第12話
燦燦と輝く太陽の下、クランクの大通りは大勢の人でにぎわっています。
まだ感謝祭まで三日ありますが、既に人通りは普段より多いです。感謝祭のための贈り物を買いに来た人がその分増えた、ということでしょう。
かくいう私もその内の一人。深くフードを被り、耳も尻尾も出さないようにして通りを歩きます。
今日はお店が休みです。休みとはいえ、アユムは変わらず靴を作っているので、休んでいるのは実質私だけなのですが。店頭での販売も依頼の受注も、今日はありません。
休みの日。普段はぐっすりと昼寝をするか、アユムにお茶を淹れてあげるか、靴の材料などを仕入れたりするところ。
ですが今回は特別で。狙いの物を探して市場をうろつきます。
うんうんと悩んで決めた贈り物。ずばり、革です!
革靴には専ら牛の革が使われるのですが、たまにはもっと上等なものか、変わったものを仕入れてみたいと思います。
それがアユムの目指す最高の一足とやらに近づくのかは分かりませんが……。何か、新しい体験により閃きが生まれるかもしれません。生まれるといいな。生まれて欲しいです。
ただ、そんな仕事道具(彼にとっては仕事ではなくとも)を贈るというのもどうなのでしょう。無粋ではないのでしょうか? とはいえ、結局は靴関連の物がいいと考えました。
去年は彼の専用マグカップなどを選んだのです。一応喜んではくれました、一応。ですがやはり、興味が薄いというか素っ気ないというか。
革以外にも何か候補が見つかると嬉しいです。私は通りに出ている露店の棚を一つ一つ、舐めまわすように見ながらほとんどの店を確認しました。
しかしどれも、しっくりきません。また明日来てみようかな、でも休みじゃないな、などと考え大通りを外れた細い路地へと足を運びます。
こちらにはこちらで物を売っているお店があるのですが、商品があまり公にできないものだったり、ずばり盗品であったりと治安も良い場所ではありません。
でも覗くぐらいの価値はあります。いわゆる“掘り出し物”が売っていることだってあるのです。今日は最後に、ここを見て帰りましょう。
日の当たらない裏路地は陰気です。
足元の舗装された煉瓦の道が、何らかの液体で濡れています。蜘蛛の巣が道脇にぶら下がり、何が入っているのかも分からない木箱が並んでいたりします。
表の通りと同じような露店が並んでいますが、内容はやはり劣ります。欠けたような茶碗に、シミのついた服。価格は非常に安いのですが、だからといってここで買うことはないでしょう。
港町クランクは、街の中心から放射状に延びる数本の大通りと、その脇に伸びる中くらいの通り、そして間を埋めるこのような裏路地によって構成されています。それは丁度、先ほど見かけた蜘蛛の巣のように。
暗くよくない噂も絶えない場所ではありますが、外国からやってきた労働者の皆さんにとっては必要な場所のようです。ここには、格安の宿泊施設がいくつもあります。
賃金を求め海を渡ってきた彼らは、手持ちのお金が無いのでそのような宿に泊まり、そして港へ働きに出かけに行くのです。どんな場所にも意味はある、ということでしょうか。
しばらく歩いていると、木箱の上に座った老婆が目に留まりました。老婆はえんじ色のストールを頭に被り、隣の壁には同じような色の布が垂れ下がっています。
老婆の落ちくぼんだ目が私を見つめてきます。私が彼女を見つけたのと同じように、互いに興味を抱き見つめ合います。
「あんた……何用だい? こんな奥まで、何を探しに来た?」
しわがれた声が私を問う。それは人ならざる者が発するような、深い海の底から誘う声です。
「革を……。靴を作れるような、美しい革が欲しいです」
ただものではない気配を感じながら私がそう答えると、老婆は頷きます。
そして木箱から降りると、隣の布に手を当て捲り上げます。布の向こうは壁ではなく、地下への階段が続いていました。
「来な。あんたの望みの物はこの先にある」
階段を下っていく老婆に、私は恐る恐るついて行きます。
長い階段ではありません、すぐに奥まで辿り着きます。そこは、多くの物がぎっしりとひしめき合った狭い地下室でした。
奇妙な文様の大きな棚。謎の黒い物が詰まった小瓶。何らかの骨を纏めた首飾り。固く蓋された壺。使い古された乳鉢。並べられた人の指のようなもの。赤いシミのついた鋏。這いまわるムカデ。
どれもが異様で、異質で、恐ろしい雰囲気をしています。薄暗い灯りが更に恐怖を煽り、どこからともなく見られているような気さえします。
首飾りを見て、獣人に伝わるお守りのことを思い出しました。そういえば、あんなものもあったなぁ。古いお呪いです。
老婆は迷路のようになっている部屋をすいすいと進んで行くので、私も迷わないように足早に移動します。
奥まで辿り着くと、老婆は棚を開けて何かを探します。すると、中から丸まった青いものが取り出されました。
それは革です。ですがそれは深く青い、私の知らない生き物のものでした。なぜだか嗅いだことのあるようなニオイがします。
「これは、海の底に棲むと言われる大きな獣の革だよ。遠い国での漁で獲れたものさ」
