第六話 キリア若かりし頃(後編)


 この話をするのは初めてじゃったかのう?


 ドーム坊やとシオンは酒樽にかじり付くようにして聞いておる。

 やれやれ、こ奴らから酒を取ったらいったい何が残るのじゃろうか?

 ボーンブラストと月影も大人しく聞くつもりじゃ。では、ちと長口上に入るかな。


 そこでわしは話始めた。

「炎の魔神ゴーモーノーンと遭ったのは、わしがまだ、カント寺院で見習い僧侶をやっておった時代じゃ」

 ドームの右の眉が持ち上がった。

 ドームはわしの事を生まれた時から老人であったと勘違いしておる節がある。困ったことじゃ。

「そうじゃよ。ドーム。当時はわしもまだ若かった。これでも真面目な僧侶じゃった。

 そして、世界の構造についてもまったくの無知じゃった。

 このウィザードリイ世界だけが唯一の確固たる世界と思っておった。

 忘れもしない、あの日、わしは僧院長のお供として共にリルガミンの街から狂王トレボーの城へと向った。

 こういった街から街への使いは、大概は冒険者の見習いの仕事なのじゃ。

 今なら、その真の理由が判る。ほとんどの影の存在は街を離れることはできない。いや、正確に言えば、自分の所属する場所を離れるのが困難なのだ。

 そう言った意味では、月の民の中でもスーリなんかは特殊な存在じゃろう」

 ドームの額にしわが少し寄る。

 ドームはまだわしの事を許していないのだろうか?

 スーリを見殺しにしたことに?

「じいさん。あんたがカント寺院の尼僧長と街を歩いているのを見たことがあるぜ」とシオン。尼僧長とはマーニーアンのことだ。

「うむ。シオン。影の存在は冒険者と一緒に行動している内は、質量共鳴効果により、シナリオ外の行動が可能じゃ。ただ、それは非常に危険なことなのじゃよ」


 シオンはわしの言葉に聞きいっている。

 こ奴は十分魔術師になる資格がある、とわしは考える。

 隣で熱くなった頭を冷やすために酒をがぶ飲みしているドームは残念ながら駄目だ。

 わしも随分とドームには色々な事を判り易く噛み砕いて説明して来たのだが。

 結局、ドームはわしに反発して戦士になりおった。それも第一級の。ここに来て初めて、わしの目論見は見事に成功したわけだ。戦士のファイサルがいなくなってからのパーティの戦力低下をやっと埋められたのじゃ。

 冒険のパーティはバランスが取れていねばならん、わしの様な超一流の魔術師にはこれも一流の戦士が組むのが正しい。そうじゃろう?

 ファイサルが死んだりしていなければ、最後まであいつと組んでいたじゃろうなあ。もしそうしていたら、ドームは何になっておったじゃろうか?


「危険?」シオンが聞き返す。

 わしは、はっ、と現実、いや、ウィザードリイの疑似世界に戻った。

「危険なのじゃ、それは。とてつも無く。

 いいか。もし、その散歩の途中にマーニーとわしが同時に他の事に気を取られれば、その瞬間に質量共鳴効果は消える。

 この効果は意識を向けているかどうかで変化するからの。

 質量共鳴効果が消えれば実効質量は数千分の一から数十万分の一となる。シナリオ摩擦効果の影響はそれに反比例するから、マーニーは瞬時に蒸発するじゃろうよ」

 シオンの顔に理解の色が広がる。一瞬の気も抜けないデートというものがどれほどの苦行かが判ったのじゃろう。

「シナリオ摩擦効果ってのが良く判らないな」ドームがつぶやく。

 わしは喜んで説明を始めた。

「お前は戦士じゃ。ドーム。戦士は戦うことが本質じゃ。知性は不要。だから、こういう魔法学に関する話をしているとお前の頭は熱をおびる。戦士としてのシナリオに反するためじゃ」

