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 『魔女の国』。大陸を守る唯一神を拒絶し、人々に害を為すものを信奉していた国。この大陸の、海を隔てた北の向こうに位置するその邪悪な島国は、この大陸を支配する皇国の王と、皇国の精神的な拠り所である唯一神を守護する教王との協力によって滅ぼされた。だが、国が滅んだ後も、呪いの術に詳しい者達が大陸を呪っているという噂を、ラッセはあの冷え冷えとした場所で何度も、耳にした。人を飲み込んでしまう、夜の闇に跋扈する『影』と呼ばれる不定形のものもが現れるようになったのも、この世界で子供が産まれなくなってしまったのも、『魔女の国』の所為だと言われている。人を害する神を祭る、その『魔女の国』をかつて守護していた邪悪な騎士達がその地位の証としていた銀色の留め金を持っていると、いうことは。もう一度、少年の血の気の無い肌を睨み、ラッセは答えを出した。間違いない、血の気が見えない肌の色も、『魔女の国』に暮らす人々の特徴。こいつは。……自分の国を滅ぼした皇国を逆恨みし、人々に害を為そうとする、『魔女の国』の人間!


「『銀鉄の国』」


 だが。あくまで静かな、しかし毅然とした少年の声が、ラッセの気勢を削ぐ。


「少なくとも君は、正確な名称で呼ぶべきだ。……蔑称ではなく」


 言葉は、時に暴力となる。少年の静かな声に、ラッセの沸騰も静かに収まった。


 それでも。震える唇のまま、少年を睨む。次の瞬間、目の端に映った、闇よりも濃い色に、ラッセの全身は総毛立った。……『影』だ。『魔女の国』の者達が皇国と唯一神に復讐するために大陸に放った、人を飲み込んでしまうという、恐ろしいもの。横に現れた『影』から逃れるために、ラッセは何とか動く足だけを使って後退った。


「彼らの刻、だね」


 一方、ラッセの向かいにいる少年の方は、あくまで平然としている。彼が、ラッセを殺すために、『影』を呼んだのだろうか? 唇を噛み締めたラッセの横で、少年は拾った木切れに銀色の短剣で何かを刻みつけると、ラッセの方ににじりよってきた『影』に向かってその木片を放り投げた。木片を受け取った『影』が、一瞬でラッセの前から消える。呆然と、ラッセは『影』が消えた空間を見つめた。


「悪意に、惹かれたのかな」


 そのラッセの耳に、何処かで聞いた言葉が響く。昔、『影』に出会った時に、父が言っていた言葉だ。そう、ラッセが気付く前に、少年の微笑みがラッセの目の前にあった。


「もう、夜も遅い」


 ラッセを立たせた少年が、馬車の方を目で指差す。


「見張りは私がするから、君はもう寝なさい、ラッセ」


 少年の言葉のままに、ラッセはぎくしゃくと静まりかえったままの馬車へと向かい、子供達の間に隙間を見つけて横たわった。


「……あ」


 そのラッセの口から、小さな声が漏れる。


「俺、名乗った、か?」


 眠りに落ちる寸前の疑問は、柔らかい闇の中へと溶けていった。

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