7 感謝祭
第13話
「ねえ、アユム。今日は一緒に外に出ようよ」
朝食のパンを咀嚼していると、目の前の彼女はそう言った。
「なんでまた……。いつもはプレゼントだけで済ましてるだろ」
白い小麦粉の塊を飲み下し、ユーティカに問い返す。
今日が感謝祭の始まりだとは知っているが、興味はない。毎年この時期は感謝祭の贈り物にと靴の注文が増え、感謝祭当日は疲れて家でゆっくりと休んでいるのが定例だ。
「ねー、いいでしょ? たまにはほら、気分転換とかいいんじゃない?」
ユーティカの耳と尾がぴこぴこ動いている。こういったイベント事に関心はなくとも、彼女にお願いされるとどうも断りづらい。
それでも内心は半々だ。仕方ないから外に出ようが半分、面倒くさいから家にいようが半分。特に今日は街に人が多いだろう、人混みは嫌いだ。
「アユム……駄目?」
彼女の耳が平べったく伏せてしまった。全身からガッカリオーラを放っている。
ううむ……、そんな顔をされると困った。どうやら選択肢は無さそうだ。
「わかったわかった、行けばいいんだろ。ここ何週間か外に出てなかったからな。外の空気を吸うのも悪くないさ」
ユーティカの表情がパッと明るくなる。彼女は、早速フードを取って支度を始めた。
俺も立ち上がると、財布だけをポケットに突っ込んで玄関に向かった。
店の外は、まだ朝っぱらだというのに大勢の人々──特に男女の組み合わせ──が通りを練り歩いていた。
道の両脇には感謝祭特有の飾りつけをされた柱が乱立し、感謝祭に乗っかった店の看板にもゴテゴテの装飾がされている。
路肩で楽器を演奏する趣味人。手を絡め合うカップル。大声で客引きをする男。そこらじゅうで焼かれる菓子の甘い匂い。この街の空気そのものがガラリと変わる。
「あー……」
このノリは、かつての世界のクリスマスとかそういうアレだ。嫌になってくる。
俺がこういう祭りを好きになれない理由の一つは、あまりいい思い出がないというのも大きい。
クリスマス。果たして俺は、何をしていたんだっけ?
今や記憶は曖昧となり、過去は遠ざかった。とはいえ分かることはある。かつての世界に生きていた俺は、クリスマスという祭日を酷く忌み嫌っていた。
何か、とても嫌なことがあった気がする。忘れてはいけないはずなのに、何があったのか分からない。だが思い出そうとすると異常な頭痛に襲われ、詮索は断念される。
「ねぇアユム……。手、繋いでいい?」
鶯色のフードを被った獣人が、俺の手を掴む。
出来れば手を繋ぐなどといった行為はしたくなかった。そこら中を歩いているカップルたちの一員になるようで、嫌なのだ。
……別に、俺とユーティカはカップルではない。ではないが、周りからはきっとそう見られてしまうだろう。それは大変困る。
「駄目だ、駄目。そんなことせんぞ」
右手を振り上げ、彼女の手中から引き抜く。
感謝祭の日に外に出るという行為で、既に俺は妥協しているのだ。ユーティカの頼みでも何回も聞けるわけじゃない。
獣人の女の子は、口をとがらせて怒り顔になる。よく見ると顔が赤い。そんなに怒るところか?