 ドームはまじまじとわしの顔を見つめた。まるでわしが大嘘を言っているかのようだ。

 信じるが良い、ドーム。わしがお前の教師じゃ。

「シナリオと言うのはの、ドームや。

 世界の変化していく道筋の中でももっとも抵抗の少ない道の事じゃ。

 地面にこぼれた酒がもっとも低い位置へ流れるようにの。それに反して動く場合には抵抗は大きくなる。それ故に対象の物体は熱を帯びるのじゃ。

 この熱は魔法的実効質量、つまり真の質量に影響する。影の存在はララの神のような大物を除いて真の質量は小さいから、結果として瞬時に蒸発することになるのじゃ」

 ドームの目が閉じた。

「こら、ドーム。寝るんじゃない」

 まったく、こ奴と来たら。

 ドームの目が開いた。

「キリア。で、旅がどうしたって?」


 やれやれ。わしは深い溜め息をつくと話を続けた。


 旅に入って二日目。見習い僧キリアは荷物を一つ落した。

 キリアの一挙手一挙動に命掛けの興味を払っていた僧院長が寄って来て、どうしたと尋ねた。落したのはキリアの髪の一房である。

「髪?」

「髪じゃ。カント寺院においては冒険者の髪は貴重な品なのじゃよ」

 僧院での冒険者の見習い僧は皆、髪を長くしている。何故か?

 それはカント寺院に安置されている冒険者の死体を繋ぐためなのである。

 冒険者の死体は大概がばらばら死体だ。剣に刻まれたものもあれば、獣に噛みちぎられたものもある。問題の焦点は冒険者の切断された腕一本でも、カント寺院自体より真の質量が大きいということなのだ。

 冒険者が去った後のカント寺院は幻によく似たものに変わる。存在のギリギリの線にまで落ちると言ってよい。そしてその幻の中を冒険者の死体の断片は動き回る。死体のかけらの周りを幻となったカント寺院が渦巻くというのが正解じゃな。

 最終的にはカント寺院中に死体の断片が漂うという奇妙な状況に陥ってしまうのじゃよ。

 そのため冒険者の死体は運ばれるとすぐに、これも冒険者の髪で作られたロープで一つに繋ぎ止めることにされた。

 冒険者の髪のロープはカント寺院では貴重品だと言う理由はこういうわけじゃ。

 トレーボー城に向う目的も一つにはキリアの髪の房を届けるためだったのである。その肝心なお届け物を落としてしまったのでは、目的の半分も達成できない。それで僧院長はキリアをひどく叱った。

 余りにもひどく叱ったので、まだ純朴だったキリアは、もしや落した髪がどこかに落ちていないかと、残りの旅を地面を見て歩くことに務めた。

 その努力はむくわれた。

 旅の最後の日、遂にキリアは自分の髪が地面に落ちているのを見つけた。自分の髪を縛った特徴ある結び目は見間違えようのないものだった。


「ちょっと待ってくれ、じいさん。リルガミンの近くで落した髪が、トレボー城の近くで見つかったのか?」シオンが驚いたように尋ねた。

「そうじゃ。問題はそこじゃ。わしは長い間考えた末、一つの結論に達した。

 すなわち、リルガミンとトレボーの街は同じ物なのだと。

 ギルガメシュの酒場、カントの寺院・・重要な建物はそっくりそのまま、同じ形でどの街にも存在する。まれには酒場で飲んでいる冒険者さえ、同じこともある。こうしてわしは世界の構造に大きな疑問を抱いたのじゃ」


