9 みにくいケモノの子
第17話
外は天気が悪く、そろそろ太陽が見えてもおかしくない頃合だったが、ただ冷たい空気と暗闇だけが世界を支配していた。
街は兵士たちの慌ただしい足音に包まれ、港では海鳥が甲高い声を上げて喚き始める。銃を持った兵士たちに、漁師たちはたじろいでいた。
住人たちは眠りを妨げ寝床に侵入してくる兵士たちに怒号を浴びせるも、邪魔をした者は銃床で打ちつけられ、地面に倒れ伏すことになる。
ここは俺の知っているクランクではない。まるで世界に終わりが来たようだ、というのは大袈裟だろうか。いや少なくとも、俺の世界は存亡の危機だった。
彼ら兵士は、それを容認する王は、明らかにおかしい。年を取り迷信を恐れ、白い獣の子が国を亡ぼすなどという世迷言を信じた。そんなわけがないと少し考えれば分かることだ。領主も親っさんも信じてやいない。
だが王の命令により兵士は動き、徒党を組んで獣を撃つのだろう。それだけはなんとしても避けたい。
夢守は兵士を数人の組ずつに分けて、街中の家を捜索している。俺は兵士のいない小道へと移動し、ユーティカの名を叫んだ。
少し霧さえ出てきている。視界不良の中、俺は走って彼女を捜す。
彼女はこれに先んじて気づき、そして俺にも黙って姿を消したのだ。俺を巻き込まないために。
だが、まだ遠くへは行っていないはずだ。彼女はきっと怯えている。泣いているに違いない。
なぜなら、決して彼女は王国に不和をもたらすような迷信の獣ではなく、ただの一人の女の子なのだから。
細い路地から出て、大通りに戻る。ちらほらと兵士が見えるのみで、出歩いている住人はもういない。
かつての祭りの名残もどこにもない、ひっそりとした長い道だ。
空はますます暗くなり、立ち込める雲が今にも水を零しそうだった。
ユーティカは一向に見つからない。焦燥感だけが胸の中で加速する。こうしている間にも、彼女がどこかで撃たれてしまうかもしれない。
物静かな街の中を、馬の駆ける音と車輪が轍を作る音が聞こえる。霧を裂き、それは俺の眼の前を通り過ぎていった。どこかで見たような馬車だ。
かと思えば、少し離れたところでその馬車が止まった。中から黒い外套を羽織った少女が降りてきて、俺に向かって走ってくる。
「あなたっ! あの子は────ユーティカはどこですかっ!?」
金髪の女の子に詰め寄られ、俺は困惑する。どうしてユーティカのことを知っている? そもそも君は誰だ?
彼女の後ろから、追うようにして黒い礼服の老紳士が歩いて来る。彼はたしか、アロゲンという領主の遣いだった。ということは……?
「お嬢様、落ち着いてください。キッカワ様に迷惑ですよ」
「ああ、ごめんなさい。あなたと直接会うのはこれが初めてよね。私はフレデリカ・フレドラン。父、フレイド・フレドランがお世話になりましたわ」
目の前のこの子が、あのでっぷりとした領主の娘だと言うのか。アロゲンが付いていなければ信じられないほどに似ていない。共通点なぞ、髪の色ぐらいのものだ。
そういえば、ユーティカから話だけ聞いたことがある。領主の娘と仲良くなり、コンフェイトなる菓子まで貰ったとか。
かつての世界にもそっくりなものがあった星型のそれは、とても甘く、脳がすっきりとした。この世界であのような甘味は貴重なものだ。
「ああ……。俺はキッカワアユム、改めて挨拶しよう。ユーティカと仲良くしてくれたらしいな──っと、それどころじゃない! ユーティカが消えた! 夢守とかいう兵士たちが彼女を捜してる!」
「ええ、私たちもこの騒動で彼女が心配になり、こうして店まで駆けつけようとしたのだけれど……。あなたの傍にいないなんて、あの子はどこに行ったのかしら! あなた、心当たりとかないの?」
心当たり────
どこだ、ユーティカはどこへ行った? 怯えた彼女が身を隠すとしたら、どこにする? 俺の店以外に、彼女が安心を得られる場所があるのか?
