6 海の獣
第11話
「ふぅん、どれもいい出来じゃないの。これとこれとこれも……買っちゃおうかしら? 妙に安いわね」
店内にはお客さんの姿がちらほら。その中に、お洒落な黒いドレス姿の女性がいました。幼いながらも大人びた雰囲気の金髪の少女、私は知っています。
「ええと……フレデリカ・フレドラン様、ですよね?」
「静かに。いい、他の客にばらさないこと。私はお忍びでここに来ているの」
彼女は領主の娘です。あまり目立ちたくはないのでしょう。お付きの人も、店の前に立っている黒服──アロゲンさんのみのようです。
「街での買い物途中でこのお店を見かけたから、ちょっと寄ってみたのよ。店はどんな感じなのかなって」
店内はさほど広くありません。依頼を受けたオーダーメイドの靴作りが基本で、店頭での販売を中心にはしていないからです。元々ここは工房であり、あくまで店はおまけなので。
ですが、数多くの靴がここには並んでいます。それはもう、木靴から革靴、異国の趣をした靴から私の全く知らない文化の靴まで。置き場が無いので壁にまでびっしりと掛かっています。
見本として手に取っていただき、気に入ったものがあれば、それは依頼という形で注文してもらえればよいと思います。……最近は忙しいので、何週間か何ヵ月かお待たせすることもありますが。
「それにしても、想像以上に変なとこね。これ全部あの人が作ってるの?」
「はい。何から何まで、アユムの手作りですよ」
この足の踏み場もないような靴だらけの空間が出来たのは、アユムが毎日毎日靴を作るからです。これらの靴は本来、失敗作として棄てられるはずのもの。それはもったいないので、私が無理を言ってこうして売らせてもらっています。
アユムはこんな不出来なもので金をとるなと言い、反対気味なのですが。妥協点としてこれらの靴の値段を格安にすることで交渉が成立しました。
「ねえ、そのアユムって人とあなた、どういう関係なの? 恋人? それとも夫婦?」
「え、ええ!? 私は別に違って……その。彼はあまり女性に興味が無いというか、私は今のところただのお手伝いで……」
彼女の口角が上がり、にっこりと笑います。それはまるで、面白いおもちゃを見つけた子供のような────
「まあ、やっぱりそういう関係なの!? ちょっと仕事だけの関係だとは思えなかったのよね。ほら、私と一緒に屋敷でお話ししていたとき。迎えに来た彼の姿を見た途端、あなたすっごい嬉しそうな顔だったし」
そ、そんなに顔に出ていましたか……? どうしましょうどうしましょう、私はただお手伝いとしか言っていないのに、何だか邪推されています。
「だから、私とアユムは恋人などではなく……」
「ええそうね。あなたが片想いしてるんでしょ? 彼は見るからに堅物そうで、まさに職人ーって感じの人だし。ああいう“遊び”の無さそうな人に恋するって大変そう。ね、ね、どうなの? 脈はありそう?」
年若い女の子ながら、ズバズバ容赦なく切り込んできます。呆気にとられ返す言葉も思いつきません。
脈があるかないかで言えば、ないような……。あの人は本当に靴の事しか考えてません。ましてや色恋沙汰など、海の向こうの話でしょう。
それでも、彼が私に対して信頼を置いてくれているのは分かります。互いに家族のいない者同士、一緒に暮らして穴を埋め合っているのかも。私は彼の傍にいられるだけでも満足なのです。
「ちょっとぉ、黙ってちゃ分からないわよ。でも恋するって難しいわよね。お互いがお互いを好きになる、難しいことだからこそ貴いの。年をとっても同じ人を愛し続けるかは分からないのよ。私の父だって母に避けられてるし。いいなぁ、私も将来は愛する人と結婚したいわ。政略結婚とか古いわよね、そう思うでしょ?」
フレデリカ・フレドラン様の年齢は聞いていませんが、その外見からしてまだ二十歳にもなってない、私よりも年齢は下のはずです。
ですが彼女の口からは大人びた恋愛観が飛び出してきます。彼女は私たち小市民とは違い、貴族である身。結婚という話も遠いものではなく、自由な恋愛に憧れることもあるのでしょうか。
「ああそうだ、これ渡しておくわ。まだ感謝祭まではあるけど、当日渡せるとは思えないから」
そう言うと彼女は、手持ちのバッグから小さな紙袋を取り出しました。
手のひらほどの大きさの、丸い三角形に膨らんだ形をしている紙袋。フレドラン様は視線で私に開けるよう促します。
「わぁ、綺麗……!」
中から転がって出てきたのは、無数の小石のようなものでした。
ごく小さい、とげとげのついた色とりどりの……何でしょう? 硬いです。でもちょっと甘い匂いがします。見た目はとても愛らしいような、奇妙な物体。
「コンフェイト? って言うらしいわ。外国のお菓子なの。食べてみて」
初めて見る食べ物を恐る恐る口に含みます。舐めると甘く、噛むと心地よい音と共に砕け、上質な砂糖の香りが口いっぱいに広がって────
「ん、美味しい! とっても甘くて美味しいです! いいんですか、こんな高そうなお菓子をいっぱい貰っちゃって」
「感謝祭なんだし気にしないで。職人さんと一緒にどうぞ。あなたも、彼にあげるものは用意した?」
感謝祭。それは一年に一度行われる、友人や恋人に日ごろの感謝を伝えるという簡単な催しです。
感謝を伝える、というのは言葉だけでなく、こうして贈り物と共に渡されるのが一般的。なのですが……。
なんということでしょう。私、まだ何も用意していません!
毎年、何かしらはアユムに贈り物をしていたのです。しかし、今年に限っては今の今まで忘れていました!
どうすれば彼の力になれるのか考えることに夢中で、全く気が回っていません。何を用意しましょうか。どんなものを贈れば喜ばれるでしょうか。
考えます、考えます。靴作りに使う刃物? 豪華な食事? 新しい作業着?
「……決まってないのね。いっそのこと指輪とか渡してプロポーズしちゃえば? その場で返事は貰えなくても、きっと意識されるわよ。じゃあね、ユーティカちゃん」
私が頭を捻っている間に、フレドラン様は手を振って店から出て行きました。
プ、プロポーズ……!? 確かに意識はして欲しいですけど、やっぱり意識されなくても傍にいるだけで……。
矛盾した願いです。私はアユムのことが好きで、彼にも私のことを好きになってもらいたい。ですが同時に、私はただ彼の夢を補佐する存在でもいいと思っています。
今のままでも、幸せなのです。“はずれ者”がこれ以上を求めるのは、きっと良くないことになる。心の奥底で私の一部がそう言います。
感謝祭まであと七日。
私はぼんやりと、店のカウンターから外の景色を見ていました。
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