10 最高の一足
第21話
本当は、駅前で待ち合わせをして、靴の入った紙袋だけ渡して終わろうと思っていたんだ。
でも、君の笑顔が眩しくて。もっと見ていたくて。
なんだか、離れがたくなってしまったんだ。
彼女が死んだ瞬間を直視した時、俺は深い穴に落ちていく気分を味わった。
一瞬、脳が理解を拒む。次に、全身から血の気が引くような冷たさを感じる。そして、視界が何も映さなくなり────
その日は十二月の二十四日、クリスマスイブだった。
渡すものがあった。俺が靴職人として独立できたら渡そうと思っていた靴だ。
本当はもっと早く渡せるはずだった。しかし、幸運にも俺の作る靴は世間に受け入れられ、ちょっとしたブームになっていた。
実のところ、何がそんなに人気となったのかは分からないのだが、とにかく仕事が忙しくなりこんな季節までずれ込んでしまった。
俺はいつものように彼女と遊びに行く約束をした。クリスマスイブというのは、少し誤解させる……というか、彼女にも予定があるだろうと思っていたのだが。
これまた幸運にも、彼女は予定が無かった。彼女もいつものように、二つ返事で俺の我儘を聞いてくれた。
「楽しみだなあ、歩のクリスマスプレゼント! てか、ここで開けちゃ駄目?」
「やめてくれ……。ここで開けられるのは恥ずかしい。開けるなら、もっと人がいない静かなところでしてほしい」
雪の降る街を、二人で歩く。
天気予報が外れた急な大雪だったが、クリスマスという雰囲気は出ている。
彼女は、俺が渡した紙袋を大事そうに抱えながら、一回転してみせた。
今日は人通りがとても多く、本当に賑やかだ。行き交う人々は厚手の格好をしながら、笑顔で隣の恋人、家族と話している。
だが、こういうお祭りごとは好きじゃない。人が多すぎて、窮屈だ。そもそも外に出ること自体が嫌いなのだ。
しかし、彼女は楽しそうに笑っている。……たまにはこういうのも悪くはないか。
「そっか。じゃあ私のクリスマスプレゼント、これは最後に渡そうかなー」
別に俺は、クリスマスプレゼントとしてその靴を贈ったわけではないのだが。
しかし彼女も、俺に贈りたいものがあるらしい。お互いにどうしてか気が合い、だからこそこんなに関係が続いている。
彼女は、ケーキ屋に列を作る人々や、呼び込みのサンタ服の店員を見ていた。
そして、俺の肩に手を置く。
「ねえ、いっこ買っていかない?」
「並ぶぞ。しかも、これからまだ遊ぶんだろ? 邪魔じゃないか、ケーキの箱。食べる場所もないし」
「ま、そうだね。歩の家で食べよっかなーって思ったんだけど」
何故に俺の家。まさか、押しかけてくるつもりなのか?
