第7話
それは突飛な発想であった。
エビの甲殻を靴にしてしまうなど、通常はあり得ないことだ。だが固定観念というのは時に創造の邪魔をする。
柔軟な思考を持つ彼女でなければ、俺に天啓を与えることは出来なかっただろう。お陰で、一瞬のうちに靴の完成形までの道筋が雲間に射した。
この世界でない、俺の住んでいた元の世界。そこにはかつて、魚の形を模した靴を作った天才靴職人がいた。それにならい、今度は“本物”で作ることにしよう。
工房に転がっていた適当な木靴を手に取り、それに赤いエビの甲羅を重ねてみる。あの食堂から、廃棄されたエビの甲羅を持ってきたのだ。材料は十分にある。
さて、始めるとしよう。
俺は鑿と槌を手に取った。
「アユム、アロゲンさんが来たよー」
ある日の昼時、工房で革靴の山を積み上げていた俺はユーティカに呼び出された。
老年の従者が丁寧にお辞儀をし、いつの日かのように馬車へ乗せられる。
「フレドラン様は大変お喜びになっています。この度は依頼の話と、そのお礼を兼ねた食事ということで招待いたしました」
道中、アロゲンから話を聞く。
どうやら俺の靴に領主は満足してくれたようだ。であれば、それでいい。特にわざわざと食事の席などを設けてもらう必要はないというのに。
しかし、それぐらいは礼を尽くさねば領主として恥になるということか。俺も、断るまではしなかった。
隣のユーティカは食事と聞き、そわそわしている。
領主の歓待だ。それはさぞ高級な料理が出るのだろう。こちとら礼儀もロクに知らない俗人の身、あまり息の詰まる食事はしたくないのだが。
屋敷に到着し、大きな部屋へと案内される。やたらと長い食卓にギラギラと光を反射する金銀の燭台。部屋の隅に飾られている精緻な細工のされた飾り鎧。どれもが自己主張の激しい、目が痛くなるような物ばかりだ。
アロゲンに促され、食卓の一番端の席に腰かける。ユーティカは角を挟んだその隣に座り、フードを脱ぐ。
例によって領主の登場までは時間が掛かるらしい。特にすることも無いので、ぼんやりと窓の外の庭の景色を眺めたり、でかでかと飾られている国王の肖像画などを観察する。
この王国とやらも歴史の深い国らしいが、今のトップが耄碌した爺ではな。俺にとって政、この国の行く末など極めてどうでもいいことであった。──獣人の迫害を除いて。
もしこのまま異端の排除が加速するのなら、俺にも考えがある。
ユーティカには是非とも安心して寝て貰いたいものだ。
後ろで扉が開く音がして、領主が姿を現す。
今日の出で立ちは、原色のような赤い服に赤いマント、各部に金の刺繍とやはり派手なものだった。
そして履いているのはやはり、俺が作った赤い靴だ。
「やあキッカワ・アユム君! 実に素晴らしい仕事だったよ、うむ。この君の靴、実に独創的かつ大胆! パーティーでも大きな注目を集めた」
反り返った触覚の伸びた、真っ赤に光る具足のような靴。エビの甲殻を重ね上げて作った、異形の一品だ。
ベースは木靴となっており、通気性や伸縮性は欠片もない。だが領主の足に合わせているためそう不快感はないだろう。
甲殻にはニスなどを塗って光沢の発生と保護を兼ねている。明かりに照らされればそれは鈍い光を放ち、遠目からでもその存在をはっきりと誇示する。
「いやはや恐れ入った。この靴、真に正確だ! 私の足にピッタリだし、甲羅の配列も左右の靴で全く同じ対称、人間業とは思えん!」
音を立てながら床を歩き、領主は俺の向かいの席に座る。同時に奥の扉からメイドが数人現れ、先頭のメイドが礼をし、後ろのメイドたちがそれぞれ食事を運んできた。
まずは前菜のサラダ。色とりどりの野菜が入っており、何らかのドレッシングがかけられている。
次に運ばれてくるのは大きな皿。
目の前に置かれたそれは、銀色の蓋に覆われ中身が見えない。メイドが蓋を取ると、白い湯気が一気に溢れ視界を覆った。
「さあ遠慮せず食べてくれ。パーティーで“大エビ卿”などと呼ばれたものだからな、今日はエビ料理を作ってもらった。今朝獲れたての最も質の良いものだ。」
大きな皿に乗っているのはエビの剥き身だ。皿のくぼみに溜まった金色のスープの上に、ほのかに色づいた白い身が横たわっている。
酒蒸し、とでも言うのだろうか。用意されたナイフとフォークを持つが、こんな場面での正しいマナーというものを俺は知らない。ええと、音は立てない方がいいんだよな……?