考える。時間はないが、そもそも該当するような場所は数えるほどしかない。
俺ならどうするか。一人きりでどこに行くのか。
あった。
街から離れた、誰も寄り付かないような、それでいて彼女が知っている場所。
この近辺に留まっているなら、そこしかない。もしもっと遠くへ逃げ出していたのなら、俺が追い付くのは不可能だ。
ここは僅かな可能性でも縋るしかない。俺は港と反対方面へ走り出した。
「ちょっと! 居場所が分かったのなら、馬車に乗りなさい!」
街を包んだ白い海の中を、馬車が走り抜ける。
二頭の馬は人間を乗せた箱を引きずりながら、人の足よりも格段に速いスピードで街を駆けられる。
「街はずれの山……でいいのですね? 視界の悪いこの霧です、すこし時間がかかりますが……」
箱の中では、ソファに座って俺とフレデリカが向かい合っていた。
アロゲンは自分で御者をしていて、ここにはいない。
「領主さんたちの権限でも、あいつらは止められないのか?」
「無理、ですね。彼らが王の言葉そのものである以上、王の家臣である我らに逆らうことは出来ません」
俺はため息をつき、ソファに背を預ける。どうしようもない現実。覚めぬ悪夢。人はこういうものを、理不尽だと言うのだろう。
世界は常にそれで満ちている。人が死ぬのはいつも、理不尽に溺れた時だ。
「じゃあ、この行為はどうなんだ。白毛の獣人を捜す……それは、王に背く行為なんじゃないか?」
「────私は、愚か者の味方はしたくありません」
目の前の少女は、その翠色の瞳をこちらに真っすぐと向けた。
年に似合わず凛々しいその姿は、俺でさえつい姿勢を正してしまうほどに力強い。
そして彼女はなんと、自らの王を、はっきりと愚か者呼ばわりしたのだ。
「たしかにこれは背信でしょう。父にも秘密にして出てきました。もし白毛の獣人を匿おうなどとした行為が露呈すれば、最悪私は殺されてしまうかもしれません。だからといってこのような迫害、見過ごしておいてはフレドランの名が廃ります」
ここにいるのは少女ではなかった。彼女はフレデリカ・フレドランであり、いずれ領主フレイド・フレドランの後を継ぐ者だ。
「そも白毛の獣人とは何か。どのような動物や人間にだって、生まれつき色素が薄いということがありえます。獣人はただそれが起こり易いというだけで、国を亡ぼすなどといった愚鈍な迷信には一切の根拠がありません」
淡々とした口調だが、徐々に感情が、怒りが籠っていく。
「科学的な研究により、彼女はただの“アルビノ”であると、そう分かっているのです! どうして誰も知ろうとしないんですか!? どうして白毛の獣人は災いであると決めつけるのですか!? 本当の事なんて何にも知らないくせに、自分の思い込みなんかで……! あの子はただの、女の子なのに……!」
フレデリカは声を大きくして憤った。同時に、震えた声からは無力感も感じられる。
貴族の娘ならば博識であるのか、それとも、外国の学術も聞こえるこの港町ならではの知識なのか。どちらにせよ彼女は、科学的な見地を以て話している。
下らぬ噂を信じ、その真偽を確かめようともしない愚か者を糾弾している。無知のままに声だけ大きい、自らの王に反逆している。彼女は全て、自分の頭で考えている。
「……すいません。声を荒げてしまいました。恥ずかしい所をお見せしてしまいましたね」
そんな謝罪など要らない。
俺はむしろ、その怒りに安心した。ユーティカは決して嫌われ者ではなかった。俺以外にもこうして、彼女の正体を知りながら彼女を好いてくれる人がいる。
この世界には彼女の居場所があった。孤独ではなかったのだ。
その時遠くから、風船が破裂したような一つの銃声が聞こえた。
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