2 靴屋の営み
第2話
鞣された革に線を引く。その下書き線に沿い、大小様々な形の刃を入れて裁断する。革はたちまちバラバラになり、望み通りの形に成形された。
用意した木型にそれぞれを組み合わせる。計算と図面の通りにぴったりと重なり合い、仮組ながらも革の断片は靴へと昇華される。後は仕上げを行えば完成だ。
日が差し込む窓が一つだけある狭い工房の中、使った道具を整理し掃除をする。仕事はまだまだ始まったばかり。早速次の革を手に取る。
靴の注文数は最近、右肩上がりに増えていた。巷で評判になっているようだ。元々好きでやっている仕事だが、注文の制限をしてもいいかもしれない。
「ただいまー。アユム、ご飯にしよ?」
革を切り貼りし数時間経った頃、扉の向こうから同居人の少女の声がする。買出しに出かけ、帰ってきたのだ。もう昼食の時間かと椅子から立ち上がり、扉を開け居間に向かう。
この工房は、居住部分と店の部分が合わさった一体型の家の一室だった。
居間の向こうが店頭であり、靴の販売はそこで行う。家への出入りは店頭側からか、居間に一つある裏口からだ。彼女もそこから入ってきた。
「今日はね、チーズと香辛料が安かったから買って来たよ。パンにソーセージとチーズを挟んで食べよう!」
フード付きマントの彼女──ユーティカが、背嚢をテーブルに置く。中に詰まっているのは、街の市場で売られている新鮮な食料品だ。
彼女は外套を脱ぎラックに引っかけると、その白い髪と獣の耳、尾があらわになる。
獣人と呼ばれる種族。それ自体はこの世界でさほど珍しいものではないのだが、彼女はある理由によりその姿を人目に晒さぬようにしていた。
ユーティカは台所に立ち、軽い調理を始める。長い髪とふさふさの尻尾が、機嫌良さそうに揺れている。
恥ずかしいことに、俺は日常の生活を彼女に任せきりだった。食事や掃除などやる気も起きず、いつも適当に済ませてしまう。ユーティカはそんなだらしのない俺を見かねて、いつしかこうして同棲が始まっていた。
大きな窓から差し込む暖かな日差しが居間を照らす。仕事の合間の、落ち着いた空気。時間の流れさえゆっくりと感じるのは気のせいではないだろう。
食卓に座り日常の小さな幸せを感じていると、ユーティカが昼食を持ってきてくれた。別段豪勢でも量が多いわけでもない、至って普通の食事。しかし、この空間にはこの食事が一番似合っている。
「いただきまーす!」
「…………いただきます」
二人で手を合わせ、ホットドッグのような体をしたパンを齧る。ケチャップもマスタードも無いが、肉汁や塩味が疲れた体に響く。添えられたチーズの欠片も栄養分として十分だ。
軽い昼食なのですぐに食べ終わる。ごちそうさまをし、すぐに立ち上がり工房に帰ろうとすると、後ろからユーティカに抱き着かれた。
「アユムー。今日は天気もいいしさ、ちょっとぐらいゆっくりしようよー」
グイグイと背中を押されながら、ソファに座らされる。ユーティカは横になり俺の膝の上に頭を乗せた。懐いたペットのような、構って欲しいという態度だ。
確かに日差しが気持ちよく、食事後の眠気も襲ってくる。膝上の獣の頭を撫でてやると、尻尾がぶんぶん揺れた。頭や耳の後ろを撫でられるのが気持ちいいらしい。
こうも密着されると暑いな。俺より彼女の方が体温が高い。それと日差しも相まって、汗すらかきそうだ。
ああ、だが気持ちいい。連日続く仕事の疲れもあってか、俺は少しうとうととし始めた。
まったく贅沢な暮らしだ。俺がここにいるのも、全て親っさんと彼女のお陰である。昔は、こんなことになるとは考えもしなかった。
あまり異世界然としていないこの世界で、はっきりと元の世界との違いを感じられるのは言語と彼女ぐらいだろう。
ここで使われている言葉は英語でもスペイン語などでもない。この世界独自の言語であり、生活するにあたって新しく覚えなければならなかった。
そして獣人は、人間と犬系の動物を混ぜ合わせたような種族だ。とはいえ目立った人外的な部分は耳と尾ぐらいしかなく、この世界では人種の一つとして普通に扱われている。
俺がこの街、クランクに来てもう三年になる。
靴を作ることしか能のない俺は、老人の経営していた靴屋を見つけ弟子入りを志願した。互いの言葉も通じない異国でも、モノづくりの心意気は伝わるようだ。
俺が靴を一足仕上げてみせると、老人は俺を迎え衣食住まで与えてくれた。
そして二年が過ぎたある日、老人──親っさんはこの店まるごと俺に譲ってくれたのだった。
理由は本人曰く、「隠居生活をしたいから」。元々趣味人みたいな人物であったが、どうやら俺という後継者を得たことで靴作りに一つの区切りをつけたらしい。
彼のお陰で、今こうして俺は靴を作り続けられる。これには感謝のしようもない。
リンリン、とベルが鳴った。
眠りに落ちかけていたユーティカの耳が垂直に立ち、目を大きく開いて起き上がった。店の方に客が来たのだ。
彼女はフードとマントを被ることを忘れず、急いで店頭に出る。接客もまたユーティカの仕事だった。俺も三年でここの言葉をある程度話せるようになったとはいえ、接客はネイティブである彼女に任せた方が良い。
憩いのひと時は急に終わりを告げ、俺も仕方なく立ち上がる。靴の予約はまだまだ残っているし、俺には靴を作ることしかできない。
自分の使命を全うしようと工房に向かうと、店の方の出入り口が開き、ユーティカが顔を出した。
「アユム、偉いお客さんだよ! すぐに取り掛かって欲しいってさ」
時には、こういうこともある。俺は工房へ伸びた足を店頭へ方向転換し、ユーティカに誘われるまま店の出入り口に爪先を向けた。
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