彼女は無言で俺の腕を掴もうとしてきたので、ひょいと身体を動かして彼女の手を躱す。何度か繰り返すうちに、どうやら諦めてくれたようだ。
「もー! いいじゃんちょっとぐらい、ケチ!」
悪かったなケチで。とにかく、駄目なものは駄目なのだ。絶対に手なんて繋がないぞ。腕も組まない。
俺は喚く彼女を後目に大通りを歩き始めた。
「あ、これおいしー!」
大通りは屋台でいっぱいだ。珍妙な食べ物から、現代でもよく見たイカ焼きなどのお祭り定番の物が売っている。
不機嫌そうだったユーティカも、いい匂いのする屋台のものを片端から喰わせると大人しくなった。今はたい焼きのような菓子を口いっぱいに頬張っている。
それはもうバクバクと。俺の財布の中身もどんどんと喰われていく。使い道などないのだから、好きなだけ喰ってもらって構わないが、それにしても放っておくといくらでも食べるな。
一方、隣を歩く俺は何も買い食いしていない。彼女ほど食い意地は張っていないし、そもそも俺は男の平均と比べ遥かに小食と言ってもいいだろう。
朝食は食べてきたのである。それにこんな屋台で喰う間食よりも、ユーティカが作ってくれた食事で胃を満たす方がよっぽど良いというものだ。
「ね、アユムも食べる? 中にね、お魚が入ってるの!」
突然横から、半分食いかけの焼き菓子……のようなものを突き出された。
焼かれた生地の間に、小魚が丸々一尾入っていたらしい、中々に大胆な食べ物だ。小魚は今や、断面しか見えないが。
というか、甘い菓子ではなかったのか……。たい焼きに鯛は入れないぞ。普通。
いらん、と断ろうとする。が、彼女は左手で俺にたい焼きモドキを差し出しながら、既に右手に持った別の菓子を頬張っていた。
仕方なく菓子を受け取り、一口食べてみる。しょっぱい。
そんなこんなで、ぶらぶらとする。俺が目的をもってこの祭りに参加しているわけではないため、特にやることもない。何かめぼしい物でもないかと適当に街を歩いているだけ。
ひたすらに並ぶ屋台の列、列、列。そしてそれに群がる人の海。屋台の商品が何か見るだけでも大変だ。
ふと、人々の隙間から何か輝くものが見えた。興味を惹かれ、海に割って入る。
それは木靴だった。至って簡素な、木からくり抜かれた一体型の履物。
ただしその造形はとても優美な曲線を描いている。側面に刻まれた細やかな花模様、人間の足の起伏を掌握したなだらかな中底。
恐ろしく高い技術で作られており、いい意味でこの安値の値札と釣り合っているとは思えない。
隣には革靴も並んでいた。つい手に取り、その爪先から踵を上から下からくまなく観察する。
一分の瑕疵もない、というわけではない。正確には少し歪んでいるし、完璧とは言えない。なのにこの靴はどこか温かく、とてもいいものだと感じる。
悔しいが、俺にはこれほどの靴を作ることは出来ない。何だ? 何が違う? どうしてこの靴は、こんなに輝いて見える?
「おい、あんまベタベタ触んじゃねーぞ」
声を掛けられ顔を上げると、そこにいたのはパイプを咥えた親っさんだった。いつものように、帽子も被っている。
親っさんは歯をむき出しにしてニカリと笑った。
「はは、通りで。こんな靴を作れるのは親っさんしかいないと思ってましたよ。どうしてこんな屋台で商売を?」
「趣味だよ趣味。それよりもお前、今日は嬢ちゃんとデートかい?」
「いえ、違います。無理やり連れ出されただけです」
不意に、後ろにいた誰かから左腕を掴まれる。力が強い。
俺がじっくり靴を分析していたら、置いていかれたことに気付いたユーティカが追い付いてきたらしい。痛い痛い、怒りのままに俺の腕を締め付けるな。
「そんなことより親っさん、俺はまだ親っさんのような靴を作れません。どうすれば親っさんのような……いや、親っさんを越えられるような靴を作れるのでしょうか」
「はぁーやれやれ。まったく女心の分からない馬鹿真面目な奴だよ、お前は本当に」
親っさんはぼやきながら軽く頭を搔くと、パイプを口から外しこちらに向き直った。鋭い眼が、帽子のつばで出来た影の中から光る。
「自分の為だけに靴を作るな、アユム。お前の靴は、硬い」
「え……?」
「俺が引退してなおこうして道端で靴を売ってるのはな、街に良い靴を履いた人間が増えればそれが楽しいと思っているからだ。つまるところ俺ぁ、自分の為に靴を作っちゃいないのさ。お前がどうして靴屋なんてやってるのか、考えてみな」
言葉はそれだけだった。親っさんは再びパイプを咥え、あっち行けとばっかりに手を振って俺を追い出そうとする。
『師匠は弟子に全てを教えない。途中までは指導しても、最後の答えは自分で見つけることに意味があるからだ』これはまだ親っさんが靴屋だった頃、俺に言ったこと。
親っさんは十分にヒントをくれた。後は、俺の問題なのだ。
俺はユーティカを腕にくっつけたまま、その場を後にする。
俺はどうして靴を作るのか。昔のことを思い出さなければならないらしい。
ああ、しかし────とても、頭が痛い。
「アユム、大丈夫……?」
腕を掴んで離さないユーティカが、俺の顔を覗き込む。
また心配させてしまったか。俺は本当に、この子に迷惑をかけてばっかりだ。
だがこれは乗り越えなくてはならないこと。霧のかかった記憶を探らなければ、前には進めない。そういう確信が、俺にはあった。
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