2-4

 突然現れた教王猊下に、丘の上の町は突如、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。


 臨時の礼拝を告げる鐘が鳴らされ、町にある短い大通りが教王猊下を一目見ようと集まってきた人々でいっぱいになる。現在の教王ゼーリヒ猊下は穏やかさと博識で定評のある人物らしく、近隣の、まだ堅固な場所への避難の必要性を感じていない村人達も、教王猊下来訪の噂を耳にして町へと集まってきているようだ。すごい人気だな。月並みな感想を漏らしながら、ラッセは人混みをかき分けた。あの冷たい皇都の宮殿にいた頃、宮殿前広場にたくさんの人が集まっていたのを何度か見たことがあるが、その時の人々よりも熱いものを感じる。その熱さに背の震えを覚えながら、ラッセは人混みを外れ、町を守る周壁へと向かった。


 礼拝の時間にも拘わらず、ネイの姿が、見えない。当たり前だろう。途切れた人混みにほっとするラッセの脳裏で、冷静な声が響く。ネイは、銀鉄の国の人。唯一神への帰依を押しつけた教王と、唯一神を信じないからという理由で銀鉄の国を滅ぼした皇王に、憎しみを抱いている者。心を吹き抜けた冷たい風に、ラッセは首を横に振った。ラッセが皇王の孫であると知れば、ネイは、自分を、……憎むだろうか? 強く首を振って全てを頭の中から追い出すと、ラッセは修復中の塔の粗末な梯子を登った。


 やはり、……いた。ラッセの予想通り、ネイは、修復中の塔の最上階で夕闇に沈む景色を眺めていた。


「礼拝には、行かないのか?」


 ラッセの方を見ない、ネイの質問に、こくんと頷く。礼拝に出ないといけないことは、頭では分かっている。しかしそれは、ネイも同じだ。この場所で、唯一神への信仰が疑われてしまったら、……生きてはいけない。聖堂へと足を運ばなかった父のことを思い出し、ラッセは首を横に振った。曲がりなりにも辺境伯という地位にある貴族だったから、父が聖堂に足を踏み入れないことについては誰も何も言わなかった。だが、ネイは。ラッセが父と共に暮らしていた砦のような屋敷の近くにある村の聖堂にラッセを行かせることについて言い争っていた父と父の家令テオバルドの、その時だけの荒れた声をも思い出し、ラッセはネイの冷たい左袖を掴んだ。大陸では、この場所では、唯一神に帰依しないことは、『罪』だ。


「私は、大丈夫」


 そのラッセの視界に、ネイの微笑みが映る。


「皆、聖堂に集まっているのだから、誰かが見張りに立たないと」


 その言葉で、ラッセを聖堂に行かせるかどうかで家令テオバルドと争った後に父が話してくれた物語を思い出す。安息日の礼拝時に村を見張っていた騎士が、村人が不在になる時を狙って金品を盗もうとした泥棒を捕まえた話。しかし安息日に礼拝を怠ったが故に、その騎士は唯一神に罰せられたと、父が教えてくれなかった神学を教えてくれた、あの冷え冷えとした空間で唯一親しみを持つことができた文書館の館長エーリヒは言っていた。礼拝に参加することと、礼拝時の手薄に付け込む悪人が人々に害を及ぼさないよう気を配ること。どちらが大切なのだろう? 父の言とは異なる話を文書館長から聞かされた時と同じように、ラッセは心の奥底で唸った。その時。

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