1-5
僅かな揺れに、はっと目覚める。
幌から漏れる柔らかな日差しが、既に夜が明けていることを告げていた。
起きなければ。揺れに気を取られながら、腕に力を込める。だが、腕を動かそうとする力が、身体の何処にも、無い。左腕が発する、全身を灼く熱に、ラッセは気怠く呻いた。
「あ、起きた」
そのラッセの、ぼうっとした視界に、賢そうな笑顔が映る。
「熱があるから、寝てなさい、って、ネイが」
確か、ザインと呼ばれていた子供。そう、ラッセが認識する前に、ザインという名の子供がラッセの額に置かれていた温い手拭いを掴んで横の小鍋に浸ける。再び額に置かれた、少しびしょびしょではあるが冷たくなった手拭いに、ラッセはほっと息を吐いた。
そのまま、熱の根本である左腕を、気怠い動作で持ち上げる。冷たかった左二の腕には、薬草の匂いがする包帯がきちんと巻かれていた。これは、あの、ネイという名の少年が手当してくれたのだろうか? 御者席から聞こえてくるギードのはしゃぎ声の方に顔を向けてから、ラッセは左腕を降ろそうとし、そこで初めて、自分の腹の辺りに何か温かいものがいることに気付いた。
そっと、顎を下げてお腹の辺りに視線を移す。この、小さな影は、……イーアという名の子供だ。そして。イーアが手にしていた、銀色の塊に、ラッセは胸と背が一度に寒くなるのを感じた。まさか。イーアが持つ羽を模した留め金の裏に刻まれた線を、薄暗い中で確かめる。間違いない。イーアが持っているのは、ラッセの父が何故か大切に持っていた、『魔女の国』の、いや『銀鉄の国』の、騎士の証。
「留め金、イーアが勝手に取っちゃって、ごめんなさい」
呆然とするラッセの耳に、ザインという名の子供の弱い声が響く。謝るその声に首を横に振ると、ザインが小さく微笑むのが、見えた。
「イーア、ね、お父さんが、同じ留め金を持っていたんだって」
イーアの父は、皇国による銀鉄の国への遠征隊に参加した兵士の一人であったらしい。遠征から帰り、故郷の村で幼なじみと結婚してイーアを得るが、先頃の流行病で兵士もその妻も亡くなってしまった。皇国が銀鉄の国を滅ぼしてから十年余りの間、産まれた子供は『奇跡の子等』の一人であるイーアだけであるにも拘わらず、両親を亡くし、孤児となってしまったイーアを村は持て余し、行きずりの子供さらいの一団に、僅かなお金でイーアを売った。一方、ザインの方は、祖父母と共に、唯一神を奉る教王猊下が住まう都へと赴いた際、祖父母の一瞬の隙を突く形で、イーアと同じ子供さらいの一団にさらわれた。ギードを連れた、ネイという名のあの少年が子供さらいの一団を叩くまで、ザインとイーアは寄り添うように一緒にいた。そして現在、この馬車は、ザインが覚えていた村の名を頼りに教王の都がある大陸南東部へと向かっているという。
「ギードは?」
もうすぐ、両親に会えるかもしれない。その期待を見せたザインの口元に、小さく問う。
「ギードは、……子供さらいに、目の前で両親を殺されたと、聞いています」
一気に小さくなったザインの声に、ラッセも小さく、呻いた。
皇国が、邪悪な銀鉄の国を滅ぼしてから十年余り。その間に産まれたのは、ザインやギードのような、現在七歳くらいになる『奇跡の子等』だけ。その掛け替えのない子供達が、こんな残酷な目に遭うなんて。ぎゅっと掴んだ留め金に父のことを重ねて、ラッセの腹の横ですやすやと眠るイーアを見つめるラッセの瞳から滑り落ちたのは、涙だった。
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