 キリアの疑問に当時の僧院長はこう言った。

「キリアよ。お前の考えは邪道だ。お前の心には狂気の神ニルギドが入り込みかけている。祭壇でざんげし、夜の勤務を二週間続けるように」


「ニルギド? モルゴドに名前が似てるなあ」ドームがつぶやいた。

「そうじゃとも、ドーム」わしは言った。

「狂気の神ニルギドの方が本体なのじゃ。狂える愛の神モルゴドは狂気の王ニルギドの化身、つまり共鳴体にすぎん。他にも野望の神ナルガドなども存在するのじゃ」

 ドームは押し黙った。また難しい話になると思ったのじゃろう。うむ。ドームの口を塞ぐにはこれが一番。

 わしは話を進めた。

「二週間の夜番の間、わしはとっくりと考えた。それからわしは当時まだ見習い尼僧じゃったマーニーに別れを告げると、僧院を飛び出したのじゃ。

 僧院長は随分とわしを引き止めようとしたよ。

 何せ、わしは見習いとは言え、その若さですでにレベル7までの僧侶呪文をマスターしておったからのう。簡単に言えば天才だったわけじゃ」

 よしよし、ここで疑惑の目を向ける奴はいないな。わしは少し気分が良くなった。


 街の周囲を当てもなくまっすぐに進んでみるというわしの試みは、一か月かけた挙句に失敗に終った。どこまで行っても同じ風景が続き、気がつくと見なれたリルガミンやトレボー城にたどりつく。

 わざと地面に落した髪の毛の房は、どこへ行ってもやっぱり見つかった。

 それでついにわしは結論した。目に見えるこの風景、この世界は偽物だと。

 わしの行く所行く所、新たに風景が作られるだけで、その実、わしは短い範囲をぐるぐる回っているだけなのだと。

 目に見える物が全て幻だとしたら、一体どうやって世界の果てに行けるだろう?

 この街から実際に遠く離れるには、どうすればいい?

 わしは一端、街に帰ることにした。

 当時も若く美人だったマーニーアンはわしの話を聞き、一言こう言った。

「キリア。測距器って知ってる?」


 わしの工夫は次の様なものだ。髪を細く繋いだものを作りそれで一定の距離を計る。

 こうして計ったもっとも長い位置に髪を設置し、そこと前の拠点を元に新しい位置を割出すというものだ。いわば目印を使った長い長い直線を引いているわけじゃ。

 結局はこうしても少しづつ軌道がずれるのは防げない。測定の誤差があるためにな。そして最終的には大きな輪を描いて戻ってくることになる。

 しかしだ、その輪は無暗に歩くのに比べれば非常に大きい輪となる。だから今までよりもずっと遠くに行くことができる。

 取り敢えず、わしはそれを試すことにした。


 今ならば、この方法の欠点は判る。髪で細いロープを作り、途中の道の全てにそのロープを張るのならばともかく、実際には自分の立っている大地自体が幻の様に揺れ動くので、迷子になる可能性が非常に大きいのだ。

 新たに測ったはずの土地が勝手に動くとすればどうして迷子にならないわけがある?

