5 求めるもの

第8話

 何度も何度も革を切って縫い合わせては、これではないと放棄する。

 工房には既に大きな山がいくつも出来ていた。どれもが俺の全力を以て作り上げた完成品の革靴だ。

 これを見せればきっと、美しい靴だとか買いたいとか言い出す人もいるのだろう。だがこんなもの、俺にとっては失敗作に過ぎない恥ずべきものだ。本来未完成品を売るなど、あってはならないこと。


 そう、未完成。靴として完成はしているが、未だ俺の求める基準には達していない。よって、これらは全て未完成品である。

 足りていない。欠落している。出来損ないだ。それだけははっきりと感じるのだが、しかし何が足りていないのかは全く分からない。


 分からない、分からない、分からない────

 俺が作った以外の、素晴らしい靴をいくつも買って参考にしてみた。同じ靴を何度も作って精度を高めてみた。専門のデザイナーに頼んで素晴らしい靴をデザインしてもらった。完全に観賞用としてしか使えない靴を作ってみた。普段の仕事に向き直り実用性最重視の靴を作ってみた。ブーツやハイヒールの靴など多種多様な靴を作ってみた。


 だが、空虚だ。いずれも俺の求める真実へは届かない。どれほどの靴の山を積み上げようと、どれほど時間を掛けようと、どれほど手を伸ばそうと。

 他人がいくら素晴らしい靴だと褒めても、違うのだ。本当の最高の一足はこんなものではない。全く違う。

 どうしてだろう。見たことがないはずなのに、俺はそう断言出来た。


 完璧な靴に必要なのは、機械のような正確さ。迷いのない刃。曇りなき心。

 余計な感情や雑念はすべからく排除すべき。不純なものを混ぜれば、それだけ精度が落ちる。

 だからそう、作業中に怒りを覚えるなどもってのほか。


 「……ユーティカ。俺がここに居る時は邪魔をするなって言ったよな?」


 後ろで扉が開く気配がした。この家には二人しか住んでいない。

 そして俺は彼女に、俺が中にいるときに工房に入るなときつく言っていた。集中が途切れるのだ。


 「頼むから止めてくれ。何回言えば分かるんだ。邪魔だからどこかに行けって……!」


 後ろを振り向くと、そこには怯えた様子の獣人がいた。

 耳は平らに下がり、尾は丸くなって縮んでいる。特徴的な赤い眼は涙で潤み、宝石のような輝きを湛えていた。


 「あっ……でも、その……。もうこんな時間なのにアユムが寝室に来ないから……。私、ちょっと心配で……ごめんなさい」


 外は夜、どころではない。もう地平線に月が沈もうという深夜。朝から工房に籠っていたから、もう二十時間以上経っていたのか。

 途中食事は挟んだものの、全く時間の感覚が無かった。俺の悪い癖がまた出たらしい。しかも、最悪な形で。


 「あ……うぅ。ごめ、ごめんなさい……ごめんなさい……」


 ぽろぽろと彼女の瞳から光の粒が落ちる。それは崩壊したダムのように、次第に流れを強くしていく。

 完全にやってしまった。こんなつもりではなかった、というのは逃げだろうか。俺は彼女を傷つけるつもりなど微塵もなく、集中を削がれてついあんなことを言ってしまったのだ。

 これは流石に、我ながら最低の行いだろう。謝りながら泣き出す彼女を前に、俺はどうしてやるべきなのか必死に脳を回転させて考えた。


 「邪魔して、ごめんね……。わ、私もう行くから……」


 そのまま振り向いて去ろうとする彼女を、後ろから抱き留める。強く、離さないように。

 そして安心させるために、そっと俺の額を彼女の後頭部にくっつける。ふわりと、彼女の髪から特有の匂いを感じた。


 「すまん、言い過ぎた。俺が悪かった、本当に。君は何も悪くないし邪魔もしていないよ」


 「アユム……ぐすっ」


 彼女の身体の震えが、密着した俺の身体にも伝わってくる。よりにもよってこの子を邪魔者扱いしてしまうなんて、酷いことをしたもんだ。

 どう謝ればいい? どうしたら許してもらえる? 既に起きてしまったことは取り返せない。時計の針は巻き戻らず、過去は過去のまま。今、彼女が深く傷ついたという事実はどうやっても変わらない。

