1-2

「水を汲んで来るから、馬車の側を離れちゃだめだよ」


 驢馬を馬車から外し、馬具を取って近くの木の幹に繋いだ少年が、桶を掴んで木立の間に消える。その少年の、無造作に一つに結んだ不自然に黒い髪と、ゆらゆらと揺れる華奢な背を、ラッセは半ば呆然とした瞳で見送った。


「おまえ、バカだなぁ。ネイを襲うなんて」


 不意に、ラッセの視界に、鈍い光が入る。


「ああ見えて、ネイは強いんだぞ」


 顔を上げると、利かん気の強い瞳を持つ子供が、ラッセの肩に重そうな短刀を突きつけているのが、見えた。


「止めなさい、ギード」


 桶を携えて戻ってきた少年の声に、ギードと呼ばれた子供が渋々と、ラッセに突きつけていた短刀を降ろす。ほっと息を吐くラッセをきつく睨んでから、ギードは、馬車の横に水の入った桶を置いた少年に駆け寄った。


「今日こそ、剣術、教えろ、ネイ」


「夕食が先」


 生意気な口振りのギードのぼさぼさの頭を撫でてから、少年は再び、馬車の御者席の裏から下ろした弓と矢筒を肩に木立の中へと消えていく。子供達、あの少年に懐いているな。地面に落ちていた木の枝を振り回すギードという名の子供と、馬車の近くで、桶の水を木のコップで汲み、布で漉して小さな鍋に注ぐ作業を繰り返しているお坊ちゃま風の子供と少し幼い感じがする子供を見るともなしに見つめながら、ラッセはそっと首を傾げた。いや、ぶるぶると、首を横に振る。子供をさらうならず者の中には、女性や、一目では極悪人だと分からない者も多いと聞く。あの少年も、一皮剥けば。背筋の震えに、ラッセはもう一度、首を強く横に振った。


 ラッセがそんなことを考えている間に、兎と薪を両脇に抱えた少年が戻ってくる。子供二人が用意した鍋に少年が手早く捌いた兎肉を入れると、焚き火の向こうから腹をくすぐる匂いが漂ってきた。


「夕食できたよ、ギード。ザインとイーアも」


 長い柄の匙で火に掛けた鍋をぐるぐるとかき回していた少年が、まだ枝を振り回していたギードという名の子供と、子供用の弓で矢を射る練習をしていた仲の良い二人の子供を火の側に手招きする。


「今日はもう暗くなったから、食事が終わったらもう寝なさい」


 そして。子供三人が差し出す大きめのコップに鍋の中のスープを注いだ少年は、空に走る灰色の雲を見上げてそう、言った。


「えー!」


 その声に反発したのは、ギードという名の少年。


「剣術教えてくれるって」


「雨が降るかもしれないから、早めに寝た方が良い」


「むぅ」


 それでも、ギードも少年には逆らわず、スープをおかわりしてから他の二人の子供と共に口を濯ぎ、幌馬車の中に入る。寝場所を確保する子供達の声が聞こえなくなってから、少年はおもむろにラッセの横に立った。


 ラッセを見下ろす少年の、深淵よりも暗い瞳に、再び全身が小刻みに震え始める。しかし、ラッセの最悪予測とは正反対に、少年はラッセの縄を解いてくれただけだった。そして。


「お腹空いたろ」


 少年の小さな手が、木をくり抜いて作った大きめのコップをラッセに差し出す。中身は、子供達が飲んでいたのと同じ、兎と野草のスープだ。その匂いに唾を飲み込んでから、ラッセは受け取ったスープを一瞬で飲み干した。


「ちゃんと飲めるね」


 そう言って微笑んだ少年が、ラッセの手の中のコップを取り上げ、スープのお代わりを注ぐ。結局、鍋に残っていた全て、都合コップ四杯分、ラッセはスープを飲み干した。

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