 その通り、わしは迷子になった。もっともその時は気付いていなかったが。

 とにもかくにも、わしは街から遠く離れることには成功した。

 そして遠からず、世界の淵に到達したのだ。


「ドーム、お前も見たじゃろう。船の下に映る大地を。あの端にわしは立ったのじゃ」

「良く世界の果てから落ちなかったな、キリア」

「ちゃんと、地面にわしの髪のロープを結んでおったのじゃよ」

「役に立ったのかい?」

「落ちなかったから良かったが今考えるとぞっとする。

 ロープ自体は冒険者起源の物じゃから消えないとして、それを結んだ岩の方はわしの意識がよそを向けば消える理屈じゃ。

 あのとき、世界の淵へ落ちていたら、今頃はまだ虚空の中をさまよっていたじゃろうよ」


 まあそういうわけで、わしは世界の果てで、星空を見出したわけだ。この足の下に。大地の果ての下には何もなく、ただ虚空が広がっておった。

 それでも世界は何の疑問も無く存在しており、奇妙な形であるがそれを説明する法則がなにかあるとわしには思えた。

 太陽が消えるのを見るまでは。

 そうだ。

 世界の果てから、さらに下に降りた太陽がいきなり消えるのを見た時は心底ぞっとしたものだ。


 僧院では太陽はただ魔法の力で燃える巨大な火の精であると教えられていたからな。

 それが大地の周りをぐるぐると回ると。一端地下に降りた火の精は大地の底の抜け道を通って反対側に戻り、その時に火の精に触れた岩石が火山になるのだと。

 僧院ではそう教えられていた。

 だが、わしの足元にあるのは無限の大地では無く只の深淵があったし、太陽はわしの目の前で消えた。

 もし太陽が火の精ならば、何故消える?

 火が消えるということは火の精が死んだということだ。

 それだけ巨大な火の精が一日ごとに生まれたり、消えたりするのか?

 それは不可能だ。精霊の召喚に必要な魔力は想像を絶する。特にこの大きさの精霊は。それほどの魔力の消費が地上で探知できないわけがない。


 こうして、わしは世界の構造に深い疑問を持ったのだ。

 僧院での教えは明らかに間違っていた。

 その時、わしは魔術師に転職することを決意した。


 神の力を借りることで魔法を行う僧侶では、神の秘密を暴くことは原理的に不可能だ。

 自分の秘密を暴かれるために力を貸す神が一体どこにいる?

 世界の原理を利用し、ねじ曲げて使う魔術師になることのみが、わしに残された道だった。


 その瞬間、世界は暗闇だった。

 太陽が消えてしまった後、星の光は余りにも弱く、月はまだ登りもしていなかった。

 わしの心もそうだ。全ての世界観が根本から砕け散り、絶望と空虚の暗闇の中にあった。

 だが、現実は少し違った。

 暗闇の中に小さな灯りが見えた。地上にだ。

 わしは世界の淵から足を踏み外さないように、そろそろとその灯に向けて暗闇の中を這って行ったよ。そこに全ての救いがあるような気分になって。

 そして、ゴーモーノーンの封じられた壷を見つけた。

 壷は真っ赤に焼けていた。わしに見えたのは、その熱による光だったのだ。

 赤く光る壷の表面には奇妙な文様が見えた。恐らくは封印魔法陣の一種とわしは見て取った。その当時は、まだ魔法には詳しくなかったのだ。魔術師になったのはその後なのでな。



 壷の中からは微かに声が聞こえて来た。

 若きキリアは壷に呼びかけてみた。「誰かいるのか?」

 壷から聞こえていた声がピタリと止まり、少しの沈黙の後に大きな叫び声が壷から放たれた。

『そこに誰かいるのか?

 そこに誰かいるのか?

 お願いだ。わしをここから出してくれ。

 お前の願いはなんでも叶えよう』

 恐ろしく美味しい言葉だ。だが、若いとは言え、キリアは軽率な人間では無かった。

 多少の狂気に因われてこそはいたが。

「お前は誰だ。それに何故、壷に閉じ込められている?」

 壷の中の声はその問いに答えた。声はだんだんと落ちついては来たが、その中に篭る焦燥は消えていない。

『わしは炎の魔神ゴーモーノーン。

 かってその昔、根源の神々との争いに破れ、この壷の中に封じ込められた。

 お前が誰かは知らない。だが、この孤独な魂を、哀れと思って出して貰えないだろうか?

 もう長い間、ここには誰も来なかった。

 お前が行ってしまえば、これから先も、もう誰もここには来ないだろう。

 頼む、出してくれ。お前の願いを可能な限り叶えてやろう。約束する』

 キリアはごくりとつばを飲んだ。一つの冒険がうまく行った者の常として、キリアもまた自分の成功に酔っていたのだ。信じられない幸運が自分のために次々と用意されているという考えがキリアの心に忍び込んでいた。

 狂気の神ニルギドの力だ。

 いや、野望の神ナルガドか?