それは非常にマズい。今、家の中は大変に乱雑なことになっている。とても人に見せられる状態ではない。
放っておくと、すぐに部屋が汚くなってしまう。仕事上、工房だけは綺麗にしているが……。俺は掃除も家事も出来ないのだ。独り身なのに。
「じゃあさ、そこのカフェにでも入って、雪見ながら駄弁ろうよ。最近あんまし会ってなかったじゃん? お互い話したいこともあるよね」
彼女の提案に乗り、近場のカフェに入る。ここも人は多かったが、なんとか二人が座る分の椅子はあった。
温かいコーヒーを注文する。外気で冷えた体に、熱い飲み物はよく染みた。
そこから何を話したんだったか。よく覚えていないのはきっと、他愛もない日常の事とか、やけに忙しい仕事の事とかを取り留めもなくぼやいていたからだ。
彼女は、いつもの素っ気ない返事と、近況について教えてくれた。彼女はファッションデザイナーとしてデザイナー事務所に就いていたのだが、職場の人間と気が合わなくて辞める予定だとか、再就職先は考えてあるとか、そんな話だった気がする。
一つ確かなのは、その時間がとても楽しかったということ。
とても久しぶりに笑ったし、落ち着いた。誰かといてこんな気持ちになるのは、彼女とだけだった。
「でも、いいのか? 人気のデザイナーが急に仕事を辞めるなんて」
彼女の手掛けた服は、日本のみならず海外でも注目され始めている。
女優や芸能人なども彼女がデザインした服を着て、派手にコマーシャルなんてやっていた。俺みたいな素人から見ても、彼女のデザインは素敵で、人気になる理由も感じられる。
「デザイナーを辞めるわけじゃないよ。周りがちょっとうるさくて、ただ、所属を変えるってだけ。……ふふ」
何が可笑しいのか、彼女は微笑む。いつになく上機嫌なようだ。
「じゃ、お会計よろしく~。私、ちょっとお金なくてさ!」
「全部俺持ちかよ。いいけど、そんなに金がないなんて珍しいな」
カフェを出ると、息が白くなる。
外は雪が積もり、一面の銀世界というのは過度だが、真っ白なベールがかかっていた。
時間も忘れて、かなり話し込んでしまったらしい。日が落ちようとしていた。
「ちょっとデカい買い物しちゃってね。あーもうこんな時間かぁ」
二人で、駅前の大きな横断歩道の前で信号待ちをする。
彼女は変わらず、俺の渡した紙袋を両手で抱えていた。俺が持とうかと言っても、自分で持てると言うばかりだ。
「ねえ、コレさ、中身はどんな靴なの?」
「…………秘密だ」
贈り物の中身など、とっくに見抜かれていた。俺が渡せるものは靴しかないと、彼女も分かっているのだ。
「んん~、早く見たいなぁ、天才靴職人さんの新作!」
「やめろ。俺はそんなんじゃない」
世間は俺にそういった肩書を付けたがるが、実際は全然違う。
俺は天才なんかじゃない。ただ、ひたすらに靴を作り続けた結果、技術が上達していったというだけだ。
それに、俺より素晴らしい職人なんてごまんといる。俺を天才と呼ぶのは、彼らに失礼だ。
「そうだよねー、歩は努力家の類でした。早く見たいなぁ、努力家靴職人さんの新作!」
無言で白いため息をつく。時々、彼女に心を読まれているような気がする。
信号が青になる。俺たちは並んで歩き始めた。
「と、いうわけで……。これから君の家にお邪魔してもいいかな?」
「なんでそうなる……」
隣に顔を向けると、彼女と目が合った。
彼女はにんまりと、まるで小悪魔のように笑った。
「ほら、靴履いてみたいし。君も、自分の作った靴を履いた私を見たいんじゃないの? それに今日はぁ、既に泊まり込みの準備をして来てるんだ」
「お前なぁ……。勝手に────」
勝手に一人で話を進めるなよ、と言おうとした。
そこから先の言葉は、彼女には届かなかった。
耳をも破壊するブレーキ音。
道路と擦れる金属音。
人々の悲鳴が合わさり、不協和音の合唱が場を支配する。
信号は青なのに。大雪でスリップした大型トラックが、横転しながらこちらに滑り込んできた。
あまりにも突然なことに、反応できない。
俺は目の前に押し迫る死を、ただぼうと見つめていた。
「歩!」
ドンと、紙袋を押し付けられながら、俺の身体が突き飛ばされる。
死は俺を選ばなかった。
隣にいたはずの彼女を押し潰し、何かを砕いていく音を響かせ、トラックは血痕を引きずりながらゆっくりと止まった。
外の悲鳴やら騒音やらが聞こえなくなり、俺は目を開けていながら、目の前の現実を見ていなかった。
血を吸った雪で赤く染まった道路と、手元の紙袋を交互に見る。両手が震え、汗が流れ、俺は立ち上がる事さえ忘れて。
そのうち息も出来なくなり、俺の意識は降りしきる雪の中に消えていった。
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