2-3

 近くに見える森の、木々の間から、複数の影が飛び立つ。鴉、だ。ラッセがそう認識するよりも早く、一息で立ち上がったネイが傍らの弓と矢筒を同時に掴んだ。


「イーアはここにいて」


 急いた声でそう言い置き、飛ぶように梯子を下りたネイの後に、ラッセも続く。町の入り口で馬を借りると、ラッセとネイは馬ごと森へ突っ込んだ。


 木々が深くなる一歩手前で、騒ぎの元を発見する。立派そうな箱馬車とそれを守る赤いマントの騎士達を、錆びた鎧のならず者達が襲っている。人数の所為か、万全な装備の騎士達の方が劣勢に見える。地面に倒れている馬に、手綱を持つラッセの手は無意識に震えた。そして。近付いてはっきりと見えた、箱馬車に描かれた紋章に、全身が固まる。七芒星の上に実った麦を重ねて配した紋章は、現在の教王ゼーリヒ猊下を示すもの。教王猊下が起居する都の近くとはいえ、猊下が、こんなところに? 無意識に、ラッセはネイを見つめた。銀鉄の国の人々は、唯一神への帰依を強制した教王を憎んでいる。ネイは、どちらの味方をするつもりなのか? 足を締めて馬を減速させながら、ラッセはネイの様子を窺った。


「何をしている!」


 そのラッセの前で馬を止めたネイが、戦っている集団に向かって弓を構える。


「余所者は黙ってろっ!」


 強いネイの声に飛び出したならず者の一人がネイの弓に倒れるのを確かめると、ラッセはネイの横に飛び出し、父の形見である腰の剣をならず者の方へと向けた。馬上での戦い方も、父から教わっている。ラッセの方へと真っ直ぐ向かって来たならず者を、ラッセは馬の頭を左に寄せ、相手の錆槍を払う間も無く防御の弱い首に剣の切っ先を差し込み屠った。


 しばらく、馬上で剣を振り回す。逃げるか倒れるかし、動くならず者が見えなくなってから初めて、ラッセはふうっと息をついた。


「助かったよ」


 そのラッセの側に、馬車の側でならず者と対峙していた赤いマントのほっそりとした騎士が、派手な房飾りが付いた兜を外して近付く。だが、ラッセの横で弓を下ろして息を吐いたネイを見て取るなり、青年騎士の端正な顔は醜いほどに歪んだ。


「君、は」


 『魔女の国』の、住人。微かな声が、風に響く。あの冷え冷えとした空間にいた祖父や父、そして従兄と同じ色に見える金髪と、ラッセの後から馬を下りたネイを睨む傲慢な雰囲気に、ラッセは無意識に一歩だけ、ラッセよりも四、五歳くらい年上に見える青年騎士の前から身を引いた。そのラッセの目の前に、青年騎士の籠手を着けたままの手が差し出される。今年の春先に教王直属の聖堂騎士となったばかりだという、ヴァイスと名乗る青年騎士の声を聞きながら、ラッセはぎくしゃくとした腕でその銀色の手を握った。


「怪我人が、かなり出てますね」


 そのまま、ネイに握手を求めることなく馬車の方を振り向いたヴァイスの背に、あくまで落ち着いたネイの声が響く。馬車の周りで呻いている赤いマントの聖堂騎士達とその騎士達を手当する従者達に混じった教王猊下らしき小柄な影に、ラッセも唇を曲げた。そして。


「時間も遅いですし、ここから猊下の街まで戻られるのは、危ないのではないですか?」


 ヴァイスを見据えるように見上げて微笑んだネイから発せられた信じられない言葉に、ぽかんと口を開けてしまう。


「この近くの丘に、小さな町があります。今夜はそこで一泊されては?」


「う、うむ。……そうさせてもらう」


 そのラッセの前で、味方の戦力低下を確かめたヴァイスが、ネイを見下ろして目を瞬かせた。困っている人を助けるのは当然のこととは思うが、しかし。ネイの思考を読み取ろうと横を向いたラッセの瞳に映ったのは、怪我人の許へと向かうヴァイスの背を見つめるネイの、微笑んだままの横顔だけだった。

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