 腕の中の彼女は泣いたまま、足の力を失ったようでその場にへたれ込む。俺も寄り添って座り、彼女の糸が切れたような身体を抱いて支えてやる。


 「ごめん、ごめんユーティカ。全部俺が悪い。無能で、最悪で最低な奴だ。お前はただ、こんな俺の心配をしてくれただけなのに。なにも君をここから追い出したかったわけじゃないんだ」


 白毛の彼女は幾度となく迫害されている。自らの住んでいた山から、街から、世界から追い出されてここまで来た。彼女にとってこの場所が安息地であると、そう理解していたのに。

 「邪魔だからどこかに行け」? どうしようもない馬鹿だ、俺は。口を衝いて出たにしてはあまりにも残酷な言葉。この子に、他に行き場があるのか?


 ユーティカは死ぬ。

 俺が彼女と離れてしまえば、そうなる。例え彼女に一切の咎が無く、いくら生きることを望んだとしても。彼女の行い、意志に関係なく、この国は彼女の死を求めている。

 それは二十にも満たない年の少女に対して、苛烈に、無慈悲に過ぎる。こんな話があっていいものか。白い毛というだけで、何故こんなにも献身的な心の子が血を流さなければならない。


 だから俺は、せめて俺だけでも、彼女を受け入れてやりたかった。

 しかし俺は欠落している。俺の作る靴と同じように、欠陥品だ。人との関わりに問題を抱え、靴を作ることでしか自分を表現できない。

 結果的に彼女には負担をかけてしまっているし、今その心にまで傷をつけてしまった。むべなるかな、一人で生きられないような俺が他者を気遣おうなどと、到底矛盾した話だったのだ。


 「……大丈夫だよ、アユム。ちょっと驚いただけだから」


 そう言うと彼女は、自分を抱きしめる俺の腕に、綺麗な白い手を添えた。

 安心させようとしたとはいえ、不用意に女の子の身体に触り過ぎたかもしれない。俺はすぐに腕の拘束を解くと、ユーティカは立ち上がった。


 「アユムはそんなことを言う人じゃないもんね。今日はきっと、疲れてただけなんだ。ほら、もう寝よう? 明日はお店を休みにして、お昼までぐっすり眠るといいよ」


 ああ、その笑顔は目に入れられぬほど眩しい。目元は赤いものの、もう彼女は泣いていない。それどころかいつものにこやかな顔で俺の心配をする。

 彼女は、俺なんかと一緒に居るには寛容に過ぎ、そして優し過ぎる。ついさっき君に暴言を吐いた男に対し、どうしてそんな態度を取れるんだ。

 せめて俺を非難してくれ。責めてくれ。でないと俺は君に、罪の意識を抱えたままになってしまう。君に酷いことをした、自分自身を許せなくなってしまう。


 俺はユーティカと一緒に寝室まで行き、同じベッドの上に横たわった。今度は彼女が俺を抱きしめ、俺の頭を抱え込むように自分の胸元を押し当てる。

 動物の、とてもいい匂いがする。温かい陽だまりのような、得も言われぬ安心感。


 頭の上をなにかが触れる。ユーティカの手だ。

 彼女は、俺の頭を撫でている。よしよしと、まるで子供をあやすように。

 そのような扱いをされるのは恥ずかしかったが、しかし動くことが出来なかった。心地よかった。焦りは消え、緊張が緩和し、驚くほどに早く睡魔はやって来る。


 「おやすみなさい、アユム。私の──────」


 温かく柔らかい感触に包まれながら、俺の意識は深い海に溶けて行った。

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