 世界が秘密を持っていることが明らかになったまさにその時に、その秘密を解く鍵が目の前に提示されている。まだ、若いキリアはその状況の出来過ぎに気付かなかった。

『魔神は一度約束したことは守らなくてはならない。

 こう見えても、私は壷から出さえすれば、大した力を持っているのだ。

 お前に偉大なる魔法の力を授けてやろう。

 財宝でもいいぞ。天地開闢の時に隠された莫大な財宝の在り家を俺は知っているのだから』

 魔神の言葉はキリアの心を捕らえた。

 余りにも、都合の良い言葉。自分の弱点をさらけ出す言葉。誠実そうに見える約束。

 勿論、魔神に約束を守る意志が無いのは明らかだ。約束を守るつもりが無いからこそ、気前の良い約束ができる。若いキリアにはそれが思いつかなかった。


 魔神は約束を破れないのか。

 壷から出して、もし危なければ、また壷に戻せばいいや。


 キリアは自分に言い聞かせるかのようにそうつぶやいた。魔神は約束を破れないと言う言葉も、当の魔神自身が放った言葉だと言うことをキリアは都合よく忘れていた。

 確かに魔神は約束を破れない。

 自分より強い神の監視の元では。

 しかるべき魔法陣による契約の元では。

 単に壷から出しただけでは魔神を縛ることは不可能だともしキリアが知っていれば。

「どうすれば、お前を出せる?」キリアは聞いた。

「壷の蓋の紋章に沿って指を動かしてくれ。それで蓋は開く」

 壷の声は落ちついて来た。勝利を確信しているのだ。

「出してやろう。その前に私の願いを聞いてくれると約束して欲しい。私の安全も」

 キリアは慎重に言った。

「約束しよう。お前は安全だし、お前の願いも好きなだけ聞き届けよう。私の力の及ぶ範囲でだが」

 キリアは少し考えた。うん、よさそうだ。

 壷の熱はやや納まっていた。

 キリアはそっと壷の蓋の表面に刻まれた紋章の形に指を動かした。

 キリアの指の動きに合わせて蓋が回り、そして。

 蓋が弾け飛んだ! キリアの右手とともに。

 壷の中から吹き上がる炎が宙に伸び、巨大な炎の巨人へと変わる。

 キリアの麻痺した右手に激痛が戻り、焼けた切り株の様になった右手をキリアは押さえた。

 思わず唱えた完全治療呪文マディがキリアの右手を急速に回復させる。焦げた右手にみるみる内に新しい手が形成され、それと同時に宙に飛んだ焼けた右手のかけらの方は塵と変わり消え去った。

 マディ呪文は人間の身体を構成する本体であるオーラを原型に肉体を修復する。極端に言えば、肉体の断片とオーラさえあれば、全身を修復可能なのだ。

「約束が違うぞ!」

 キリアは叫んだ。死の恐怖と共に。

「安心しろ。お前の安全は保証するぞ」ゴーモーノーンが馬鹿にするかのように笑いながら言った。

 まるで息を吐くかのように嘘を口にする。

「死んで貰うぞ、チビ助。お前のような虫ケラにこの俺様が従うとでも思ったのか?」

 ゴーモーノーンが鋼鉄をも溶かす燃える炎の手を上げ、キリアの上に振り降ろした。




「それで・・・それで、キリア。どうやってゴーモーノーンを?」

 ドームが聞いた。手にした酒を忘れて、いつの間にか身を前に乗り出している。

「それだけじゃ」わしは意地悪く言った。

「それだけって?」とこれはシオン。

「それだけだ。わしはその時、余りの衝撃に気を失ったのじゃ。

 目が覚めて見ると、近くの岩にゴーモーノーンの言葉が古代魔法語で刻まれていた。

 ゴーモーノーンの署名と呼出し方法じゃ。一回だけ召喚に応じるとな。

 そしてゴーモーノーンは召喚に応じた。もう、奴の助力は当てにできない」

「しかし・・しかし・・キリア」

 シオンが重ねて尋ねた。

「一端は約束を破り、じいさんを殺そうとしたんだろう?

