3 大事な客

第3話

 「突然の来訪、誠に失礼いたします。私の名はアロゲン。丘の上の、領主フレイド・フレドラン様の遣いにございます」


 黒い、スーツのように張りのある服を着た老紳士がそこにいた。

 カウンターを挟んだ俺とユーティカに対し、深い一礼をする。その一挙手一投足はまるで機械の様に正確で、俺とは住む世界が違うような気品を感じさせた。


 「我が主直々の、靴を作って欲しいという依頼です。お時間がよろしければ、今から馬車に乗り屋敷へ向かいたいと思いますが」


 「い、今から……ですか? アユム、直近の依頼はどうかな?」


 「今朝片付けた、問題ない。残りの依頼はまだ時間の猶予があるし大丈夫だろう」


 「じゃあお願いします、アロゲンさん」


 ユーティカの返事に紳士は頷き、店の前に止めてある大きな客室付き馬車へと俺たちを案内する。

 まるで童話か何かに出てくるような、非常に目立つ青の車体。金の縁取りや装飾、街のエンブレムが持ち主の正体を示唆している。

 こんな乗り物には乗ったことがないのは隣のユーティカも同様なようで、目を輝かせながら、アロゲンが開けてくれた扉の向こうへと足を踏み入れた。


 中はふかふかのソファが向かい合うようにして並び、大変に座り心地が良い。俺たちは馬車の後ろ側の席、つまりは進行方向に向かっているソファに座った。アロゲンは対面に座り、後ろの御者に声をかける。

 馬車はゆっくりと進み始め、港町を駆けていく。大きい窓から市場を見下ろすのは新鮮な気分だ。


 「それでは、屋敷に到着するまでの間に依頼の内容をご説明します」


 白髪に皺の刻まれた顔。年相応に落ち着いた口調で、アロゲンは言葉を続ける。


 「フレイド様は約三週間後、王都へ社交パーティーに参加される予定です。そこで、フレイド様は他と一風変わった靴を履いて行き、王や他の領主からの注目を浴びたいとおっしゃっているのです」


 「か、変わった靴?」


 思わず声に出してしまう。ウチは普通の靴屋であり、あまり変な注文は受け付けていないのだが。


 「詳しくは屋敷にて、我が主が直接お会いになられます。この街で人気のある、最も流行りの靴職人にお願いしたいということでしたので、私がキッカワ・アユム様のお店を選び招待致しました。是非とも、お願いします」


 ううむ、想像以上に面倒くさそうな依頼だ。

 この港町クランクの領主、フレイド・フレドランという男は流行りの好きな洒落者として知られている。交易の盛んな領地であるため、外の国から入ってくる様々な物を買いあさり文化を取り入れたりすることに迷いがない。

 嘘か真か、最近では海より引き上げられた巨大な獣の髭を、楽器の弦として使ったりしているらしい。未だ魔術が信仰されるような王国で、科学技術にも興味を持っているため異端扱いもされているようだが。


 そんな男が普通の靴を依頼してくるわけがなかった。俺の考えが甘かったと言えばそれまでだが、もう馬車に乗っていてこの場で降ろしてくれなどとは頼めない。

 まあいいだろう。たまには違う趣旨の靴を作ることで、何か見えてくるものもあるかもしれない。あらゆる靴作りが俺の経験となり、そしていつしか、夢見た最高の一足へ繋がるのだ。




 しばらく小高い丘を登り続け、やがて馬車はゆっくりと止まった。屋敷を囲む柵、そこの門が開かれ再び馬車は進んで行く。窓の外には広大な庭と、大きな屋敷が見える。


 屋敷の目の前に到着し、今度こそ馬車は完全に止まる。

 アロゲンが扉を開け一足先に降りると、こちらに手を伸ばした。初めにユーティカがその手を取ると、足元に気を付けるよう促されながら丁寧に降ろされる。

 俺にも白い手袋をした手が差し出されるが、それはお断りし軽いジャンプで飛び降りた。俺にわざわざ気を使ってもらう必要はない。


 領主のの召使いの手により、屋敷の扉が開かれる。蝋燭の火と太陽が、広く絢爛な広間を照らす。アロゲンは俺たちを先導し、客間へと案内した。

 部屋の中央にはテーブル、それを挟むようにソファが二つ。俺たちは二人で並んでソファの片方に腰かけた。

 普段過ごしている居間とはまるで違う。家具ひとつひとつの質、やたら大きな置時計、金の額縁の人物画、差し出された紅茶の味。どれも小市民の俺には「高そうだなぁ」なんて間抜けな感想しか浮かばない。