横目でユーティカの方を見る。美味しそうな食事に喜んでいる様子が、綻んだ顔で丸わかりだった。しかし俺と同様、両手でナイフとフォークを握りしめたまま固まっている。
しかも、ちらりとこちらを見る彼女と目が合ってしまった。正しい礼儀作法とやらを教えて貰おうと思ったのだが、それは彼女も同じだったらしい。
「どうしたのかね? ああ、このような席に招かれたのは初めてか。厳格な礼儀など気にしないでくれたまえ。この場は領主と客なのではなく、私とその友人が食事を共にするというだけなのだから」
恐る恐る切り分けたエビの身を口に運ぼうとしていると、そんなことを言われた。どうやら無駄な苦労で、彼はこちらの行儀などどうでもいいようだ。
「パーティー会場ではこの靴について色々と聞かれたよ。だからクランクの靴職人について話してやった。君の事だ。もしかしたらこれから、仕事がてんてこまいかもしれんな!」
「はぁ……。それはどうも」
我ながら気の抜けた返事だが、とりあえず相槌を打っておく。俺としてはもう帰りたかった。料理も美味いは美味いのだが、俺にはやはり普段のソーセージを挟んだようなパンで十分だ。
「で、どうだ? 何か欲しいものはあるか? 報酬の金は払うが、それ以外にも望みがあれば聞いてやろう」
「ないです。俺はただ、靴を作れればいいので」
俺の即答に領主は目を丸くする。どうやらこれは予想外の返事だったようだ。
「な、何? いいのか? 君の店を大きくすることだって出来るし、船の一隻ぐらいなら用意してやってもいいんだぞ」
船なんか貰ってどうするんだ……。置き場に困るどころの話ではないし、靴作りには全く無用の長物。店に関しても、ユーティカと二人でやっていけるこれぐらいの規模が丁度いい。
「全部要りません。お気持ちだけで充分です。俺はまだ、たいした靴屋ではありませんから」
「そうか……。無欲なのだな、君は。街ではもう君の店を知らぬ者はいないというほどに有名であるというのに、求道的な姿勢を崩さない。いやその年にして、立派なことだ。もし何か困りごとがあれば、私を頼ってくれたまえよ」
「……ごちそうさまでした。料理、美味しかったです。俺はもう帰りますね」
食後に運ばれてくるデザート、アイスクリームを食べ終わり俺は立ち上がる。
以前の世界ではどこでも買えるものも、この世界では珍しい甘味だった。こちらに来てから初めて食べたかもしれない。少し暑い日があったので丁度いい。
さて、長居は不要だ。必要な会話は終わり、もう領主と話すことはない。
隣の彼女が食べ終わったかどうか見ると、ユーティカは既にこちらを向いていた。顔を少し赤らめ、俺の視線に気づくとそっぽを向いた。どうしたんだろう。
まあいい、彼女も食べ終わっているようだ。俺とユーティカはアロゲンの先導に従いこの場を後にする。
俺は時間が惜しい。一分一秒でも使える時間があるならば、全て靴に使いたい。でなければいけない。でなければ、俺の人生に意味はない。
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