 どうして、また、約束を守る気になったんだ?

 ゴーモーノーンは・・・」

「わしには判らんよ。シオン。きっと、またいつの日にか壷に封じられる時を思い、約束を破ったと言われるのを恐れたのかも知れん。

 そんな噂が流れれば誰もあ奴を壷から出そうとはせんだろうからな」

 ドームもシオンも、そして残りの面々も不満気だった。わしだってそうだ。

 ここで大冒険活劇を話すことができたら、どれほどいいだろう?


 まあ、良い。後は月への旅を考えるだけ。

 ゴーモーノーンはいない。

 ドームの剣の力も当てにはできない。

 さて、わしは一体どう動けばいいのだろう?




 キリアのそんな思考のつぶやきを聞きながら、私はそっと笑った。キリアの頭の中で。いや、正確に言えば、キリアの心と直結している、この神のための暗黒空間で。


 あの時、炎の魔神ゴーモーノーンの振り降ろした腕を止めたのは私だ。


「ニルギド! 貴様、何故、邪魔をする」

 事態に付いていけないゴーモーノーンは叫んだものだ。

 奴の混乱が少しだけ、私の好む狂気の色に染まった。

「久しぶりだな。ゴーモーノーン。悪いが、この男は私の臣下だ。

 傷付けるのは止して貰おう」

 私はにこやかに微笑んで言った。

「それに、もう一つ。この者との約束も守って貰おう」

「誰がそんなこと。いいだろう。お前と戦うのは久しぶりだ」


 ゴーモーノーンは私に戦いを挑んで来た。

 この世界が出来た時ならば、奴は私と互角だったかも知れない。

 当時は世界には原初の炎が満ち溢れていたから。

 だが、今の時代では・・ゴーモーノーンは私の敵では無い。今は世界に炎の代わりに狂気が満ち溢れているときだから。

 私は奴の放った炎をあっさりと消し去った。ゴーモーノーンの顔が驚愕に歪む。

 奴も馬鹿では無い。これで力の差が判っただろう。これ以上無駄な戦いをしても魔力の無駄になるだけだ。神というのは計算高い存在なのだから。

「ゴーモーノーン。お前をここで滅ぼすことは手易い。

 だが、生かして置こう。キリアとの約束は守って貰うぞ」

 そこまで言って、私は考え直した。それほどの力をキリアに渡すことは無い。

「いや、一回だけキリアの召喚に応じてくれれば、それでいい」

「何故、お前が・・狂気の神ニルギドともあろうものが、人間の味方をする?」

 降伏の意志を言葉に載せて奴は私に尋ねた。神の言葉は人間の言葉よりも内容が豊かだ。

 私は正直に答えることにした。

「ゴーモーノーンよ。お前は世界の創造のすぐ後に封じられたので知らないだろうが、この世界の人口はわずかに二十人だけなのだ」

 奴の顔がまた歪むのが、私には楽しめた。

「そして、キリアは私の大事な臣下なのだ。彼の持つ、世界の秘密を知りたいと言う押さえがたい狂気は、やがて、この世界自体を揺るがすことになろう。

 お前が我にかなわないわけが判っただろう。ゴーモーノーン。

 お前には崇拝してくれる臣下はいない。我には少なくとも一人はいる。

 零は一には勝てない。勝てると思うのは・・・」

 私は高らかに笑った。

「狂気を秘めたる者だけだ。ゴーモーノーンよ。汝も我の臣下になるか?」



 キリアの動きは私が予想したのより遥かに良い。彼の狂気は他のパーティにも、そして、この世界を作り上げている影達にも広がり始めている。


 世界の終りは近いだろう、そう、キリアが夢を見続ける限り・・・

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