 「フレドラン様はお忙しい身です。お客様はもう暫くお待ちいただくこと、ご了承ください」


 ユーティカは猫舌だ。既に適温になっている紅茶でもふーふーと息を吹きかけながら飲む。一口飲んで、笑顔を見せる。余程おいしかったのか、紅茶のカップをそのまま傾け、もう全部飲んでしまった。

 そんなに気に入ったのなら、俺の紅茶も飲ませようか。いや、そうするまでもなく空のカップに新しい紅茶が注がれる。アロゲンは微笑み、手持ちの紅茶ポッドをテーブルの上に戻した。


 「あ、ありがとうございます」


 「おかわりは自由ですよ。それと、お客様。失礼ですがそのマントを外してもらえることは出来ないでしょうか」


 ユーティカの動きが少し固まる。フードとマントを被ったままなのは相手に失礼だと分かっているのだが、それでもあまり脱ぎたくはなかった。

 彼女は優しい。自分が嫌われ者であると知っているからこそ、その毛を出来るだけ隠そうとしている。俺は隣に座る彼女の手をそっと握る。


 「無礼は承知だ。その上で、彼女の格好はそのままにしてくれないか?」


 「……ほう?」


 黒服の紳士は、何やら訳ありなのだと感づいたか。鋭い眼光がユーティカを突き刺すように見つめる。

 途端に緊張感のある空気になった。しかし、譲るわけにはいかない。彼女の姿を無暗に晒すことは出来ない。


 「アユム、大丈夫だよ。この人しかいないし、私は平気」


 ユーティカが俺に囁く。いいんだな、そうして。

 彼女がそう言うのならば、この場で遠慮する必要は無い。もしアロゲンがしかめっ面の一つでもしようものなら、すぐにここから出ていくとしよう。たとえ、領主の依頼を無視しても。

 ユーティカは、そっとフードを取りマントを脱ぐ。露になった白銀の毛並みに、アロゲンは少し目を見開いた。




 白い毛の獣人は、国を亡ぼす凶兆である。

 そんな噂を知ったのは、俺がユーティカを連れ親っさんに弟子入りし、会話も多少こなせるようになってきたある日のことだった。親っさんが、俺と二人きりになった時に教えてくれた。


 普通の獣人の一族から、稀に生まれる忌み子。本来歩むべき道を外れた悪魔の子。かつては多くの街で迫害を受け、何百人と殺されたらしい。

 錆び付いた古い話だ。今では信じる者も少ないが、それでも老人ほど呪いを怖がる。

 故に、彼女は身体を隠した。フードで耳を、マントで尾を隠せば彼女が獣人であるとは分からない。白い毛だけを見られても、白髪の人間というのはおかしくないので誤魔化せる。


 惨いことだと親っさんは言った。毛並みとは獣人にとっての象徴に等しい。人間が化粧、服や靴で着飾るように、獣人は己の毛を丁寧に手入れする。

 自らの個性でもある毛の色を否定され、誰かに見せることも叶わない。特に年頃の女の子であるユーティカにとって、それはとても辛いことなのだろうと。


 俺は、そんな話など知らない。

 毛が白いからなんだと言うのだろう。国が亡ぶからなんだと言うのだろう。俺にとって最も優先すべきは靴を作る事であり、それを支えてくれる彼女はかけがえのない仲間だ。

 だから俺は彼女の味方だ。どこか俺と似た彼女のことを、放ってはおけなかった。


 ユーティカと出会ったのはいつだったか、確か雨の降っていた日のことだ。俺が親っさんと出会う前、住処も無く山をうろついていた頃。勝手に住み込んだボロ屋で、白い毛の獣人を見つけた。

 互いに通じる言葉はない。それでも互いが敵ではないと知り、無言のまま、隣り合って過ごした。

 親っさんは白い毛の獣人を見て驚いたが、好きにしろと干渉はしなかった。ああ、思い返すと親っさんに対する感謝ばかりだ。




 「……ああ、失礼いたしました。お客様が白毛の獣人であったとはつゆ知らず、軽率な発言をお詫びいたします」


 アロゲンは丁寧なお辞儀と共に謝罪する。ユーティカが身を隠していた意味を理解したのだ。

 だが彼に、嫌悪の表情はない。


 「ご安心ください、我が主は白毛の獣人に対して理解をお持ちです。決してお客様の身に危険が及ぶことはありません。ですので、そちらの外套はこちらでお預かりします」


 ユーティカが己の外套をアロゲンに渡すと、アロゲンはそれを更に召使いに渡して持たせた。

 そしてしばらくすると、ペタペタと大きな足音が廊下から聞こえてきた。アロゲンは部屋の扉を開け、俺達に告げる。


 「我が主、フレイド・フレドラン様のお見えです」


 恰幅のいい、金で刺繍がされた派手な服を着た男が現れた。

 港町クランク領主、フレイド・フレドランその人だ。

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