なるほど、このニオイは海のニオイでした。しかしなんと美しい色合いの革でしょう。このような革を作れる獣とやらは、さぞ素晴らしい獣なのでしょう。
「ぜひ私に売ってください! 幾らですか? 手持ちのお金じゃ足りないかも……」
「金では売らないよ。対価として要求するのは、あんたの髪の毛だ」
────ああ、そういうことでしたか。
この人は初めから私の正体を知っていたのです。だから声をかけ、ここまで連れてきた。獣人の白い毛を得られるよい機会だったから。
この人は呪い師です。ここにある呪具がその正体を示しています。呪い師について詳しくはありませんが、彼らもまた私と同じように世界から疎まれる身分。いわば同類とも言えるのかもしれません。
「白毛の獣人。その毛はとても貴重で、だからこそ呪術的な価値が高いんだ。ひと房でいいとも、私に譲ってはくれないかえ?」
私は頷き、そばにあった小さなナイフで後ろ髪の一部を切り取ります。
大勢から呪われる白い髪の毛ですが、それでも両親から授かったものですし、日ごろから手入れを欠かさない大切なものです。
ですから少しの抵抗はありますが、これで革と交換できるのなら致し方なし。手に掴んだ髪の毛の束を老婆に渡すと、老婆はにたりと笑い、青い革を私に差し出して来ました。
次の瞬間、慌ただしい足音と共に大勢がこの地下室に入ってくる気配を感じました。それはとても冷たいもので、金属が擦れ合う音も聞こえます。
背筋が震え、急いでフードを被り直します。これは────
「手を上げろ、呪い師! ようやく居場所を特定したぞ!」
彼らは王国の紋章を象った軍服を着た、人間と獣人の混成部隊でした。手に構えるのは長い鉄の筒、銃という武器らしきものです。
この地下室には出入り口となる階段が一つしかなく、兵士たちがそこから入ってきた以上、私たちに逃げ道はありません。しかし何と運の悪い……。
「おい、そこのフード付き。お前も呪い師の仲間か? いや、偶然居合わせた客だな。その老婆は呪い師だ、危険だからすぐに離れろ」
兵士たちの中心にいる、隊長らしき人が私に話しかけます。背を向けていることもあり、どうやら私が白毛の獣人であるとは分かっていない様子。不幸中の幸いというやつでしょう。
正面の老婆を見ると、彼女は震え、なにやらうわごとだけを口にします。怯えているのです。
「夢守……夢守じゃ。おお、なんと無慈悲な……。王国に呪いあれ、王家に滅びよあれ……!」
あの兵士たちが夢守……!
フレデリカ様が私に教えて下さいました、国王の夢見番……。とうとうこの街にもやって来たようです。
私は両手を上げ、背を向けたままゆっくりと兵士たちの方へ近づきます。そして彼らに道を譲るように、身体を端に寄せました。
銃を持った兵士たちは、狙いを呪い師に向けながら隣を通り過ぎて行きます。誰も私の顔を覗こうとはしません。今のうちに階段へ急ぎましょう。
「おい待て。お前、この毛は────」
階段を登ろうと段差に足を掛けたその時、後ろから声が聞こえました。彼は恐らく、老婆が握っていた私の毛を見て、何かを察したのかもしれません。
私は何も答えず、一気に走り出しました。フードが脱げないように頭に手を当て、一心不乱にその場を去ります。
「待て! 追え、あのフード付きだ! クソ、早い……!」
遠い後ろから声が聞こえます。単純な足の速さで、人間は獣人に勝てません。過ごした環境が、種族が違うのです。力比べをしたとしても、人間の成人男性と同等ぐらいの筋力は私にすらあります。
例えその銃とやらから鉄の塊を飛ばしたとしても、この距離の私には当たりません。そも細く入り組んだ裏路地、見通しの良い場所ではありませんし。
角を曲がり追ってくる彼らの視線を外れます。私は狭い通路に向かい合った壁を蹴って登り、そのまま煙突のある屋根まで上りました。これも人間には出来ないでしょう。
一陣の風が、ふわりと私のフードを取り白い毛が解放されます。ここは屋根の上、誰も私を見ていません。私はゆっくりと立ち上がりました。
橙色の果実のような太陽が地平線に沈んでいきます。広大な海がその光を反射し、息を呑むほどに美しい光景です。
海のニオイを湛えた潮風が、私の髪の毛を揺らします。
嗚呼、世界はこんなにも美しいのに。私にはここで生きる権利がありません。
彼らみたいな人間に住処を追われ家族を殺され、自分の命を奪われようとしても。悲しさこそあれ、怒りは湧かず。私はとうに諦めていました。
私はあと何日、彼らに見つからずにいられるのでしょう。
私はあと何日、生きていられるのでしょう。
出来ればもう少しだけ時間をください。獣人が祈る山の神様はここにはいませんが、代わりに温かい太陽に向かって祈ります。
悲劇は二度も要りません。もしその時が来たならば、私はアユムの前から静かに消えましょう。まるで初めから誰もいなかったかのように。
白い毛の獣はやはり、産まれるべきではなかったのです。
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