんて・・・初めてだ。俺たちが月影に初めて会ったときからの言葉をすべて合わせても、今喋った分量に追いつかないぞ。

 いつもは質問に頷くぐらいが関の山なんだ。それにこんな目的があるなんて。月影については知らないことだらけだ。こいつはいったい何者なんだろう?


 しばらくの間、静かな時間が続いた。

 喧嘩が起きるかと避難していた他の冒険者がまた自分たちの席に戻り始める。

 シオンが何かを考えながら、太い指をトントンとテーブルに打ち付けている。

 俺以外のみんながみんな、何かを考えている。

 何故、人が自分の頭に頭痛を起こさせることを好むのか、俺にはどうしても理解できない。頭というのは剣で切るときの的であって、決して考え事のためについているのでは無い、というのが俺の持論だ。

「うん。何が気になっているのか判った」

 ようやくシオンが口を開き、キリアの方へと向き直った。

「じいさん。今度も炎の魔神ゴーモーノーンを使うわけには行かないのかい。

 もう一度、月を破壊してから行けば、反撃も無いだろう?」

 シオンもなかなか物騒な考え方をする。

「ゴーモーノーンは一度切りしか使えんのじゃ。

 それが契約の内容じゃったからのう。あ奴は今や自由じゃ。今頃はどこかの暗い空間を果てしのない旅にでも出とるじゃろう」

「そうか。それは残念だ。ドームの狂戦士の力も、炎の魔神も無しとは、厳しい状況だな」

 シオンは野蛮人でなおかつ酒飲みだが、一方で非常に現実主義的だ。勝算なしで物事に飛び込んだりはしない。でなければ冒険者というものは生き残れない。

「ところで、じいさん。一度聞きたいと思っていたんだけど、あの魔神とはどこで知り合ったんだい?」とシオン。

 そうだ、俺もそれが知りたいと思っていた。

「聞きたいなら、話しても構わんが・・長い話になるぞ」とキリア。


 そこで俺とシオンは酒場のバーテンに酒を一樽注文すると、腰を落ち着けた。

 ボーンブラストと月影も無言で聞きいっている。


 最近、ボーンブラストは酒付き合いが良くなった。

 以前は俺達とは冒険以外は関わらない奴だったのだが。

 まあ、それでも俺はこいつは好きになれない。

 どうしてだろう?


 キリアは話を始めた。どうやら、キリアの若い頃の話らしい。

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